エーデルワイスの揺りかご


 朝露に濡れた植物の匂いで目が覚めた。この匂いは私にとっては毒だ。あの人を思い出すから。こんな朝は目が覚めると決まって頬が濡れていて、胸が握り締められたかのように痛いんだ。
 まだ太陽も目を覚ましていないような薄暗い外の景色を見やる。鳥の声も、虫の声も聞こえない。なのに仄かに明るさを帯びているこの時間の風景は、まるで巡る時間の中から取り残され、切り取られた空間のようだ。自分みたいだと、安心する。なのに窓を開けると香ってくるこの匂いを嗅ぐと苦しくなるのだから困ってしまう。
 
 彼と、ティナリと別れて一年が経つ。もう一年も経ったというのに未だ彼への未練を断つことができていない。例えばこっぴどく振られたとか、お互い好きな人が出来たとかなら仕方ないと割り切れるだろう。けれど、私達が終わった理由は私が弱かったから。それだけの事だ。
 教令院の様々な人達から才能を買われてきたティナリの隣に居るのが辛くて、私なんかじゃ不釣り合いだと考えては自信を無くしていった。別れようと告げた時のティナリの顔が忘れられない。驚きと悲しみに満ちたようなあの表情が脳裏にこびりついている。それから私は引っ越して、できるだけ彼の顔を見ないように研究拠点も変えた。彼はというとガンダルヴァー村のレンジャー長になったらしい。教令院に残るようにと引き留められたようだが、それを断ったとも聞いた。自然や植物を愛するティナリらしい選択だと思った。周囲の意見に流されず、自分をしっかり持っているティナリのそういうところが大好きだった。
 
 こんな朝に考えるのはいつもティナリの事ばかりで、徐々に顔を見せ出した太陽を眺めながら溜め息を吐くと、家の外で何やら物音がした。こんな朝早くに来客?そんなわけないか。動物が外壁にぶつかった音か何かだろう。けれど、もしこれが金銭を狙ったエルマイト旅団の悪い奴等だったりしたら大変だ。慌てて上着を羽織って、玄関扉の覗き穴からそーっと外を確認する。しかし、そこには誰もおらず、やはり動物か何かの仕業だったのだろうとひと息ついて扉を開けると、ポストの中に手紙が投函されていた。これが投函された音だったのかと胸を撫で下ろし手紙を取り家の中へと入る。それにしても、こんな朝早くから手紙の配達なんてしているのかな?疑問を浮かべながらも手紙を開封すると、私の名前と、そして手紙を送ったであろう人物の名が書かれていた。
 
「リナ?」
 
 誰?今まで関わった色んな人物を思い浮かべるが、リナなんて知り合いはいない。首を傾げながら手紙の内容を読んでいくと、そこにはパルディスディアイに私が持っている薬草を持ってきてほしいと書かれていた。自分は研究者で、私の持つ薬草がどうしても欲しい、と。
 悪戯かと思ったが、もし変質者からの手紙ならパルディスディアイにわざわざ私を呼び出したりなどしないだろう。日時は今日の夕方と書かれている。丁度何の予定も入っていないし、足を運んでみようかなと考えながらもう一度手紙をざっと読み直す。整った綺麗な字だ。どこかで見た事があるような筆跡だが、教令院に属していて、同じ生論派なら論文などで目にした事があるのだろう。顔も知らない彼女に届けるべく、私は引き出しから薬草を取り出して、それをリュックの中へと入れた。
 
 ◇
 
 パルディスディアイはいつ来ても美しく、誰もがこの庭園を見ただけで心躍る事だろう。そんな美しい庭園を視界の端にちらつかせながら、誰か知り合いはいないだろうかと周りを見渡す。もし顔見知りの一人や二人でも居れば、手紙の送り主であるリナという人物の元へと案内してもらえるのに…
 そんな事を考えながら歩いていると、学生時代に何回か言葉を交わした男性を見つけた。ああ、良かったと思い彼に近付くと、彼も私の事を覚えてくれていたのか「久しぶりだな」と声をかけてくれた。
 
「リナって人から呼び出されたんだけど、どこにいるか教えてくれない?」
 
 すると、彼は眉間に皺を寄せ、腕を組んで「…リナ?」と心当たりがない様子を見せた。
 あれ?やっぱりあの手紙は悪戯だったのかな?折角足を運んだのにと肩を落としかけると、そんな私の肩を誰かがポンと叩いた。
 
