狼を懐柔

 星がよく見える、空気が澄んだ夜。こんな夜は研究も捗りそうだと温かい飲み物を淹れ、いそいそと机に向かうと、玄関の扉をノックする音が響いた。こんな時間の来訪者なんて一人しか思い浮かばない。そっと玄関の扉を開くと、暗闇の中見えた人影にやっぱり…と思うと同時に、浮かべている表情の恐ろしさに後退りをした。
 
「こ、怖!怖い顔!」
 
「…そうか?」
 
 慣れた動作で私の家へと入ると、夜半の来訪者であるセノは自分の頬へと手を当てた。セノは大マハマトラで、教令院の行き過ぎた研究をする研究者達から恐れられている存在だ。セノがただそこに居るだけで恐ろしくて逃げ出してしまう研究者もいるらしいし、確かに彼は黙っていると少々恐ろしく見られてしまうのも、何となく頷ける風貌をしている。それにしたって、今日のセノはセノの事を見慣れている私からしても恐ろしい表情をしている。自覚がないのか玄関の横の壁に取り付けてある鏡で自分の顔をじっと見ているセノに、そっと近付き後ろからセノの両頬を掴み横へと引っ張ってやった。
 
「……反応してよ」
 
 痛い、やめろ、くらい言うものかと思ったのに、セノは私にされるがまま何も言わず、まるで置物のように微動だにしない。セノの顔を覗き込むと、セノがちらりと私を見る。すると、はぁと深い溜め息を吐いて、セノは自分の頬を掴む私の両手を手に取った。くるりと体をこちらに向けると、セノは私の両手を自分の背中へと回させて、そして私の体をぎゅうと抱き締めた。突然の出来事に驚いて体が固まる。セノは私の首元に顔を埋めると、すーっと息を吸った。いや、そこであんまり息を吸われると匂いを嗅がれているみたいで恥ずかしいんだけど…
 それよりも、セノがこんな風に突然私を抱き締めてくるなんて何事だろう。付き合っているとはいえ、私がセノに甘える事はよくあっても、セノの方からこんな風に甘えてくるのは初めてだ。セノの背中に半強制的に回された自分の手をそっと動かしてセノの背を撫でる。もう片方の手で被り物越しにセノの頭を撫でると、セノがゆっくり顔を上げた。
 体を離したかと思うと、私の手を引いて部屋の奥へとずんずん進んで行く。ベッドの前で足を止めたセノは突然被り物を脱いで、それをテーブルの上へと置いた。ベッドの前で被り物を脱ぐセノ…それがどういう事を意味しているか分からない程子供じゃない。いや、でもその前に色々準備を…と、セノの方を見ると、セノががばりと私を抱き締める。勢い良く抱き締められたものだから、その勢いに負けて後ろへと倒れてしまう。頭ぶつけるかも!とぎゅっと目を瞑ったが、私の体はどうやらベッドへと倒れ込んでいたようだったので事なきを得た。それに、セノがそんな事を考えずこんな風に勢い良く抱き着いてくるわけがない。
 私の胸辺りに顔を埋めているセノは、どういうわけか微動だにしない。あ、あれ?と予想していた展開にならずセノの背をトントンと指で叩くと、セノが顔を上げた。
 
「…もう一度してくれないか」
 
「もう一度?」
 
 何を?と首を傾げると、セノは私の手を取って、その手をおずおずと自分の頭へと誘った。もしかして、被り物越しに頭を撫でたあれの事?
 セノの銀色のふわふわの髪を掻き混ぜるみたいにゆっくり撫でると、セノが気持ち良さそうに瞳を閉じる。被り物越しじゃなくて、直接撫でられたかったから被り物を脱いだのかな。そう思うとセノが可愛くて、愛おしくて口元が緩んでいく。そんな私に気付いたのか、セノが顔を上げた。
 
「……今日くらい、こんな事を強請る俺を許してくれ」
 
「うん、勿論。とっても疲れてるんだね?」
 
「…ああ」
 
 セノは体を浮かせたかと思うと、私の横へごろんと寝転がった。直ぐ隣にあるセノの顔をまじまじと見ると、目の下には隈が出来ている。それに親指の腹で触れると、セノが擽ったそうに目を瞑った。
 大変な仕事なのは理解している。それにセノは性格上無理をしてしまうところがある。タチが悪いのはその事に本人も気付かないという点だ。だから私みたいなセノの側にいる存在が彼をうんと甘やかしてあげないと。
 セノの方へと体を向けて、彼の体をぎゅっと抱き締めると、今にも寝てしまいそうに目をキツく閉じていたセノの瞳が開かれる。前よりも少し痩けた頬に唇を寄せると、セノの手が応えるかのように私の体に回る。セノの体をトントンと一定のリズムで軽く叩いてやると、セノの緋色の瞳が徐々に閉じていく。
 
「…もっと甘えて良いのに」
 
 真面目で頑張り屋なセノが好きだけれど、無理ばかりしているのを見ると心配になってしまう。もう一度セノの頭を撫でると、もう寝たと思っていた筈の彼の唇がゆっくり動いた。
 
「……十分、甘えているよ」
 
 そう言うと、セノはすぅすぅと寝息を立て始めた。寝言かな?と一人首を捻るが、きっと朝になって問うたところでセノに誤魔化されてしまいそうだ。少し開いたセノの唇にそっと口付ける。これくらい、甘えているうちに入らないよ?今度セノに甘え方を教えてあげなくちゃ。枕元にある蝋燭を吹き消して、セノの肩へ顔を埋めた。
 おやすみ。お疲れ。どうか、良い夢を。
 
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