不釣り合いなティータイム


 チェック柄のコースターの上に、お気に入りのマグカップを置いて、そこへと紅茶を注ぐ。ふわりと香る少しツンとしたセイロンの香りに心が落ち着いていく。電気を消して、蝋燭に火を灯して読書をする。少し冷える夜はこうして過ごすのが一番好きだ。紅茶が放つ湯気は見ているだけで暖かくなるようで、心地良い。
 しかし、その湯気の向こう側にいる男は、いつもの仏頂面を崩し怪訝な顔をしていた。
 
「……何?」
 
「臭い」
 
 そう言うと男は自分の顔にかかる紅茶の湯気を手でパタパタと払った。男は立ち上がると、ズカズカとキッチンへと足を踏み入れて、そして慣れた手付きで戸棚の中から珈琲を取り出す。私が呆気に取られている内に男は黒いマグカップを引き出しから取り出し、それに珈琲を淹れている。
 
「…人の家だって事忘れてない?」
 
「お前の家だという事くらい理解している」
 
「その方がタチ悪いんだけど」
 
 何を言っているんだ?とでも言いたげな視線を寄越しながらセノは黒いマグカップを手に持ち、私の向かいの椅子へと腰掛けた。折角お気に入りの紅茶を淹れてあげたというのに失礼な男だ!自分の紅茶もまだ飲み終わっていないけれど、これ見よがしにセノに淹れてあげた紅茶の入ったマグカップを持ち、一気に飲む。
 
「あっつ!」
 
「湯気が立つくらい熱いんだ。火傷するのなんて目に見えていただろう」
 
 珍しくつらつらと言葉を並べながら、セノが手を伸ばし私の口をこじ開ける。べ、と舌を出すと、セノは暫く私の舌を凝視していたが、問題なさそうだ、と言い、椅子に座り直した。
 
「で、今日は何の用なの?」
 
「別に、ただ寄っただけだよ」
 
 寄っただけ、か。チラリとキッチンの横にあるデスクへ目を向けると、セノも私の視線を追うかのようにそちらを見る。あのデスクは私の研究用のデスクだ。周りには書類やら、研究物やらで溢れかえっているのだが、セノが突然来るものだから片付けが間に合わず、それらの上に大きな布を掛けて隠してみた。まぁ、そんな事をしたところで無駄である事は分かっているし、見られて困る物もないのだけれど。
 
「…相変わらずだな」
 
 その言葉が私の心に影を落とす。俯いた私の顔がマグカップの中に入った紅茶にゆらゆらと映っている。眉尻を下げた、情けない、泣き出しそうな顔。
 
「そんな事を言いに来たの?」
 
 セノが勢いよく顔を上げたのが視界の端に映った。けれど、セノは何も言わなかった。こういう空気になると、彼はいつも黙り込み、言葉を探す。そしてこの沈黙に耐えられなくなった私から切り出すのがいつもの、いや、昔付き合っていた頃の私達のパターンだった。
 
 教令院時代に私達は付き合っていた。セノの落ち着いていて、優しいところが大好きだった。私達の相性は良かったと思う。だけど、素論派で、元素の研究に没頭していた私は、行きすぎる研究に何度も手を出してしまいそうになっていた。研究者ならば、研究課題の真理を暴きたいというのは誰だって持っている感覚だろう。結局、それらに手を出す事はしなかったけれど、そんな私をセノはいつも心配してくれていた。そんな中、セノがマハマトラになると言い出した。正義感が強くて一度決めた事は曲げない彼にはぴったりな職だと思った。しかし、それと同時に危ない橋を何度も渡りかけていた私が側にいるのは迷惑なのではないだろうかと思い、私達の関係は終わった。
 
 ただの友達、ましてや知人関係に成り下がったというのに、セノは度々訪問してきては一言、二言私と話すと帰っていく。いつもお茶を出そうとしても、すぐに帰るから良い、と言って飲んでいこうとしないのに、今日は珍しくお茶を淹れさせてくれたかと思えば私のお気に入りの茶葉を臭いと言って、そして慣れた手付きで珈琲を淹れる始末。珈琲の場所やマグカップの場所を分かっているセノを見ていると、正直色々堪える。
 
 一向に何も話そうとしないセノに観念して、またあの時のように私が何か話題を変えようと口を開きかけたが、どこかを見ていたセノが何かを決意したかのようにこちらを向いた。
 