「その人なら僕が知ってるよ。案内してあげる」
 
 聞き覚えのある声に勢いよく振り向くと、そこには微笑みを浮かべたティナリが立っていて、その顔を見た途端心臓がドンッと大きな音を立てた。
 
「……ティナリ」
 
「こっち」
 
 私の腕を引くと、ティナリはガラス張りの建物の中へと足を踏み入れた。ずんずんとその中へ進む彼の背中を呆然と見ていると、ふいにティナリが振り返って、なぜか悪戯っぽく笑った。
 
「…久しぶりだね」
 
 言葉通りの意味だけではない事を察して思わず俯くと、私の腕を引くティナリの手に少しだけ力が込められる。ガラス張りの建物の奥へと辿り着くと、そこにいた機械に何やらティナリは話しかけている。
 
「カカタ、誰か来たら教えてね」
 
 カカタと呼ばれた機械はまるで返事をするかのように音を立てると、ティナリの指示通り入口の方へと向かって行った。
 この建物の中にはティナリと私しかいないようだが、リナという人の元へ案内してくれると言っていたのに、一体どういう事なのだろうか。キョロキョロと周囲を見渡していると、そんな私を見てティナリは小さく息を吐いた。
 
「リナなんて人は此処にはいないよ」
 
「え?」
 
「君に手紙を送ったのは僕だよ」
 
 悪びれる様子もなくそう言うティナリに目を見開く。あの手紙を書いたのはティナリで、リナというのは架空の存在?何でこんな事を?という意味を込めてティナリを見ると、さっきまで笑みを浮かべていたティナリの顔に影が掛かる。
 
「…君を呼び出す為に決まってるだろう」
 
「私を?」
 
 ティナリは小さく頷くと、私の顔をジッと見てから深い深い溜め息を吐いた。顔を見て、溜め息を吐かれた。何となくショックを受けて固まっていると、ティナリは「ああ、もう!」と急に大きな声を出した。
 
「意味が分からないって顔してるけどさ!一年前急に別れてってだけ告げて翌日には姿をくらました君の事、僕がどう思ってるかとか考えた事ある!?」
 
「……恨んでる?」
 
「違うよ、バカ!」
 
 めくじらを立てるティナリから一歩、二歩と下がるが、ティナリはずんずんと距離を詰めてくる。ティナリは優しげな顔をしているけれど、意外と毒舌で気が強いところがある。彼から久しぶりに言われたバカ!という言葉が頭の中でぐるぐると回る。それは嫌だとか怖いというわけじゃなくて、付き合っていた頃に私がおかしな事を言ったりするとよく言われていた言葉で、懐かしさに少し心が揺れる。
 徐々に後ろへと下がっていたら、背中が壁へとぶつかった。逃げ場を無くした私は恐る恐るティナリの顔を見ると、めくじらを立てていた筈の彼の顔はどこか寂しげなものへと変わっていた。ジッと私を見ていたかと思うと、ティナリの視線が私の背負っていたリュックへと移る。
 
「…まだあの植物学の本持ち歩いてるの?」
 
「う、うん…」
 
 リュックを下ろしてその中から植物学の本を取り出す。この本は私が昔からよく愛用していたもので、今は廃盤で手に入れる事ができない。ティナリもこの本をとても気に入っていて、度々見せてほしいと頼まれていたっけ。本をティナリへと差し出すと、ティナリがパラパラと本を捲っていく。何かを探すかのように頁を捲るティナリをぼんやり見ていると、ティナリの動きがある頁でぴたりと止まる。
 
「…あ!」
 
 そこからぴょんと飛び出した栞を目にした途端、私はそれを勢いよく引っこ抜き、自分の懐へと仕舞い込んだ。
 これは昔ティナリから貰った珍しい花が挟まれている彼の手作りの栞だ。み、見られた?こんなもの持っているなんて未練タラタラなのがバレてしまう。顔に熱が集まって、ティナリの顔を見る事ができない。俯く私と、なぜか黙ったままのティナリ。気まずい空気にこのまま逃げ出してしまおうかと考えを巡らせていると、ふわりと水々しい植物のような香りが広がった。
 
