レッドムーンナイト

「…おじゃまします」
 
 上擦った声でそう言った私見て、ディルックが訝しげな顔をする。まるで初めてディルックの屋敷に足を踏み入れるかのような緊張感を放つ私に、ディルックは「何度も来ているだろう」と言いたげな視線を送ると、私が室内へと入ったと同時に玄関の扉をゆっくり閉めた。
 
「そんなに硬くならなくても、今夜はメイドもみんな自宅へと帰ってもらったよ。リラックスすると良い」
 
 用意してあったであろう紅茶をティーカップへと注ぎながら、ディルックは何食わぬ顔でそう告げた。ただでさえ緊張でどうにかなりそうだったというのに、この屋敷にはディルックと私以外誰もいない?まるで心臓にドロップキックでもされたかのような衝撃にそっと胸を押さえるが、どうにかディルックに気取られないようにできるだけ自然に笑みを浮かべた。
 
「そうなんだ。まぁ、たまには休んでもらわないとだよね」
 
 脳が動いていないかのようなまるで中身のない発言をしてしまった。引かれた椅子にそっと腰掛けると、ディルックがティーカップを私の前へと置いた。
 
「…君が来るから人払いをしたんだ」
 
 目を見開く私とは裏腹に、ディルックは目を伏せて自分のティーカップに口をつける。そう言われて意味が分からない程馬鹿ではない私は紅茶を飲むフリをしてやたらと熱い顔と、相変わらず煩い心臓の鎮め方を考えた。何か、何か気を紛らわせなくてはと、クレーが今朝「見て!お顔の違うドドコを作ったの!」と見せてくれたドドコを思い浮かべる。クレーといい、ドドコといい、本当に可愛いなぁと追憶の中で癒され、何とか平静を保つ事に成功した。そういえばクレーとバイバイした後、通りかかったガイアがニヤニヤと笑いながら近付いてきて、私に耳打ちをしたんだった。「今日旦那の家に行くんだってな?頑張れよ」誰から聞いたんだと詰め寄ろうとしたが、気が付けばガイアは数メートル先に居て、私に手を振っていた。頑張れよって何なんだ。頑張れって一体何、を…
 
「……ダメだ」
 
 思わず口から出た私の言葉にディルックが首を傾げる。クレーの事を考えて良い感じに落ち着けたかと思えばガイアの発言を思い出して振り出しへと戻ってしまった。
 「ごめん、何でもない」と言って用意してくれていたクッキーに手を伸ばして誤魔化した。たぶん、誤魔化せている筈…
 
 ディルックとお付き合いをする事数ヶ月。この前やっとの思いでキスをしたかと思えば、「今度僕の屋敷に来ないかい?」とお誘いを受け、いつものようにメイドさん達を交えてアフターヌーンティーかと二つ返事をしたら、時間の指定がなんと夜という事を知り、お誘いを受けた日から今日までずっと落ち着く事ができずにいた。現に今も全く落ち着けていない。硬派なディルックの事だから、ディナーを共にどうだろうかとそういう事なだけなのかもしれないと違う方の可能性も考えていたが、開口一番、自分達以外に誰も居ない、人払いをした。とまで言われてしまえば、一番予想していた事が的中したと言っても良いわけで、そりゃ私もこうして落ち着く事ができないわけで…
 
「…具合でも悪いのかい?」
 
 眉を顰めたディルックが椅子から立ち上がり、私の額に手を当てる。突然の事に驚いて触れられた瞬間、体が大きく跳ねる。そんな私を見てディルックは目を丸くする。動揺と、露骨に驚いてしまったという羞恥心から顔が一気に熱くなる。「えと、あの、大丈夫…」と振り絞ったかのような頼りない声でそう言うと、私の顔をまじまじ見ていたディルックが納得したかのように頷いて椅子へと座り直した。
 
「……緊張しすぎじゃないか?」
 
「………直球すぎる…」
 
 そこは目を瞑ってよ!と居た堪れなくなり両手で顔を覆うと、ディルックがふっと笑ったような気がした。私と違って余裕綽々な彼を指の隙間からキッと睨み付けると、ディルックは柔らかい笑みを浮かべていた。そして私と目が合うと、そっと手招きをした。
 反射的に立ち上がってディルックへと近寄るが、向かい合って椅子に座っているとはいえ、私達の距離は充分近い。ディルックの目の前で突っ立っていると、ディルックの手が私の腰をぐいっと引き寄せた。
 
「ちょ、っと!」
 
 私の足が、座っているディルックの足へぶつかりそうになり、それを避けようとした事でバランスを崩した。そして気が付けば私はディルックの膝の上へと座っていた。あっという間に起きた事に意味が分からず目の前にあるやけに整ったディルックの顔をぽかんと見ていると、やっと脳の処理が追いついて、とんでもない体勢である事に気が付いた。
 慌ててディルックの膝から退こうとしたのに、ディルックの手がガッチリ私の腰へと回っていて立ち上がる事ができない。な、なんで!?と思いながら、ディルックの肩を押し退けるかのように立ちあがろうとするが、何をしてもディルックの体はビクともしなかった。
 
「嫌なのか?」
 
「…そうじゃないけどこの体勢は恥ずかしすぎるよ…」
 
 より一層赤くなる私と違って、やっぱりディルックは顔色ひとつ変える事はない。なんだか私だけが大慌てで、恥ずかしくて、みっともなくて、フェアじゃないじゃないか。涼しい顔をしているディルックから顔を背けて頬を膨らませると、ディルックの手が私の手を取って自分の胸へと押し当てた。
 
「……速いだろう?」
 
「え?」
 
「鼓動」
 
 指先に神経を集中する。確かに、ディルックの鼓動は速い。
 私の考えていた事を察してくれたんだと理解したと同時に、ディルックの顔が近付いてきて、私の唇に触れるだけのキスをした。指先に感じていたディルックの鼓動なんてもう分からないくらい自分の鼓動が大きく、速くなるのが分かる。やっぱり恥ずかしくてディルックの膝の上から降りようとしたけどまたしてもそれは許されなかった。
 
「僕だって今日この日が来るのを柄にも無く緊張していたし、現に今だって動揺しているんだ」
 
「…動揺してたらこんなところに座らせる?」
 
「これよりももっとすごい事を今夜するんだ。これくらいして慣れていておかないと」
 
 ディルックの顔が少し赤いような気がしたが、それを確認する間もなく、私の視界はディルックの真っ赤な瞳に支配された。
 
「僕も、君も、ね?」
 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -