りぼん結びじゃ物足りない


 いっそ、蜘蛛の糸のような柔いものでも良いから、縛ってみてはくれないだろうか。
 そんな事を考える私は相当拗らせている。目を瞑ればすぐに浮かんでくる銀髪と、色付いた紅葉の様な赤く美しい瞳。薄く形の良い唇が弧を描いて、にこりと微笑む。しかし、その笑みは私だけに関わらず、大衆、万物、全ての物に平等に向けられる。独り占めしたいと、そう思うのは女の性だろうか。彼の誰にでも優しいところが好きなのに、誰にでも優しいところが嫌いでもある。こんな複雑な思いを抱える事になったのはきっと彼が魅力的で、私が彼に夢中すぎるからなのだろう。

「出掛けてくるね。夕方には戻るから」

 刀の手入れをしていた万葉が顔を上げる。いつもよりうんとおめかしをした私。敢えて告げない行き先。一体誰と出掛けるというのだろうかと、違和感のひとつくらい覚えてはくれるだろうか。しかし、そんな私の思いとは裏腹に、万葉は私を見るととびきりの笑顔で「気を付けて」と言い、玄関先まで私を見送った。玄関の扉を閉め、数歩進んだところで私はしゃがみ込んだ。

「ち、違う…」

 そう、違う。私が求めているのは快く送り出してくれる彼ではなく、おめかしをして行き先も告げず、一体誰と出掛けるというのか!とめくじらを立てる彼が見たいのだ。
 決して万葉を困らせたいわけではない。けれど何の疑いも、嫉妬もされないというのは寂しく、不安になるものだ。余裕のない私と、余裕たっぷりの万葉。私が小池だとしたら、万葉は大海原のような心の広さを持っている。

「はぁー…」

 体の奥底から絞り出したかのような深い溜め息に笑えてくる。
 嫉妬してほしい。縛られたい。だなんて、欲張りである事は分かっている。万葉は本当に私の事が好きなのかな?と考えた事はあるけれど、好きだと定期的に告げてくれるし、視線や態度にそれらは滲み出ている。万葉のような素敵で格好良い彼と思い合えているというだけでとびきり贅沢な事なのに。それなのに、もっと、もっと、と思ってしまう。愛を確かめたくて仕方がなくなる。人間とは欲張りな生き物だ。

 万葉が引き止めてくれるものだとばかり踏んでいた、無駄におめかしをした私は特にする事がなく稲妻城下をふらふらと歩いていた。何だか馬鹿みたいだ。こんな事ならやっぱり相手に用事ができたみたい!と言って家に帰ろうかな。うん、そうしよう。とくるりと踵を返すと、何かに顔がぶつかった。ぶつかった衝撃でツンと痛む鼻を押さえると、頭上から慌てた声が聞こえてきた。

「すまない!大丈夫かい!?…って、君じゃないか!」

「え?…あ、トーマ!」

 私がぶつかってしまったのは神里家の家司であるトーマで、トーマは鶯色の瞳を瞬かせると、鼻を押さえる私の顔を覗き込んだ。

「鼻を打ったのかい?大丈夫?」

「いや、私の方こそごめんなさい。トーマは大丈夫だった?」

「君にぶつかられた位でどうこうなったりしないさ。大丈夫。それにしてもそんなにお洒落してどこに行くんだい?」

 トーマの言葉がぐさりと刺さる。ただの友達であるトーマでさえも私がめかしこんでいる事に気付いてくれたのに、万葉はというと何も言ってはくれなかった。それにただ万葉に嫉妬してほしくてめかしこんだなんて恥ずかしくて言えるわけがない。トーマからの問いに目を泳がせていると、トーマは「ああ!」と言い両手を鳴らした。