「…同じ気持ちなのかな」
 
 顔を上げると目の前にティナリがいて、至近距離で久しぶりに見る彼はどこか物憂げな顔をしていた。ぽつりと呟かれた言葉は振り出した雨音のように小さくてよく聞き取れなかった。
 
「ねぇ、君はもう僕の事好きじゃないの?」
 
 一番聞かれたくなかった言葉を投げかけられ、頭を殴られたかのような気分だ。そんなの、好きに決まっているじゃないか。でも、ティナリといると自分がちっぽけなものに思えて、自信を無くして、消えてしまいたくなる。大好きだけど、一緒にいると辛い。その事に気付いてしまったから私はティナリの隣にいる事ができないと判断したんだ。
 
「…うん」
 
 絞り出した声は掠れていて、小さくて、ティナリに聞こえているか分からなかったけれど、彼がそっと私から離れたのが分かって、ああ聞こえていたのかとなぜだか後悔の念が押し寄せた。鼻の奥がツンとして、泣いてしまいそう。
 
「……分かった」
 
 色々なものを堪えているかのようなティナリの声に目の前がぼやけていく。こんな思いをするくらいなら彼の手を取れば良いのに。だけど、ティナリに私は勿体ないんだ。彼は色んな人から求められる人。私はそうではない人。そう自分に言い聞かせてゆっくり息を吐く。けれど目の前はぼやけていく一方だった。
 
「こんなところまで呼び出してごめん。…またね」
 
 ティナリの手が私の頭をゆっくり撫でる。優しくて、あたたかい手。瞬きをひとつすると、目からとうとう零れ落ちてしまったそれをティナリが掬い上げる。
 
「…ごめんね、ごめん、ティナリ…」
 
 ティナリはもう一度私の頭を撫でると、建物の外へと出て行った。
 
 ◇
 
 一睡もできず、夜が明けた。薄暗い外の景色を見て、そして窓を少し開けて切ない気持ちにまさか連日なるとは思わなかった。いや、昨日よりもうんと胸が苦しいのはティナリの妙な表情が頭にこびりついて離れないからだ。昨日は急にティナリと会って動揺していたけれど、今冷静になって考えてみると、偽名を使って私を呼び出したり、もう好きじゃないの?と聞かれたり、まるでティナリは私の事を…と、そこまで考えたところで勢い良く頭を横に振って思考を遮断した。だめだ、これ以上考え込んでいると、都合の良い事ばかりが浮かんでしまいそう。もう彼と会わないと、一年前に決めたのは私じゃないか。
 ベッドの上で正座して頭の中を整理していると、玄関の呼び鈴が音を立てた。今は明け方。昨日と違ってポストに手紙が入ったわけじゃない。こんな朝早くから誰かが私の家の呼び鈴を鳴らしている。え、怖い!何?驚きのあまりベッドから飛び降りると、もう一度呼び鈴が音を立てる。そーっと扉へと近付いて覗き穴から外を見ると、そこには見覚えのある黒い大きな耳が二つぴょこりと聳え立っていた。
 
「…ティ、ティナリ!?」
 
 勢いよく扉を開けると、扉にぶつかりそうになったティナリが「わあ!」と声を上げた。ごめん、と言いかけたが、いや、なんでここにいるの!?扉を押さえながらやれやれといった様子でごく自然に家へと入ってくるティナリをぽかんとしながら見ていると、ティナリがそんな私の顔に気付いてくすりと笑った。
 
「なんで来たの?って顔をしてるね」
 
「…それはそうだよ…だって昨日会ったばっかりなのに…」
 
「またね、って言っただろ?もう少し時間をおいてから来ようと思ったんだけど、その間にまた行方をくらまされたら僕の努力が水の泡になるからね」
 
 ソファの右側に腰掛けると、ティナリは足を組んで肩を竦める。ティナリは私といる時、いつも右側に座っていた。少し首を傾げて私の顔を覗く彼の顔が好きだったなとティナリの姿を眺めながら昔の事を思い出していると、私が余計な事を考えていると思ったのか、ティナリが頬を膨らませる。
 
