カンゴオムの夜

「赤くなっているぞ、虫刺されか?」

 私のうなじにジンがそっと触れる。虫になんていつ刺されたんだろう?気付かなかった。更衣室にある鏡でうなじを見ると、本当だ。赤くなっている。自分でもそっと触れてみるが、痛くも痒くもない。

「全然気付かなかった。薬でも塗ってみるね」

「ああ、毒虫だと大変だからな」

 などとやり取りをしていると、驚いた顔をしたリサがジンの肩をペシっと叩いた。

「ジーン!そういうのはそっとしておきなさい」

「そういうの、とは、なんだリサ?」

 服を全て着替え終わると、リサが私にパチパチとウインクしている事に気付いた。ここは私に任せて!とでもいうようなリサに首を傾げるが、なんだか早く立ち去った方が良いような気がして私は更衣室を後にした。



 今朝あった出来事を思い出しながら酒を飲んでいると、玄関の扉の開く音がした。
 見なくても分かる。漂う酒の香りに、独特の気配。もう一口酒を口に含むと、グッと顎を掴まれて、唇を奪われる。やけに熱い舌が侵入してきたかと思えば、それは私が含んでいた酒を全て絡めとり、飲み干してしまった。

「…まだ飲み足りないの?」

 至近距離で、変わった模様を浮かべた瞳と目が合う。ゆっくりと睫毛が下りたので、私も瞳を閉じると、ちゅっ、と音を立てて触れるだけのキスをした。

「いや、酒は充分に飲んださ」

 長い指が頬を撫でる。ガイアは酒場の帰りにいつも私の家へと来る。そして、いつもこうやって熱を帯びた目で私を見つめる。

「いいよな?」

 この目で見つめられると、私は動けなくなって、気付けば彼の首の後ろに腕を回している。はい以外の選択肢を選ばせる気もないくせに。私の唇をペロリと舐めると、ガイアの舌が唇を割って入ってくる。まるで捕食されるみたいだ。さっきとは比べ物にならない激しいキスに何も考えられなくなる。こんな夜は、もう何度目か分からない。



 いつも先に目を覚ますのはガイアの方で、家を出ていく時に私の頭をふわりと撫でる事も知っている。壊れ物を扱うみたいにガイアの手が頭を優しく撫でる。この時間が好きだ。もう少し、いればいいのに。そう思うけど、付き合ってるわけでもなければ、ただ酒場の帰りにふらりと寄って体を重ねるだけの関係の女を気に掛ける余裕などあるわけがない。少し悲しくなって私の頭を撫でる手を振り切るかのように寝返りを打つ。少しの間を置くと、ガイアは部屋を去って行った。
 扉を閉めて足音が遠ざかっていったのを確認すると、私は身を起こして珈琲を淹れた。珈琲の入ったコップを持ち、また寝室へと向かう。まだ出勤までに時間はある。もう少し休むか。すると、壁に掛けられている鏡に映った自分の姿にハッとした。下着姿のままの自分をまじまじと見つめる趣味はないけれど、どうしても太腿にある赤い複数の斑点に目がいった。

「なにこれ」

 これって昨日ジンが見つけてくれた、うなじにある赤い斑点と同じだ。痛くも痒くもないそれに首を捻ると、ある事に気が付いて顔に熱が集中した。
 もしかして、キスマーク?切羽詰まった顔をしたガイアが脳内にチラつく。でも、いつの間に?私が寝た後にでも付けたのだろうか。それとも最中に?酒場帰りにふらりと立ち寄り、朝になると帰って行く。淡白で何て男だと思っていたけど、もしかして…なんて淡い期待を膨らませてる自分が馬鹿らしくなって持っていた珈琲を一気に飲み干した。



 よく考えると、体だけを求めているのならキスはしなくても良いんじゃないの。それとキスマークを付ける意味は何?この女は俺の所有物だという意味で付けるものじゃないのか?いろいろ考えてみても最終的には都合の良い解釈をしてしまって、顔に熱が集まる。もし、ガイアも私の事を…だなんて思ったところで思考が停止した。
 え、私ってガイアの事好きなの?
 あまりにも突然自覚した恋心に身体中が熱くなる。確かにガイアとするセックスも、キスも嫌いじゃない。むしろまたしたいな、と思ってしまってる自分がいる。ええ、どうしよう。次会った時にどんな顔して会ったら良いんだろう。
 ダメだダメだ。今は夜間の見回り中なんだから気を引き締めないと。自分の両頬を叩いて気合いを入れ直す。見回りといってもモンドは基本的には平和だ。風魔龍も落ち着いたし、何よりモンドには正体不明の闇夜の英雄がいる。不本意だが騎士団はその者の登場により夜間の仕事はほぼ無いに等しい。
 気が付けば、エンジェルズシェアの近くまで来ており、この店の前も見回りルートである。この店にはよくガイアが出入りしている事は知っている。私の家に来る前に足を運んでいる酒場というのもここの事だろう。今日も飲んでいるのかな、飲み終わったら私の家に来るのだろうか。柄にもなく胸を高鳴らせていると、酒場の扉が開いて、中からガイアが現れた。

