きのこ取りがなんとやら


※お手柔らかにお願いしますの続きです

「バカ!違うよ!」
 
 ガンダルヴァ村に怒声が響き渡る。その声の主は大きな耳をぴんと立てて、両手にはきのこを持ち、そして私の前で険しい顔をしている。もう何度目か分からないお叱りに俯くと、机の上に広げていたきのこ全集と目が合った。
 毒きのこを調理し、死にかけた私はこの村のレンジャー長であるティナリに、きのこ全集を丸暗記するまで村から出てはいけないと言われている。案の定順調なわけはなく、同じような見た目なのに性質が全く違うきのこを覚える事ができず悩まされていた。毎日のように夢にはきのこと顰めっ面のティナリが現れて、やや寝不足気味な気がする。
 私が肩を落とすと、ティナリは小さく溜め息を吐いて「休憩にしようか」と家の外に出た。すると、遠くの方から「ティナリさーん!」と複数の村人の声が聞こえる。何事かと私も慌てて外へと出ると、ある一人の村人の手には見覚えのないきのこが握られていた。

「……見た事ないな」
 
「えっ」
 
 きのこ全集を丸暗記していてかつどのページにどのきのこが載っているのさえスラスラと答える事ができるティナリでさえも見た事がないきのこ!?思わず声を出してしまった私をチラリとティナリが見る。「あのティナリレンジャー長でさえも見た事がないきのこがあるなんて!」ときのこを手にした村人は興奮気味だ。
 詳しい話を聞くと、璃月の層岩巨淵とスメールを結ぶ森の近く、つまりはこのガンダルヴァ村の近くでこのきのこは見つかったらしい。ティナリの考察によると、層岩巨淵は謎の多い未知の場所で、そこの何かが影響し、元々あったきのこが姿を変えたのがこのきのこではないかという事だ。
 
「これは僕が預かるよ。危険なきのこだったら大変だからね」
 
 きのこを持ってきた村人も、騒ぎを聞きつけた村人達もうんうんと首を縦に振る。ティナリの目の届く範囲で、見た事のないきのこをどうにかしようだなんて考える人はいないだろう。つられて私もうんうんと首を縦に振る。部屋に戻りきのこ全集のページを捲り、先程のきのこと同じような見た目をしたきのこを探す。なんとなくこれっぽいなというページを見つけたが、この事をティナリに伝えて白い目で見られるのは懲り懲りだ。そっと本を閉じようとしたが、黒い手袋を履いた指がそれを拒むかのようにきのこの載った写真を指差した。
 
「君にしては鋭いね。確かにこの謎のきのこは、このページのきのこが姿を変えたものだよ」
 
 やるじゃないかとでも言いたげにティナリが口角を上げる。初めて褒められた気がする…と感動に浸っていると、ティナリはどこからか水を持ち出し、不思議きのこをばしゃばしゃと洗い始めた。
 
「何してるの?」
 
「食べてみようと思って」
 
 た、食べる!?思わず飛び上がると、慌てる私を見てティナリは不思議そうに首を傾げる。未知のきのこを食べるだなんて危なすぎる。それは私自身、身を持って実感しているし、それにティナリこそその恐怖を知っている筈だ。私の言いたい事が分かったのか、ティナリは得意気に笑うと、部屋の外を指差した。
 
「大丈夫だよ。何かあったら数十分後にコレイに様子を見にくるように頼んであるからさ」
 
「いやいや!もし毒きのこに変異してたらどうするの!?」
 
 今にも口にしそうなティナリの手を掴んで止めると、ティナリは少し驚いたかのように目を見開いたが、一瞬でいつもの表情へと戻り、ふっと何かを悟るかのように笑った。
 
「大丈夫だよ。経験上、毒はないと思う。まあ…君が言うように危険は伴うよね。でも好奇心には抗えないんだ。研究者の性ってやつかな」
 
 ティナリはそう言うと、未知のきのこを口へと運んだ。あっ!と思ったがもう遅い。ど、どうしよう…もし何かがあったらすぐにコレイちゃんを呼びに行って…と考えていたが、ティナリの様子は変わらない。変わらず無表情の彼の顔を覗き込むが、顔色も悪くないし、いつも通りに見える。
 