「昨日から思ってたけど、僕ばっかり喋ってるね。君は何かないの?久しぶりの恋人との再会なのにさ」
 
「…恋人って…もう私達は…」
 
「僕は別れようって言う君に返事をした覚えはないけど?」
 
 部屋の入り口で立ち尽くす私をティナリはまるで試すかのように見ている。
 あの時、別れようとティナリに告げて、泣いてしまいそうだった私はその場から急いで離れたんだった。そういえばその時のティナリの表情は覚えているけど、彼が私に何かを言った覚えはない。
 
「すぐに君を引き止めなかった僕にも責任がある。だけど、僕としては君にも考える時間が必要かなと思ったんだ。数日経てばやっぱり別れるのは無しって君の口から聞ける自信があったわけだし」
 
 それほど私がティナリを好きだったという事を、ティナリも分かっていたという事だろう。
 天を仰ぐと、ティナリはあの時の事を思い出しているのかゆっくり息を吐いた。
 
「なのに、なかなか僕の元に来ないもんだから会いに行ってみたらもぬけの殻になってるし、誰も君の居場所を知らないし、レンジャー長の仕事は忙しいやらで探すのに一年もかかったよ」
 
「…ごめん」
 
「もうそれ、聞き飽きたんだけど」
 
 確かに私はティナリと再会してから謝ってばかりだ。でもそれ以外になんて言ったら良いかなんて分からない。その場で膝を抱えて座り込んでしまいたくなるような気分になっていると、ティナリが溜め息混じりに笑った声が聞こえた。
 
「……こっち来たら?」
 
 ティナリは頬杖をついていない方の手を私の方に緩く伸ばした。それを見た途端、胸がきゅうっと苦しくなる。ゆっくりティナリへと近付いて彼の前で立ち止まると、朝焼けのような彼の瞳に私の情けない顔が映る。そっと腕を引かれたのでティナリの隣へと腰掛けると、なぜかティナリが私に覆い被さるかのように近付いてくる。
 
「ちょ、ティナリ!?」
 
 迫ってくる彼の顔から逃げるかのように身を逸らしていたが、気付けば私の背中はソファにくっついていて、ティナリの顔が目前にある。押し倒されたかのような体勢に慌てて起き上がろうとするが、そうするとティナリの顔との距離が今よりもうんと近くなってしまう。なす術なくその場で固まっていると、ティナリが私の髪を一束掬い上げて、それをまじまじと見た。
 
「…全然手入れしてないじゃないか」
 
「……だって」
 
「だって?」
 
「この一年、余計な事考えたくなくて、研究に没頭してたんだもん」
 
 ティナリが目を見開く。私の髪から手を離すと、ティナリの手が私の頬にそっと触れた。ティナリは眉をぎゅっと寄せると、苦しそうな顔で私を見た。
 
「…それって、自惚れても良いの?」
 
「え?」
 
「…僕に釣り合おうと君が努力してくれたって風に捉えても良い?」
 
 釣り合おうと、という言葉にハッとする。もしかして、ティナリは私がティナリに別れを告げた理由を知っていたのだろうか。驚く私の表情を見ると、私の考えている事が分かったのか、ティナリがゆっくり頷いた。
 
「…言っておくけど、僕は君が僕に不釣り合いだなんてそんな馬鹿馬鹿しい事思ってないから」
 
「…」
 
「君から別れようと言われて、ようやく僕は君の事をとやかく言う奴等の存在に気付いたんだ」
 
 そんな風に言われていた事をティナリに知られていたなんて、情けなさと羞恥心でどうにかなりそうだ。至近距離にあるティナリの顔から目を逸らすと、まるで逸らすなと言うかのようにティナリの手が私の顔を自分の方へと向ける。
 不釣り合いだと言われティナリから離れた私は、彼に釣り合う女になるよう研究に没頭した。研究の事を考えている時はティナリの事を忘れられたし、ごちゃごちゃと嫌な事を考えなくて済んだからだ。釣り合えるようにと以前よりも力を入れるように始めた研究を、彼の事を考えないようにする手段とするなんて甚だ矛盾している。結局、数々の研究成果は出せたが、ティナリに釣り合う女になったかは分からない。たかが一年の努力で才能溢れる彼の隣に並べるのかといえば違うような気がする。だって、私が進んだ分、ティナリも進んでいるのだから。
 
