とびきりの糸で結んで


 聞きたいことがあると私を呼び出した人物は、待ち合わせ場所であるカフェの一番奥の席で閉じた本の表紙をジッと見つめていた。しかし、思い詰めた表情で穴が開くほどそれを見つめているものだから、あまりの剣幕にまるで彼が本を睨み付けているように思い、近くに座っていた人々が席を移動している。
 相変わらず勘違いされ易く、直ぐに怖い顔になってしまう少し不器用なセノに笑みが漏れる。セノの居るテーブルに近付き、彼が見つめる本と、彼の顔の間にひらりと手を差し込むと、セノがパッと顔を上げた。
 
「…急に呼び出して悪かったな」
 
「大丈夫だよ。研究がひと段落して今丁度暇なんだ」
 
 向かいの椅子に腰掛け、珈琲を注文しようと手を上げかけたが、その前にセノがすっと手を上げた。するとマスターは頷いて私達のテーブルに珈琲を二つ置いた。私が珈琲を頼む事を予想して先にマスターに用意してもらっていたのだろう。
 セノとは教令院時代からの付き合いで、付き合いが長いだけあってこうしてセノは私を理解し、気遣ってくれる。「ありがとう」と私が言うと、セノは小さく頷いた。しかし、その視線はテーブルに置かれた本から逸らされる事はない。少し身を乗り出してその本の表紙を覗き込むと、あまりにもセノとは不釣り合いな表題がデカデカと書いてあるものだから目を疑った。
 
「…これって、恋愛小説?」
 
「ああ」
 
「セノが読んだの?」
 
 まさか、とジッとセノを見つめると、セノはゆっくり頷いた。あのセノが恋愛小説を読んだなんて何があったというのか。いや、彼のことならこれも裁かれる者達の考えを知る良い機会になると思ったんだと言って珈琲を一口飲む事だろう。そう予測し、セノが口を開くのを待ってみたが、セノは黙り込んだまま何も言わない。
 
「……恋愛小説なんて珍しいね」
 
 沈黙に耐えきれず、当たり障りのない言葉を口にするしかなかった。セノは私の言葉にもう一度ゆっくり頷くと、緋色の瞳を私に向けた。付き合いが長いから分かる事が一つ、セノの瞳が少々熱を帯びているような気がする。ええ、もしかしてセノって…
 
「…恋でもしたの?」
 
 珈琲の匂いの立ち込めるカフェに、ピンク色した私の言葉が宙に浮かぶ。セノは私の顔をジッと見ると、腕を組んでそして小さく息を吐いた。肯定の意味を捉えた私は勢い良く立ち上がると、セノの隣へとすかさず移動して声を潜めた。
 
「お、おめでとう!」
 
 あの堅物のセノが恋だなんておめでたい事だ。今すぐ教令院時代の同級生を呼び出して祝杯を上げたい気分!セノの二の腕をツンツンと突くと、何故かセノは自分の首筋にそっと触れ、目を瞑って押し黙った。その行動の意味は分からないが、そんな事などお構い無しに、何故か黙ってしまったセノの腕を掴んで「お相手は?」と好奇心に負け思わず問うと、セノは目を瞑ったままもう一度小さく息を吐いた。
 
「…いや、まだ確信がないから相手は言えない」
 
「確信?」
 
「俺は本当に自分が恋をしているのか、分からないんだ」
 
 セノは途方に暮れた様子で椅子の背にもたれかかる。恋といえば甘く幸せなものだと決めつけ浮かれていたが、少々深刻そうな様子のセノに浮かれていたのが申し訳なくなる。そっと向かいの椅子へと座り直して話を聞くべく指を組む。
 
「と、いうと?」
 
「…この本には、想い人の事ばかり考えてしまったり、触れると鼓動が速まり体温が上昇したりするなどと書かれている」
 
 セノが本を開いてページを捲る。セノが指差す箇所の一文を読むと、確かにそのようなエピソードが書かれている。なんというか、本当に凡庸で恋愛小説入門には丁度良い本を見つけてきたんだなぁ。
 
「…セノはこの本のような恋はしていないってこと?」
 
「……職務中は余計な事を考えないようにしているが、それらを全うした後、気付いたら頭の中を彼女が占めている事はあるな」
 
 気付いたら考えてしまっているって、それはもう完全に恋じゃないか。職務中は考えないようにしているというところがセノらしいけれど…
 
「彼女に触れたらドキドキしたり、体が熱くなったりはする?」
 
 私がそう言うと、セノは机の上に自分の手を投げ出すかのように置いた。触れろ、という事だろうか。セノのゴツゴツした私の手よりもひと回り大きい手にそっと触れると、セノの指が私の指に絡む。所謂恋人繋ぎのように絡み合う自分達の手を見ていると、何だか私まで照れてくる。これはセノの言う彼女に触れた時と、ただの友達である私に触れた時の差を確認する為の行為だとしても、異性に手をこんな風に握られると、どうしたって落ち着かない。
 セノは目を瞑り、空いている方の手で自分の首筋に触れている。さっきもしていたこの行為は、もしかして脈と体温を測っているのだろうか。目を開けたと同時にセノが手を離す。どうだった?と首を捻ると、セノは確信を得たかのように少しだけ口角を上げて、嬉しそうに頷いた。
 
「やはり鼓動は速く、体温も高い」
 
「…ならもう答えは出たんじゃない?」
 
 セノが腕を組み、目を伏せる。考えを纏めているのだろうか。そんな彼を尻目に珈琲に口を付ける。もうすっかり冷めてしまったそれを飲みながら、色んな事が蘇ってくる。真面目で、堅物で、ジョークが面白くないセノ。大マハマトラとして色んな人に恐れられているけれど、彼がとっても仲間想いで優しい事は知っている。素敵なところが沢山あるセノだけれど、何となく、セノにはそういった浮いた話は一切無いのだと思っていた。どこか孤独の匂いがする彼が人を想う事は友人としてとても嬉しい。けれど、それと同時に焦燥感が込み上げてくる。この気持ちは何なのだろう。思わず自分の胸に手を当てる。セノに触れられてから、私まで鼓動が速い気がする。そんな事に今更気付いたって、セノは私に触れてもドキドキはしないだろうし、そういう相手はとっくにいる。そしてそれを気付かせたのは私だ。複雑な想いに心がざわつく。
 
「…ところで、何で私に相談を?」
 
 この妙な気持ちと雰囲気をどうにかしたくて口を開くと、熟考していたセノが顔を上げた。
 
「最初はティナリに相談したんだ。そしたらそんな事を聞くなと言われた」
 
「…まぁ、ティナリも男だしね」
 
「いや、そうじゃない」
 
 被せ気味にセノが言うものだから驚いて目を見開くと、セノの夕焼け色の瞳と目が合う。何かを決意したかのように真っ直ぐこちらを見るセノを見て、私も気が付いてしまった。もうセノは腹を括ったんだということを。
 
「そうじゃない?どういう事?」
 
 一応会話を続けてはいるが、全然頭に入ってこない。セノはこの後彼女の元へ行き、想いを告げるのだろうか。そう思うと何故かくらりと目眩がするようだ。セノが恋をしたと聞いた時は浮かれてしまったというのに、今の私は何故こんなにも落ち込んでいるんだろう。
 
「ティナリはそんな事を自分に相談するくらいなら直接彼女の元に行けばいいと言ったんだ」
 
「………ん?」
 
 考えに耽っていて話半分だったが、セノの言葉が引っかかり彼の言葉を頭の中で繰り返していると、考える間も無くセノの手が伸びてきて、珈琲の入ったティーカップの持ち手を摘んでいた私の手にそっと触れた。
 
「…やっぱりな」
 
「何が?」
 
 セノは私の問いに答える事無く、目の前に置かれた恋愛小説の表紙と私を交互に見た。
 
「この本には告白は早くした方が良いと書いてあったんだが、お前はどう思う?」
 
「……そうだね、気持ちを確信したなら早い方が良い気がするけど…」
 
 私が言い終える前に、セノが勢い良く立ち上がる。椅子が倒れんばかりの勢いに、私含め店内に居た客達までもセノの事を見ている。セノはというと、そんな周囲の視線などお構い無しに緋色の視線を一身に私へと向けている。突然立ち上がったセノに意味が分からずぽかんと口を開けて彼を見ていると、セノがゆっくり息を吸って、そして吐いた。
 
「お前が好きだ」
 
 静まり返る店内に、凛としたセノの声が響く。セノの見ているものといえばそれは私で、セノの視界の中には私以外の人は映っていないだろう。それはつまり、セノの好きな人は…
 
「…………わ、私!?」
 
「ああ。どうやら俺はお前の事が好きみたいだ」
 
 セノは相変わらずの仏頂面でさらりとそんな事を言った。え?じゃあさっき手を握ったあれは、友人である私に触れた時はいつも通りだが、想い人である彼女に触れた時は鼓動が速まり体が熱くなるという事ではなくて、ただ好きな人である私に触れて実験してみたという事?ティナリに私の事が好きかもしれないと相談したらなら本人に会いに行けば良いじゃないかと言われ、私に会い確かめに来てくれたという事?全てのピースが嵌れば嵌まるほど、私の体は灼熱の砂漠に放り込まれたかのように熱くなっていく。
 テーブルの上でもじもじしていた私の手にセノの手が重なる。セノの手が下りてきたかと思うと、私の手首をぎゅっと掴んだ。

「…お前も熱いし、脈が速いな」
 
 そう言うとセノはふっと笑った。返事をする必要はないみたいだ。だって、この鼓動と、この熱さが答えなのだから。
 
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