「ガイ…っ!」

 思わず名前を呼び、手を挙げかけたが、ガイアの後ろにいる女性を見て私は咄嗟に物陰に隠れた。よく見ると、その女性はシスターのロサリアで随分とガイアと親しそうにしている。酒場から出ると、ガイアはロサリアの肩を抱いて歩き出した。その光景を見て、さっきまで浮き足立っていた自分が馬鹿らしくなる。身体中の熱がさーっと引いていって、目頭が熱くなる。
 当たり前だよね。ガイアはモテるし、泊めてくれる女の人なんて沢山いる。私にキスをしたり、キスマークを付けたりするのだってただそういう行為をするのが好きなだけ。目から零れ落ちそうになるものをグッと堪えて、私は見回りを続けた。



「遅かったじゃないか」

 見回りを終え自宅へと帰ると、玄関の前にガイアが座っていた。私を見ると、立ち上がって肩に手を置こうとするがそれをするりと避ける。今はガイアの顔を見たくない。
玄関の鍵を開けてさっさと部屋の中に入ってしまおう。そう思ったが、扉を開けたと同時にガイアも部屋の中へと入ってきて、素早く扉を閉められてしまう。

「…今日は帰って」

「……嫌だ、何があった?」

 ヘラヘラ笑っていたガイアだったが、私の様子を見て真剣な顔へと変わる。何があったって、言えるわけない。ガイアも私の事が好きなのかと思った矢先に他の女と酒場デートしてる所を見て私の勘違いだったんだって思い直したんだよって言えば良いの?涙が込み上げてきて顔を上げられなくなる。鼻を啜ると泣いている事が分かったのか、ガイアが私の体をそっと抱き締めた。

「どうした?誰かに何かされたのか?」

「なんでもない、離して」

 体を押し返すが、ガイアは私を離さない。私を抱き締めたままガイアの手が頭をゆっくり撫でる。体を重ねた後の朝に撫でるあの手の温もりを思い出して、より一層涙が溢れた。

「なんだよ、どうした?ゆっくり話してみろ」

 優しい声と、いっぱいに広がるガイアの匂いに涙が止まらなくなる。情け無い嗚咽を隠す事さえせず、私はガイアの背中に腕を回した。

「シ、シスターの、っ、ロサリアと寝たの?」

「………は?」

 気の抜けたような声を出すと、ガイアは勢いよく体を離して、私の肩を掴んで泣きじゃくる私の顔を見つめた。その表情は珍しく焦っていて、いつも飄々としているのに珍しい、と泣きながらそんな事を考えた。

「ロサリアがなんだって?」

「さっき、酒場から2人で出てきて、っ、ガイアがロサリアの肩を抱いてた」

 目を丸くすると、ガイアは長い溜め息を吐いた。

「…ロサリアはただの飲み仲間だ。肩を抱いたように見えたのは俺がふらついたからロサリアの肩に手を置いただけだ」

 え、もしかして早とちり?てか、私ガイアに何を聞いてるの?とんでもない事を言ってしまったと自覚して、顔が一気に熱くなる。そんな私を見たガイアがさっきまでの表情とは打って変わっていつもの少し意地悪な笑みを浮かべた。

「なんだぁ?ヤキモチか?」

「ち、違う!」

 ガイアから勢いよく顔を逸らすと、頬に温かい感触。ガイアは小鳥のように私の頬に何度も何度もキスを落とす。それが擽ったくて身を捩ると、ガイアの腕が伸びてきて、もう一度私を抱き締めた。さっきよりもぎゅーっとキツく抱き締められて少し苦しい。

「ロサリアとは本当に何もない。本当だ」

「………エッチもしてない?」

「するわけないだろ」

 なんだか無性に恥ずかしくなってガイアの肩に顔を埋めると、ガイアが私の頭に頬擦りをしたのが分かった。
 というか、私は一体どの立場から物を言っているのだろう。ガイアの恋人でも何でもない、ただ体を数度重ねただけじゃないか。火照った体が急に冷えるような感覚が寂しくて、心臓が握られたみたいにギュッとなる。

