満月の夜に

「満月の夜、会いに来よう」



 見上げれば夜空には満月が浮かんでいて、以前彼に言われた言葉を思い出す。あっという間な気がするが、実を言うと前の満月からうんと長く感じた。それが意味する事には気付かないフリをして彼を待つ。すると、ふわりと風が吹いたかと思えば顔のすぐ横に楓の葉が現れた。思わず上がる口角を必死に戻して、できるだけ自然に振り返るとそこには笑みを浮かべた万葉が立っていた。

「…お土産?」

 万葉の持つ楓の葉を指で突くと、万葉が満足そうに頷いた。

「稲妻より新しい乗組員が加わってな。その者の荷物に紛れこんでいたのでござる」

 楓の葉を受け取ると万葉が隣に腰を下ろした。

 万葉との出会いは、両親が他界した翌日に璃月港の港で満月を眺めていたらそこに万葉が現れたのがきっかけだ。
寂しさで胸が押し潰されそうだった私に万葉は各国での旅のお話を聞かせてくれた。訳あって故郷を離れ死兆星号という船に乗せてもらっているという事、独特の話し方をするという事。それくらいしか彼の事は知らないが、私の寂しさに気付いて満月の日に会いに来ると約束してくれたとても優しい人だという事は分かっている。
 両親は他界し、親戚も少ない私にはこれといった話し相手もおらず寂しさを募らせる日々だが、万葉が満月の日に会いに来てくれる事を楽しみに日々を過ごしていると言っても過言ではない。璃月以外の国に行った事のない私には万葉のお話はとても刺激的で、いつか私も死兆星号に乗ってみたいなだなんて思っている事は万葉には内緒だったりする。
 万葉から受け取った楓の葉を指でくるくると回していると、隣に腰掛けた万葉がジッと私の顔を見ている事に気が付いた。万葉と目を合わせて首を傾げると、バツの悪そうな顔をして万葉が目を逸らした。

「…実は遠方へ航海に行く事が決まったのでござる。三月程、此処には来る事ができないやもしれぬ」

 万葉の言葉に浮き足立っていた気持ちがすーっと沈んでいくのが分かった。三ヶ月も会えないのか…手にしている楓の葉も心無しかしょんぼりしている気がする。きっと私が自分を待っている事に気付いていたんだろう。気まずそうに下を向く万葉に心配をかけたくなくて、私はできるだけ明るい声と精一杯の笑顔を顔に貼り付けた。

「…なら三ヶ月後にはとびきりのお土産用意してね」

「…約束しよう」

 私の言葉に目を丸くしていた万葉がふっと微笑んだ。
 三ヶ月も彼に会えないのは彼と出会ってから初めてだ。月に一度の楽しみになっていたと言うのに、何だか心にぽっかり穴が空いたみたいだ。けれど、そもそも万葉とはなんとなく気が合って定期的に会うようになっただけで、恋人でもなければ友人なのかと問われれば答えに詰まってしまうような関係だ。そんな私が万葉に会えなくなるからって寂しくなる権利なんてあるのだろうか。
 その後も万葉はいつものように旅での出来事を私に話してくれたが、頭の中のモヤモヤが広がっていく一方で、気が付けば万葉が船に戻る時間になっていた。

「…あ、そろそろだね」

「……ああ」

 万葉がゆっくり立ち上がる。それにつられて私も立ち上がると、万葉は静まり返る水面をジッと見つめた。何か魚でもいるのかと、同じように目線を水面へと移すと水面に映った万葉の瞳と目が合った。その顔は見たことがないような悲しげな顔をしていて、実物の万葉の顔を慌てて見ると水面に映っていたような悲しげな顔はしておらず、見間違いだったのかなと首を捻った。
 恐らくこっそり船を抜けてきているようで、いつもなら万葉は時間になると慌てて帰って行くというのに、どういうわけか今日の万葉は時間になっても帰る気配を見せようとしない。何かを話すわけでもなく、まるでじっくり考え事をするかのようにその場に立ち尽くす彼を見ていると、万葉の手がスッと伸びてきて、私の腰を引き寄せた。

「えっ!?万葉?」

 抱きしめられたのかと思ったが、私と万葉の体は触れそうで触れない距離を保ったまま接近したのみで、気が付けば万葉の顔は息がかかるくらい近くにあった。こんなにも近い距離で万葉の顔を見たのは初めてで、徐々に顔に熱が集まっていく。慌てふためく私に反して、万葉はそんな私の顔を見下ろしながらまだ何かを考えているようだった。

