帰るは君


 ぽっかり空いていた穴に何かがカチリと嵌るような感覚がした。それを失っていた間の記憶がまるで走馬灯のように駆け巡る。眉を下げ、それでも笑みは絶やさない彼の顔。思い出話をいくつも聞かせてくれて、二人で見に行ったんだとカエデの葉の栞を照れ臭そうに差し出した彼を見て心がチクリと痛んだあの時の事。けれど、貴方は誰?と言った時の泣き出しそうな彼の顔が一番印象に残っている。
 手にした神の目は何故だかほんのり温かくて、まるで私の手を握る彼の手の温もりみたいで鼻の奥がツンとした。
ごめんね、ごめんね、と心の中で叫んだ。なんで何よりも大切で、大好きな彼の事を忘れてしまっていたんだろう。
どこかへふらりと出掛けて行ったという彼の居場所には心当たりがあった。砂浜に足を取られながら必死に走る。ここには友が眠っているんだと言った彼の顔はとても寂しそうで、墓の前でしゃがみこむ彼の背をそっと撫でると「以前にもお主はこうしてくれたのだぞ」と嬉しそうに笑っていた。青く輝く花々が見えてきて、白い猫がまるで私を歓迎するかのように「にゃあ」と鳴いた。

「万葉」

 刀の刺された墓の前には空の神の目が置かれていた。その前で背を丸めていた万葉は私の姿を見ると大きく目を見開いた。

「…戻った、のか」

 神の目を失い万葉の記憶のみがすっぽりと抜けていた私は彼の事が誰なのか、どういう存在だったのか分からず「万葉さん」と呼んでいた。そう呼ぶ度に万葉は眉を下げ寂しそうに微笑んでいた。
 私は頷き、手を広げ神の目を万葉に見せると万葉は立ち上がり勢い良く私を抱き締めた。

「ごめんね、万葉。もう全部思い出したよ」

「…ああ」

 強い力で抱き締められ苦しいけれど、そう言ったところで万葉が力を緩めてくれる気はしないので黙って震える彼の背に腕を回した。小さく鼻をすする彼につられて視界が滲んでくる。
 ごめんね、万葉。こんなにも貴方が大切で大好きなのにどうして貴方の事だけ忘れていたのかな。友を亡くした万葉を最後まで共に支えてあげようと思っていたのに。
 神の目をぎゅっと握り、万葉の肩に顔を埋めると、万葉は小さな声で呟いた。

「おかえり」

 嬉しそうなその声に、涙が止めどなく流れ出す。嗚咽混じりにただいまと言った私の声は万葉に聞こえていただろうか。刀の刺された墓の前へ白猫が駆け出す。ふわりと風が吹いて「良かったな」という知らない声が聞こえた気がした。
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