夜半の咆哮


 寂しそうな顔をしていたよ、と頭上にある大きな耳を撫でながらティナリはそう言った。
 
 ティナリとセノとそして私。教令院時代からの友人で、たまに集まってご飯を食べたりなどしていたのだが、お互いの仕事の都合もあって、セノと私は長い事顔を合わせていない。
 セノは大マハマトラで、教令院に属していた身からすると、マハマトラという名を聞いただけで震え上がってしまう研究者の気持ちも分からなくもない。けれど、今はもう教令院とは関係のない立場にいる私からすると、セノの仕事は大変で、そして恨みを買いやすい仕事だなと時折心配になる。偶然顔を合わせたティナリから告げられた、セノが寂しそうな顔をしていたという言葉に胸がチクチクと痛んだ。
 セノは真面目で、責任感が強い。見た目の割に優しい一面があって、場を和ませようとジョークを言ったりもする。(面白くはないけれど)職業上、仕方のない事なのかもしれないけれど、仕事の愚痴や、悩み事などを聞いた事もなく、だからこそティナリの言っていた言葉が引っかかる。
 孤独に、知識を追い求めすぎる者たちを粛清しているのだろうか。部屋の窓から月明かりに照らされたスメールシティを見つめる。スメールには教令院と砂漠の民との間に格差のようなものがある。一市民の私からしてもこの国の歪みは感じ取れる。けれど、そのもっと内側を知っていて、そしてそんな歪みと直接対峙しなければいけないセノの苦労は私なんかじゃ計り知れないだろう。
 ふと、遠くから私の家まで歩いてくる影を見つけた。その頭上には大きな耳が生えていて、ティナリが何か言い忘れてわざわざ私の家まで来てくれたのだろうかと、私は階段を駆け下りた。
 
「…久しぶりだな」
 
 玄関の扉を開けると、そこに居たのはティナリではなくて、長い前髪の隙間から夕焼けのような瞳を覗かせたセノだった。さっきまで頭の中を占めていた人物の突然の登場により、驚いて何も言えずに固まっていると、セノが不思議そうに首を捻った。
 
「どうした?幽霊でも見たかのような顔だぞ」
 
「…そ、そうだね」
 
 久しぶり、と遅れて返事をすると、セノは満足そうに頷いた。こんな時間に一体どうしたのだろうか。セノの言葉を待つが、いつまで経っても彼は何も話そうとしない。痺れを切らして、玄関の扉を大きく開けて中に入るように促すと、セノは遠慮がちに私の家の扉を潜った。
 
「お茶淹れるね」
 
 セノは頷き、ソファへと腰掛けるとどこかをぼーっと見ているようだった。ティナリの言葉が反芻する。寂しそう、か…というよりも、とても疲れているように思える。お茶を持ちセノの前に置くと、セノは「ありがとう」と言って、そしてまた視線をどこかへと向けた。セノの隣にそっと腰掛けてもう一度彼の言葉を待ってみるが、またしてもセノは何も話さなかった。どうしたものかと彼の顔を覗き込んでみると、私の視線に気付いたのか、セノの目が少しだけ大きく開かれる。
 
「なんだ?」
 
「それ、こっちの台詞。何かあったの?」
 
 何となく、事の経緯はティナリから聞いている。とある大規模な組織を短期間でセノが壊滅させたらしい。詳しい事はティナリも聞いていないらしい。まあそれもそうだ。マハマトラという職は人に言えないような機密事項を取り扱っている。案の定、言いにくそうにセノは視線を逸らすと、顎に手を当てて考え込んでしまった。私にも話せる範囲で良い感じの例えを盛り込み話してくれるのだろうか。自分にも淹れたお茶をふーふーと冷ましてそれを待っていると、セノがパッと顔を上げた。
 
「ナマエの顔が見たくなった」
 
 飲んでいたお茶を噴き出しそうになった。そんな私の様子を見て「大丈夫か?」と本当に心配しているのかと言いたくなるような真顔のセノを睨みつけてやろうかと思ったが、やめておいた。どうしてそうなったのかは分からないけれど、要約しすぎでしょう。心臓に悪い…お茶の入ったコップを私が机の上に置くのと同時に、セノが立ち上がる。
 
「夜分遅くにすまなかった。そろそろ行く」
 
「えっ、まだ来たばかりじゃない。もう少しゆっくりしていけば?」
 
 つられて私も立ち上がると、セノは少しだけ目を細めた。不意に見えたその表情は寂しげで、心配そうな顔をしていたティナリの顔が思い浮かぶ。
 
「…どうした?」
 
「え?」
 
 目を丸くしたセノが自分の腕を持ち上げる。何故か私の手はセノの腕を掴んでいて、自分でも無意識のうちにしていたその行動に驚いた。
 
「ご、ごめん」
 
 慌てて手を離そうとしたが、素早くセノの手が私の手を取る。え?と思ったと同時に私の鼻先はセノの肩へとぶつかった。ツンと痛む鼻にセノの香りが広がる。繋がった手の温もりと、そして肩に掛かる重み。気が付けばセノは私の肩へと顔を埋めていた。
 
「…セノ?」
 
 声を掛けてみるが返事がない。ピクリとも動かないセノに具合でも悪いのだろうかと心配になるが、どうにも、そういう事ではないような気がした。そっと手を伸ばしてセノの背に触れると、セノの体が緊張するかのように少しだけ跳ねるのが分かった。セノの背を二、三度撫でたところで、セノはゆっくり顔を上げ、私から数歩離れた。
 
「…ありがとう。もう行くよ」
 
 くるりと後ろを向いたセノの表情は分からなかった。けれど、先程よりも少しだけ声色が明るいような気がする。
 何かあったの?力になるよと言ったところでセノは何も話さないだろう。それはティナリも私もよく分かっている。平気なように見えるけれど、セノだって人間だ。背負っている物の大きさに耐え切れなくなってしまう時だってあるだろうし、自分の進む道が本当に正しいのか分からなくなってしまう時もあるだろう。そんな時に、少しでも彼の負担が軽くなるような存在になれたら良いな。
 
「…また寂しくなったら来てよ」
 
 扉を開けようとしていたセノの手が止まる。視線だけをこちらに向けると、セノがふっと笑ったような気がした。
 
「…その時は頼む」
 
 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -