指を折って、その日まで


 昼間は騒がしい死兆星号も、夜になると波に揺られる音のみが響き静寂に包まれる。誰もいない甲板へと腰掛けて星空を眺める。これは私の癒しの時間であり、日課だったりする。
 今日は船体が岩にぶつかりそうになり船員全員が大慌ての大変な日だった。けれど、そんな慌ただしい日々が楽しくて仕方ない。この船の上は、私の生まれ故郷である稲妻とは違い自由で開放的だ。窮屈になってしまった故郷から飛び出した私を仲間として迎え入れてくれた北斗船長には感謝しかない。そういえば、北斗船長は私がこうして夜の甲板で寛いでいる事を良く思っていない。危ないだろうとか、襲われたらどうするだとか、船長にしては過保護すぎる発言に私が笑うと「そのうち意味が分かる日が来るさ」と溜め息を吐いていたっけ。周りには何もない海の上だ。ヒルチャールが出るわけでもないし、船長は一体何をそんなに心配しているんだろう。

「月見酒でござるか」

 突然聞こえた声に振り向くと、そこには同じ乗組員である万葉が立っていた。

「お酒なんて飲んでないよ」

「それは残念」

 苦笑いをした万葉が私の横に腰掛ける。色の白い万葉はまるで夜の闇の中で光る蛍のように幻想的で、目を奪われる。ジッと夜空を眺めるその瞳は色付いた楓の葉のようだ。万葉の横顔をまじまじと見ていると、夜空を見ていた万葉の口元が段々緩んでいく。

「拙者の顔に、何か付いているのか?」

 空から目線を私に移すと、万葉はくすぐったそうに微笑んだ。見ていた事がバレていた!慌てて目を逸らすが、視界の端で微笑む万葉にじわじわと顔が熱くなっていく。

「ご、ご飯粒付いてたよ」

「…そういうことにしておこう」

 う、誤魔化せなかった。きっと私の顔は真っ赤になっているだろうけれど、生憎辺りは真っ暗で星と月の光が差しているだけだ。だから赤い顔を万葉に見られなくて済んで本当に良かった。隣に座る万葉をこっそり見ると、万葉の視線は夜空へと戻っており、私は小さく息を吐いた。

「…女人がこんな夜更けに一人で危ないであろう」

 突然発せられた言葉に北斗船長の顔が思い浮かぶ。二人して、一体何だというのだろう。万が一何かがあったとしても大きな声を出せば他の船員達が起きて気付いてくれるし、安全を確保したからこうして錨を沈めているわけだというのに。

「魔物がいるわけじゃないし、大丈夫だよ。万葉も北斗船長みたいな事言うんだね」

 私がそう言うと、万葉は目を大きく開いて瞬かせた。え?そんな驚くような事言った?万葉は考えるような素振りをすると、ふっと笑みをこぼした。

「……さすが姉君、気付いておったか」

 どういう事かと首を捻ると、万葉が私の顔をジッと見つめる。どうしたのと口を開こうとしたが、万葉が私との距離をグッと詰めるものだから驚いて何も言えなくなってしまう。足と足がピタリと密着するくらい近い距離に、思わず後退りしようとしたが、万葉が私の腰をグッと引き寄せた為身動きが取れなくなる。

「…ちょっ、万葉!?」

 楓色の瞳と、うんと近いところで目が合う。思わず目をギュッと瞑ると、近くにあった万葉の温もりが消える。その代わり、太腿に何やら重い感触がして慌てて目を開けると、万葉が私の太腿に頭を乗せていた。所謂膝枕のような体勢に「ええ!?」と大きな声を出すと、私の膝に頭を乗せた万葉が自分の唇にそっと人差し指を当てた。

「しー…大きい声を出すと、皆が起きてしまう」

 誰のせいで大きい声を出してしまったと思っているんだろう。突然大胆な行動を取る万葉に何も出来ず硬直していると、固まる私とは裏腹に万葉はリラックスした様子で膝の上で大きな欠伸をした。

「…お主とゆっくり話せると思い夜更かしをしてみたが、限界でござる」

「……私と?」

「うむ」

 相当眠いのか、目を擦りながら万葉が頷く。私と話したいから夜更かしをしてわざわざ甲板まで出てきてくれたって事?一気に熱くなる顔を万葉に見られないように慌てて両手で隠そうとしたが、下から強い力で手を引かれ、膝の上にある万葉の顔とバッチリ目が合ってしまった。

「顔が赤い」

「…あ、赤くない!」

「…それは、拙者のせいか?」

 満足げに微笑むと、万葉がゆっくりと身を起こす。気付いた時には万葉の顔が目前にあり、唇に何かが触れた。少し冷たいそれが万葉の唇である事に気付き、思わず目を見開くと、薄目を開けた万葉の目が弧を描く。掴まれた両手に万葉の指が絡みつき、私の手をギュッと握った。すると万葉は角度を変えて何度も何度も音を立てて私に口付けた。聞き慣れないリップ音が恥ずかしくて耐えれなくなり目をギュッと瞑ると、万葉がふっと笑った気がした。

「さっきよりも真っ赤でござる」

 まるで愛しいものでも見るかのように微笑む万葉に益々顔が熱くなる。そんな事言って、万葉だって本来は白い頬を薄く桃色に染めている。
 何故か、急に何をするのだとか、どういうつもりだとか、そんな言葉は出てこず、万葉に口付けをされても嫌じゃなかったという事実に頭が混乱する。
 万葉は私の手に絡ませていた指をゆっくり解くと、私の顔を覗き込んだ。

「姉君の忠告を聞いておくべきであったな」

「そのうち意味が分かる日が来るさ」北斗船長の言葉を思い出す。船長が言っていたのはヒルチャールでも夜の海でも無く、今私の目の前で笑う万葉の事だったのか。うう、船長。そんな遠回しな言い方じゃ分かりません…

「それでは、また明日」

「え?あ、明日?」

 気付けば立ち上がっていた万葉がこくりと頷く。

「続きはまた明日、という意味でござる」

「え!?」

 万葉はもう一度私の前にしゃがみ込むと、慌てる私の鼻の頭にちゅっと音を立てて口付ける。ひえっ、と間抜けな声を出す私の頭をそっと撫でると、私の耳元に顔を寄せた。

「いずれは拙者の部屋で」

 いつもの穏やかな笑みとはかけ離れた妖艶な笑みを浮かべると、万葉は手を挙げて船内へと戻って行った。
 拙者の部屋って…言葉の意味が分かり心臓がドンっと大きく跳ねる。こんな事なら北斗船長の忠告を聞いておくんだった。
 けれど、明日を待ち侘びている自分には気付かないふりをしておこう。
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