「今日は木南料亭で新作料理が振る舞われるみたいなんだ。君もそれ狙いかい?」

 悪友を見つけたかのようににやにやと笑いながら私を見るトーマにきょとんとする。勿論木南料亭で新作料理が発売される事なんて今初めて知ったが、俺の推測は正しいだろう?とでも言いたげなトーマの視線に思わず首を縦に振ってしまった。「やっぱり!」と言い嬉しそうに笑うトーマに笑いかける。まあ、そういう事にしておいた方が好都合だ。意味のない悲しいおめかしもこれで供養する事ができるだろう。

「そうだ!なら俺もお供して良いかい?実はお嬢から聞いて気になってたんだよね」

「うん!ぜひ一緒に行こう」

 一人で木南料亭でご飯を食べるより、友人と食べた方が美味しいに決まってる。トーマのお誘いをありがたく受けて私達は木南料亭を目指した。

◇◇◇

「お、お腹いっぱい…」

「これじゃあ夕餉が入らないな…若とお嬢に何て言い訳しようかな…」

 木南料亭で出された料理はどれも美味しく珍しい物ばかりで、夢中でそれらを口に入れていたら、私とトーマのお腹は気付けばぽっこりと膨らんでいた。
 お腹を摩りながら綾華様と綾人様への言い訳を考えるトーマの隣で私も万葉の事を考えていた。万葉、夕飯何が良いかな。と今夜の献立についてあれこれ思い浮かべていると、そういえばさっき木南料亭でお土産にと買ったキノコピザの存在を思い付いた。万葉は異国の料理を進んで食べている印象はないけれど、これはあの旅人のお墨付きだと聞いたから喜んで食べてくれそうだ。ピザを頬張り微笑む彼の笑顔を想像し口元を緩めていると、トーマが「じゃあ」と言い手を挙げた。

「俺はこっちだから。気を付けて!」

「うん!今日はありがとう」

 またねと言いお互い別々の帰路へつく。トーマは異性だけれどその事を忘れてしまうくらい居心地が良く話しやすい。沈んでいた気持ちもすっかり浮上して、私は上機嫌で家までの道を歩いた。

「ただい…あれ?」

 玄関扉を開けると、万葉の靴が無い。何処かへ出掛けたのだろうか?家に上がりお土産のキノコピザを机の上に置いて、身に付けていたアクセサリーを外そうとすると、玄関扉が開く音がした。何処かへ行っていた万葉が帰って来たのかな。万葉を出迎えるべく立ち上がると、背中に温かい感触がして、嗅ぎ覚えのある香りがふわりと広がる。

「………万葉?」

 振り向こうとしたが、後ろから万葉に抱き締められている為身動きが取れない。回された腕にそっと触れると、万葉は私の肩口にぐいぐいと顔を埋めた。

「…ど、どうしたの?」

 万葉の様子がおかしいのは明らかで、突然私を抱き締めるだけではなく、私の問いに答えず黙り込む万葉にじわりと汗が滲む。私が出掛けているうちに何かあったのだろうか。何か嫌な事でも思い出したのだろうか。どうしようという単語ばかりが頭に浮かんで、何も気の利いた事が言えそうにない。回された腕をただひたすら撫でていると、万葉はやっと顔を上げて、小さく息を吐いた。

「……さっきまで、誰と…」

 おっとりしているように見えるが万葉ははっきりと喋る人だ。なのに今の万葉は歯切れが悪く、蚊の鳴くような小さな声でぼそぼそと何かを言っている。思わず「え?」と聞き直すと、万葉はぱっと私から体を離した。

「……何でもないでござる」

 何故だか万葉は私に背を向けると、またしてもそのまま黙りこくってしまった。いつもならすっと伸びている筈の万葉の背中が猫のように曲がっているような気がするのは気のせいだろうか。

「万葉?」

 万葉の前に回り込み彼の顔を覗くと、万葉は目尻を下げ悲しげな表情を浮かべていた。見た事のない彼の表情に思わず万葉の服の裾をぐいと掴むと、万葉は目を見開いて私を見た。

「どうしたの?何か悲しい事があったの?」

 誰かに傷付けられたのだろうか。嫌な事を言われたとか?万葉をこんな顔にさせるなんて、絶対に私が許さない。
下唇を噛んで彼の口が開くのを待っていると、万葉はバツが悪そうに目を逸らした。

「…いや、そうではない。その…」

「なに?」

 珍しく目を泳がせる万葉の顔をじっと見ていると、万葉は観念したかのように肩を落として溜め息を吐いた。

「お主、さっきまで…誰と?」

「……私?」

 突如出てきた自分という存在に呆気に取られていると、万葉はぽつりぽつりと小さな声で話し出した。

「………刀の手入れ道具を買いに行こうと町に出たら、お主がトーマ殿と食事をしているところを見てしまい、その…まさか、共に出掛けると言っていた相手が殿方だったとは思わず…」

 目を伏せ苦しそうに話す万葉を見てとある単語が頭の中に浮かび上がる。いや、今はそれよりも万葉は何だか勘違いをしているような気がする。肩を落とす万葉の手に触れると、万葉の手が私の手をぎゅっと握った。

「トーマとはただの友達だよ。偶然会ってご飯食べに行っただけだよ」

「…偶然?ならお主は今日誰と会う予定で?」

 一番聞かれたくなかった問いに体が小さく跳ねる。そんな私を見てより一層不安そうな表情を浮かべる万葉に汗が噴き出す。ここで変に誤魔化すと万葉を不安にさせてしまう。けれど、本来の目的を話すのは恥ずかしすぎる。どうしたものかと天秤がゆらゆらと揺れる。いや、大好きな万葉を不安にさせるわけにはいかない。私は意を決して事の顛末を万葉へと伝えた。

◇◇◇

「……拙者に嫉妬して欲しくて?」

「………はい」

 今度は私が肩を落とす番で、あまりの恥ずかしさに顔から火が出そうになる。
 万葉に嫉妬して欲しくて、束縛して欲しくて、めかしこみ、敢えて共に出掛ける相手は伝えず町に出た事。引き止めてくれるだろうと思っていたから行く当てが無く町をぶらついていたらトーマに会い、流れでご飯を食べに行く事になったという事。全てを伝えると、自分が何とも情けなく幼稚で穴があったら入りたい。

「……お主は、拙者が嫉妬心を抱かないと、そう思っているのか?」

 え、と思い顔を上げると、いつもは雪のように真っ白な万葉の頬がほんのり赤く色付いている。それは、どういう意味なのか、と目を瞬かせると、万葉の腕がゆっくりこちらへ伸びてきて私の体を包み込む。鼻に広がる万葉の香りにぐちゃぐちゃになっていた頭の中が落ち着いていく。万葉の背中に腕を回すと、万葉はいつもよりも強い力で私の体をぎゅうぎゅうと抱き締めた。

「拙者はお主が思っている以上に醜く、余裕の無い男でござる」

「…そんなわけないよ」

「…もし拙者が余裕のある男なら、今日、このように醜い嫉妬心を剥き出しになどしておらぬ」

 やっぱりあれは嫉妬してくれていたのか。万葉の言葉に顔が綻ぶ。思わずふふ、と声を出して笑うと、万葉は頬を膨らませながら私の額に自分の額をくっつけた。

「笑うところではない」

 ごめんね、と言い万葉を見つめるが、どうやら私の顔は緩みっぱなしのようで、万葉は頬を膨らませたまま私にじっとりした視線を向け続けている。すると、万葉は観念したかのように息を吐き出し、私の耳元に顔を寄せた。

「……本当はこの醜い嫉妬心で縛り付けて、お主を閉じ込めてしまいたいと、そう思っているのだぞ」

 ぞくりとするくらい低い声で囁かれ、体の芯が痺れるような感覚に陥る。はっとして万葉の顔を見ると、万葉は「なんて」と言い、いつもの穏やかな笑顔を浮かべていた。

 その笑顔の奥に隠した醜い感情を、もっと曝け出してくれても良いのに。そう伝えてしまえば万葉は私をどうするのだろう。蜘蛛の糸なんて柔い糸とは比べ物にならないもので、きつく、縛ってくれるだろうか。
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