「…ごめんね、彼女でもないのにこんな事聞いて」

「………は?」

 ガイアの体が固まる。思わず顔を上げると、眉を寄せて顔を顰めるガイアが私を見下ろしていた。

「俺たち付き合ってるだろ?何言ってんだ?」

「………は?」

 今度は私が固まる。私たち付き合ってるの?え?ガイアは体を重ねるイコール付き合ってると思うタイプなのだろうか。それならそれでガイアの事が好きな私は嬉しいけれど…
 私の考えてる事が分かったのか、ガイアは溜め息を吐くと、目を泳がせながら口を開いた。

「あー…その、最中に俺が付き合うか?って聞いただろ?そしたらお前がうんって言ったじゃないか」

「…いつ?」

「初めてした時だよ。覚えてないのか?」

 初めてした時はまさか同期のガイアとこんな事するなんてという羞恥心とか快楽とか色んな事が混ざり合って、余裕がなくてあまり覚えていない。え?ならガイアとはその頃から一応恋人同士だったって事?

「な、なら、何で毎朝すぐ帰っちゃうの?することしたから私が起きるのなんて待ってられない、って事なんじゃないの?」

「朝の見回り担当は俺だろ。だから早く出勤しなきゃいけないし、気持ち良さそうに寝てるお前起こすのは可哀想だろ」

 そういえばそうだ。私が夜の見回り当番であるように、ガイアは朝の見回り当番なんだった。バラバラになっていたピースが嵌まっていく。何も言えずに口を噤んでいると、ガイアが私の顔を覗き込んだ。

「んー?もしかしてお前は俺が最初に言った事も忘れていた挙句、お前の体目当てで毎日のように押し掛けていたとでも思っていたのか?」

「…だ、だって!飲んでからしか私のところに来ないし!」

「酒場に行くのは情報収集の一環だよ。それに、」

 言葉を切ると、バツの悪そうな顔をしてガイアは自分の頭をぐしゃぐしゃとかいた。

「…シラフでお前に甘えるのは照れるんだよ」

 珍しく赤い顔をしたガイアがそっぽを向く。さっきまでの寂しい気持ちが嘘のように晴れていく。なんだ、ガイアは私が思ってた以上に私の事が好きみたいだ。嬉しくなってそっぽを向いたガイアの頬にちゅっ、とキスをすると、ガイアが驚いたような顔をしてこっちを見た。

「…お前からされたの初めてだ」

「う、嘘!?そうだっけ…」

 なんだか照れ臭い。お互い顔が真っ赤で笑えてくる。ふふ、私が笑うとガイアが私の頬を甘噛みした。

「で?俺たちは恋人同士で良いんだよな?」

「……はい」

 私が頷くとガイアは満足そうに笑って、唇同士が触れ合うだけのキスをした。もっとしたいな、と思ったのが分かったのか、ガイアの唇が何度も触れる。我慢できなくなってぺろり、とガイアの唇を舐めると、驚いたみたいにガイアの動きが止まった。けれどすぐにガイアは角度を変えて、私に応えるかのように自分の舌を絡ませた。ガイアの手が私の後頭部に添えられる。キスが深くなればなる程、その手に力が入って、私は逃げられなくなる。鼻で息をするのにも限界がきて、私はガイアの体を両手で軽く叩いた。
 名残惜しそうに唇が離れて、浮世離れした瞳と目が合う。その目はこれまでにないくらい熱を帯びていて、私の事を欲しがっているのが分かって、胸がきゅんと鳴った。

「…いいよな?」

 だから、はい以外の選択肢なんてないんでしょう?そう思いながら私は首を縦に振った。ガイアは微笑むと、私の背中あたりにあった手をゆっくりと下ろしていく。その手は私のお尻をゆっくり撫でているかと思いきや、突然少し痛いくらいの力でギュッと掴んだ。

「いっ…!!」

「というか、お前は俺がお前の体目当てだと思ってたわけだよな?」

 不自然なくらい満面の笑みのガイアに、汗がたらりと流れ落ちる。ガイアは私を彼女として接していてくれたわけだけど、聞いていなかったとはいえガイアの言うように私はガイアは私の体目当てで、体だけの関係だと思っていたと勘違いしていたわけだから、この場合何気に酷いのは私なんじゃないのか?
 微笑むガイアからゆっくり目を逸らすと、突然視界がぐるんと回転する。

「わあ!」

 気が付くと軽々とガイアにお姫様抱っこされていて、何が起こったのか目を丸くしている私の額にガイアが音を立ててキスをした。ゆっくりと下されると、下されたのはベッドの上で、私の上にガイアが跨った。

「勘違いしたお仕置きもしてやる」

 それと、と言うとガイアは私の耳に唇を寄せた。

「好きだぜ。朝までたっぷり愛してやる」

 今までにないくらい、長い夜になりそうだ。
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