「……次に会う時、お主に伝えたい事がある」

 そう言うと万葉は私から離れ、この場を去って行った。



 あれから二度目の満月。会いにくるわけがないと分かっているのに、どうしても満月の日になるとつい足が港へと向かってしまう。
 三ヶ月って思っていたよりも長いのだとしみじみ思う。あと一ヶ月経てば万葉は会いに来てくれる。それまでもう少しの辛抱だ。以前貰った楓の葉は栞にして持ち歩いている。これを見ると楓色の彼の瞳を思い出して少しは寂しさも紛れるから。
 ピシャッと音がしたかと思えば、海面を魚が跳ねる。ふと、この前水面に映った万葉の悲しげな顔を思い出した。何であの時万葉はあんな顔をしていたのだろう。もしかして、もう璃月には上陸しないのだろうか。優しい彼の事だからそれをはっきり伝える事ができなくて、あんな顔をして、そして三ヶ月後にしか会えないと言ったのじゃないのだろうか。そう考え出した途端に指先が氷のように冷たくなる。それもそうだ。私と万葉の関係に名前なんてない。万葉がわざわざ私の為に会いに来る理由なんて本当はないのだから。両親を亡くした可哀想な女に同情しただけなんじゃないのか。そういえば聞いた事がなかったけれど万葉には恋人とかいるのかな。
 嫌な事ばかり思いついてしまって、だんだん目頭が熱くなる。ただの考えすぎなんだとしても、それが考えすぎだと裏付けられる程私は彼の事を何も知らない。「そんな事はない」と優しく微笑んで欲しいけれど、ここに彼はいない。
 ひとつ瞬きをすると瞳からは次々に雫が落ちてくる。膝を抱えてそこに顔を埋める。誰も見ていなくてもこんな顔お月様にさえ顔向けできそうにない。目をギュッと瞑っても浮かんでくるのは微笑む万葉の顔で、胸が押し潰されるみたいに苦しい。

「……万葉、会いたいよ…」

 嗚咽を漏らしながら彼の名前を呼んでみる。ああそうか、私ってばこんなにも万葉に恋していたのか。持っていた楓の葉の栞をギュッと握ると、その栞が手からすり抜けるような感覚がして慌てて顔を上げた。

「…っ、えっ!?」

 そこには肩で息をした万葉が私が持っていた栞を手にして立っていた。万葉は私の顔を見ると小さく息を吐き、隣に腰掛けた。突然の万葉の登場に幻か何かなのではと目を擦ると、万葉の手が私の頬にそっと触れた。

「……お主を取り巻く木々や草花が、お主が寂しがっていると教えてくれてな。姉君に無理を行って駆け付けてみれば…こんなところで泣いていたのか」

 万葉の手が私の肩に回り、ギュッと抱き締められる。万葉の匂いと温もりに包まれて、幻じゃなくて本当の万葉なんだという事が分かって次から次へと涙が溢れてくる。万葉の背中に腕を回すと、万葉の手が私の頭を優しく撫でた。

「さて、拙者の言った事は外れていたか?」

「……外れてない、っ」

 万葉の肩口に涙に濡れた顔をぐいぐい押し付けると、万葉が小さく笑った気がした。万葉だ。本物の万葉だ。私に会いに戻ってきてくれたんだ。冷えていた指先はすっかり熱を取り戻し、押し潰されてるみたいに苦しかった胸もじんわりと暖かくなる。私の頭を撫でていた万葉の手がゆっくりと移動して、私の頬を撫でる。顔を上げると、少し赤い顔した万葉の顔が近付いてくる。唇に温かい感触がしたかと思えば、それは何度も何度も私の唇に触れる。最後にちゅっと音を立てると、楓色の瞳の中には赤い顔をした私が映っていた。万葉はもう一度私を抱き締めると、私の耳元に顔を寄せた。

「天地の底ひの裏に我がごとく、君に恋ふらむ人はさねあらじ」

「……なに、それ?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げると、万葉は体を離してもう一度私を見た。

「母国、稲妻に伝わる詩でござる」

「なんて言う意味なの?」

「………さて、な」

「お、教えてよ!意地悪!」

 万葉の体を叩くと、万葉が屈託なく笑った。あ、そんな顔初めて見たかもしれない。つられて笑顔になると、万葉は微笑んではいるが、真剣な眼差しで私を見た。

「……姉君より、三月程璃月に上陸できないと知らされた時、真っ先に思い浮かんだのはお主の顔であった」

 頬に出来た涙の跡を万葉の指がゆっくりと撫でる。

「…お主が寂しがっていると聞いて駆け付けたと言ったが、本当は拙者がお主に会いたかっただけなのでござる」

 万葉の指に雫が落ちる。

 私だけだと思っていた。こんなにも万葉に会いたくて、寂しく思っているのは。けれど、万葉も同じように私に会いたいと思ってくれていたんだ。止まっていた涙がまた溢れ出す。それを見ると万葉は呆れたみたいに笑って何度も何度も流れる涙を拭ってくれる。

「……花の芽吹く様を、木々が新緑に彩る頃を、楓の葉が色付く時を、雪が降り積もる山々を、お主と共に見たい」

 万葉は自分の額を私の額にくっつけると、瞳を閉じて微笑んだ。

「拙者と共に、来てくれるか?」

「…………うん」

 何度も何度も頷くと、万葉は満面の笑みを浮かべて私にもう一度口付けた。
 私だって美しい景色も、胸が張り裂けそうなくらい辛い時も、隣に居てくれるのは万葉が良い。

 もう満月の夜を待たなくても良さそうだ。
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