「そんな奴等の言う事なんて気にしなければ良い…」
 
 その言葉がぐさりと私に刺さる。そう言えるのはティナリの立場だからだ。私のように恋人と不釣り合いと言われた者の事を、ティナリは分からないじゃないか。鼻の奥がツンとして、じわりと涙が滲み出す。すると、ティナリは私の唇の前に自分の人差し指を立ててふっと笑った。
 
「…なんて、言われたところで何の救いにも、解決にもならないよね」
 
「…え?」
 
「気にしないでいられたなら君だってそうしてる筈だ。けど、我慢の限界がきたから今の道を選択したんだろう?」
 
「……うん」
 
 力無く首を縦に振ると、項垂れる私の頭をティナリがゆっくり撫でてくれた。私の心情を手に取るかのように分かってくれるティナリに、嬉しいような、恥ずかしいような、情けない気持ちになる。
 
「…ティナリは魔法使いみたいだね」
 
「ええ?何で?」
 
「私の事、全部理解してくれてるもの」
 
 ティナリは私に覆い被さっていた身を起こすと、隣に腰掛けて屈託無く笑った。
 だって、本当の事だから。ティナリと居ると嬉しくて、楽しくて、だけど少し苦しい時もあって、まるで魔法に掛けられているみたい。そう思ったのは事実だけど、魔法使いみたい、だなんて子供っぽい発言だったかな?じわじわと恥ずかしさが滲んできて変に緊張していると、隣に座るティナリがはぁ、と大袈裟に溜め息を吐いた。
 
「恋人の心を取り戻す事さえできなくて、何が魔法使いなのさ」
 
「……それは」
 
 なんと言ったら良いのか分からず口籠ると、ティナリが困ったように笑う。
 
「ひとつ、提案があるんだけど」
 
 提案?顔を上げてティナリを見ると、ティナリは口元に笑みを浮かべながらもその顔は少し緊張しているようだった。

「君の一年の成果を僕に見せてほしい」
 
「…研究のって事?」
 
「……うーん、そうだなぁ」
 
「論文なら幾つか書いたけど…」
 
 立ち上がり引き出しの中にある論文を取りに行こうとすると、ティナリが私の手を引いて「もう!違うよ!」と声を上げた。驚いて目を丸くすると、ティナリが長く、細い溜め息を吐く。わけが分からず首を傾げると、ティナリは私の手を引いて私をもう一度自分の隣へと座らせた。
 
「…遠回しに言った僕が悪かった…」
 
「遠回し?」
 
「もう一度やり直そうってこと」
 
 少し顔を赤くしたティナリを見て、その意味をやっと理解する。で、でも…と、この一年堂々巡りの頭の中の言葉を少しずつ声に出そうとしたのに、ティナリは私の両肩に手を置いたかと思うと、そのまま私の体を引き寄せた。半開きになった私の唇に、ティナリの唇が重なる。「黙って」とでも言いたげな口付け。突然触れた唇と久しぶりに感じるティナリの体温に弾かれたかのように鼓動が速くなる。そっとティナリは唇を離すと、驚いて目を開いたままの私の顔を見てくすりと笑った。
 
「…良いよね?」
 
「……でも…」
 
「僕の事がまだ好きだって顔に書いてあるのに?」
 
「……書いてない」
 
「書いてあるよ」
 
 ティナリの手が私の背中へと回る。まるで確かめるかのように背に触れると、ティナリは私の頬に何度もキスをした。擽ったくて、恥ずかしくて顔を背けようとするが、ティナリの腕がそれを許してくれない。観念してティナリの肩口に顔を埋めると、ティナリが笑ったような気配がした。
 
「また嫌になったらその時は一人じゃなくて、二人で考えよう」
 
「………うん」
 
 小さく頷くと、ティナリの手が私の頭を撫でる。ごちゃごちゃ考えていたのに、ティナリに会い、ティナリの体温を感じたら簡単に絆されてしまった。それくらい、私はティナリの事が変わらず大好きだという事なんだろう。
 
「…もう二度と、逃がす気はないけどね」
 
 ぽつりと呟かれた言葉は上手く聞き取れなかった。え?と言って顔を上げると、ティナリはもう一度私の唇へ口付けを落とした。
 
 朝露に濡れた植物が目を覚ます。もう夜明けに怯える事はない。
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