「ティ、ティナリ?大丈夫?」
 
 きのこを飲み込んでから何故か一言も言葉を発する事がないティナリに心臓が大きな音を立てる。何か症状が現れ始めているんじゃないだろうかと彼の顔を注意深く観察していると、どこかをぼーっと見ていたティナリの瞳が動いて、私を見た。
 
「…君って物覚えが悪いけど、可愛らしいよね」
 
「…………え?」
 
 突然ティナリの口から放たれた「可愛らしい」という単語に頭が真っ白になる。バカは言われ慣れているけど、可愛らしいなんて初めて言われた。固まる私と同様に、ティナリも目を見開き固まっている。すると、ティナリは慌てて口元を押さえて顔を赤らめた。何が起こっているのかと呆然としていると、ティナリが小さな声で何かを話している。やはり具合でも悪いのだろうかと耳を傾けると、ティナリはまるで近付かないでとでも言うかのように、掌を私へと向けた。
 
「いつも厳しい事ばかり言ってしまうけど、本当はもっと優しくしてあげたいと思ってるんだ」
 
 口を押さえているから微かにしか聞こえなかったけれど、聞き間違いではないらしく、ティナリの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。ぶんぶんと、ティナリが首を横に振ると、大きな耳も横に揺れる。よく見たらいつもはほんのり桃色な内耳も、林檎のように真っ赤に染まっている。
 
「君がきのこ全集を丸暗記したら、この村から居なくなってしまう。それは少し寂しく思うよ」
 
 恐らく、本人の意思に反してティナリの口から放たれる言葉の数々はきのこのせいなのではないだろうか。両手で口を押さえて、顔を真っ赤にして額から汗を流すティナリは初めて見た。さっきからティナリが言っている事は何なのだろう。虚言?それとも、本音?本音だったら私はどうしたら良いのか、と考え出すと私まで顔が熱くなってくる。ティナリが項垂れるかのように机に突っ伏す。何だか居た堪れなくなって私も俯くと、ティナリの方から小さな声がした。
 
「君の事が気になって仕方がないんだ」
 
 トドメのようなその言葉にどうして良いのか分からず、ただひたすら顔を赤くする事しかできない。ちらりとティナリを見ると、大きな耳はもう勘弁してくれとでも言うかのように垂れ下がっている。
 
「……ティナリ?」
 
 呼んでみたけれど、ティナリはこちらを向かなかった。それもそうか、だって未だ彼の耳は林檎以上に真っ赤なのだから。すると、家の外から慌ただしい誰かの足音が聞こえてきた。その足音の主は家の壁を数回ノックすると、ひょこりと顔を覗かせた。
 
「師匠、大丈夫…ってえぇー!?ど、毒きのこだったのか!?」
 
 そういえばコレイちゃんが様子を見にくると言っていたっけ。項垂れるティナリの体を激しく揺さぶると、コレイちゃんはティナリの顔を覗き込み、「わああ!」と大きな声を出した。
 
「師匠!顔が真っ赤だぞ!?熱があるんだな!?………って、ええ!?」
 
 コレイちゃんは慌てた様子で私の方を見ると、私の顔を見てまたしても大きな声を上げた。
 
「ナマエまで真っ赤じゃないか!このきのこの毒は伝染するのか!?」
 
 今すぐ薬を持ってくるから!と言ってコレイちゃんは部屋を飛び出した。たぶんこれは熱のせいなんかじゃないと思うんだけど…と言いかけたが、ならばどういう事なんだと言われて説明できる自信がない。嵐が去った後のような静けさに包まれた室内に、ティナリの小さな声がぽつりと聞こえた。
 
「………勘弁して」
 
 それはこっちの台詞だよ、と、ティナリの症状が元に戻ったら言ってやろう。
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