「お前をそんな顔にさせたくて来たわけじゃない」
 
「……じゃあ、何?」
 
 私の問いにまたしてもセノは黙り込んでしまった。時計の秒針が動く音だけが私達の間に流れる。もう紅茶はすっかり冷めてしまって、湯気が消えてしまった事により、正面に座るセノの顔がはっきりと見えてしまって気まずくて仕方がない。
 何も言わないセノに痺れを切らして、もう一度紅茶を淹れ直そうとマグカップを持って立ち上がると、何故かセノも勢いよく立ち上がった。
 
「…ど、どうしたの」
 
「……」
 
「紅茶、淹れ直そうと思って」
 
 私がキッチンの方を指差すと、セノは黙って椅子へと腰掛けた。普通の人ならば気付かなかったかもしれないけれど、セノは小さく息を吐いていた。あれはセノが安堵した時にする行動だ。私が怒って何処かに行ってしまうとでも思ったのかな。ポットに水を入れ、火にかけながらセノの背中を眺める。頬杖をついてどこかを見ているその背中は、あの頃よりも少しだけ大きくなっているような気がする。だけど、ぶっきらぼうで、真っ直ぐで優しくて、あまり話が得意じゃないところは変わってないんだね。
 お湯が沸いたのでもう一度紅茶を淹れてセノの向かいに座ると、また私達の前に湯気が立ち上る。それを見つめていると、セノの手が伸びてきて、紅茶の入った熱々のマグカップをずいと横へとズラした。
 
「…何で?」
 
 今日の私は疑問ばかりぶつけているような気がする。でも仕方ないのだ。セノが不可解な事ばかりするのだから。
 
「お前の顔が湯気で見えない」
 
「…私の顔なんて見てどうするの」
 
「どうもしない。ただ見ていたいんだ」
 
 なんだそれ。顔に熱が集まるのが分かって、横に退けられたマグカップを真ん中へと戻す。すると、セノの手がまた伸びてきた。同じ事をされたところで、私だって同じ事を繰り返すんだからと思っていると、セノはマグカップを持ち上げ、その中の紅茶を一気に飲み込んだ。
 
「ちょっと!それ熱々だよ!?」
 
「……ああ、熱かった」
 
「馬鹿!」
 
 セノがさっき私にしたように、私もセノに手を伸ばしてセノの口の中を見る。私が何も言わなくてもセノはパカっと口を開けてべ、と舌を出した。ちょっとだけ舌が赤くなってる…当たり前か…というかあんなに熱々の紅茶を飲んだというのに爛れてもないセノの口の中は一体どうなってるんだ。
 
「異性の前で不用意に舌を見せたりしない方が良い」
 
「…自分の事言ってる?」
 
「お前の事だ」
 
「…セノも見せてたじゃない」
 
「お前だから見せたんだ」
 
 その言葉に目を見開くと、セノの夕焼けを溶かしたみたいな瞳が私を射抜く。ぐいっと腕を引っ張られて机に乗り上げそうになる。どういう意味?と聞く程馬鹿でも鈍感でもない私はただただ顔を赤くする事しかできない。
 
「意味が分かるか?」
 
「……口説いてる?」
 
「ああ」
 
 被せ気味に肯定され、居た堪れなくなる。赤い顔を見られたくなくて腕を持たれたまま机に突っ伏すと、セノがふっと笑ったような気がした。
 
「もう一度、お前に交際を申し込みたい」
 
「………でも私、研究に没頭しすぎちゃうかも…そしたらセノ、私の事捕まえなきゃいけなくなっちゃうよ?」
 
「お前は俺に裁かれるような行き過ぎた研究はしない」
 
「……そうかな」
 
「ああ、俺が保証する」
 
 セノの手に力が入る。信じている、とでも言いたげに。おずおずと顔を上げると、眉間に皺を寄せたセノが私をジッと見ていた。焦ったような顔に、多くなる口数。セノらしくないなと思うと何だか少し笑えてきた。
 
「……何を笑っている」
 
「…いや、別に…」
 
「……俺は柄にも無く焦っているんだが」
 
 はぁ、とセノが溜め息を吐く。焦っているのか、あのセノが。確かに柄でも無い。私の腕を握るセノの手の上にそっと手を重ねてみると、セノの目が一瞬だけ見開いたような気がした。
 
「…じゃあ、これからはセノに捕まらないように研究は程々にしないとだね」
 
 これが私に出来る精一杯の返事だ。恥ずかしくてセノの顔が見れない。しかし、セノはまたしても黙り込んでしまったのか何も言葉を発しない。顔を上げてセノの顔を見ると、それはもう、柄にも無い色に染まっていた。
 
「……紅茶を淹れてくれないか?」
 
「…嫌いなんでしょう?駄目」
 
 赤い顔を隠す口実に使われた紅茶は今、セノのお腹の中にあるじゃない。
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