宮兄弟と東京からの転校生
小学1年生、春、7歳になる年。人生で初めて絶望という感情を味わった。


「俺、東京に残る」


慣れ親しんだ東京から引っ越すことが決まったと同時に、大好きな兄と離れ離れになることが決定した。





「まだ不貞腐れてるのか、ひかり」
「仕方ないよねえ、ひかりはお兄ちゃん大好きだもんねえ」

呆れたように笑うお父さんと微笑ましげに笑うお母さん。全然おもしろくない。私は兵庫に引っ越すことも、お兄ちゃんがひとり東京に残ることも、ほんとにほんとに嫌だったのに!

小学校に入学したと思ったらお父さんの仕事の都合で兵庫に引っ越すことになったの、と言われすぐに転校することになった。信じられない、新しい友達が少しずつ増えて毎日勉強とか給食とか楽しかったのに。しかもお兄ちゃんが東京に残るとか言い出すなんて考えもしなかった。もちろんお父さんもお母さんも最初は反対した。今年15になるとはいえまだ子供だから心配だって。でもお兄ちゃんは絶対にその意志を曲げなかった。


『どうしても、東京で入りたい高校がある。そこで俺、バレー続けたいんだ』


お願いします、と頭を下げたお兄ちゃんの目は真剣だった。いつも楽しい晩ご飯、お兄ちゃんの隣でバレーの話とか学校の話とか聞きながら美味しいねって食べてたのに、その日はいつもと雰囲気が違った。私は意味が分からなくて、お父さんとお母さんの方を見る。ふたりもお兄ちゃんの様子を見て同じように真剣な目をしてた。私だけが混乱してて、どうしたらいいか分からない状態だった。
結局3人でちゃんと話し合って、最終的にお兄ちゃんはおばあちゃんとおじいちゃんのお家に住むことになり、東京にそのまま残ることになった。バレーが強い学校に行くために、強いバレー選手になるために、これからもずっとバレーを続けるために。
何度かお兄ちゃんの試合を観に行ったことがある。確かに試合中のお兄ちゃんは楽しそうで、いつも強かった。そんなお兄ちゃんを見て、お兄ちゃんがやってるから一緒にボールで遊びたくて、私も少しずつバレーボールに触るようになった。小学校のチームにも入ったし、これからお兄ちゃんみたいに試合とか出てみたいって思ってたけど、そんなバレーがお兄ちゃんを奪ったように感じた。なんで?兵庫じゃバレーはできないの?なんでお兄ちゃんだけ東京に残るの?私も友達もいるしお兄ちゃんもいるから東京に残りたい。そう駄々を捏ねたけどまかり通る訳がなく。

『ひかり、大丈夫、すぐまた会えるよ。ちょっとだけ離れるだけだから』
『……やだもん』
『でもひかり、兄ちゃんバレーだけは譲れない。ひかりだって観てたでしょ、この間試合で俺が負けたの』
『……うん』
『全国には強い選手が沢山いる。だからもっと強くなってずっと勝てるようになりたいんだよ、俺は』
『……うん』
『それともひかりは弱い兄ちゃんでいいの?』
『……やだ……』
『だろー?だから、兄ちゃん東京に残って、強い学校で強いやつらともっと強くなれるように、練習するから』

だからまた試合観に来てくれるか?


そう言われたら、うんと頷くしかない。8歳離れたお兄ちゃんはいつだって私の面倒を見てくれて、可愛がってくれて、優しくて、強くて。お兄ちゃんがいたから毎日楽しかったし、初めての学校だって、バレーの練習だって、勉強だって、平気だったのに。
これからひとりで、知らないところでやっていけるのかな。



「そろそろ新しいお家に着くよ」
「お向さんにねえ、同い年の子がいるんだって」

お友達になれるといいね、ひかり

……そんなこと言われても、今は会いたくない。しかめっ面をして返事もせずに窓から景色を見る。どこにでもありそうな普通のお家がたくさん並んでる。でもここは東京じゃない、友達もいない、お兄ちゃんもいない。全然知らないところ。

「着いたよー」
「やっぱり前より広いわねー。良かったここにして」

車から降りて、新しいお家を見上げる。確かに東京で住んでたのはマンションだったし、一軒家のこっちの方が広い。しかもなんか綺麗。……今日からここに住むの、変な感じだ。
なんとも言えない顔をしてじっと見ていれば後ろから大きな声が聞こえた。びっくりして振り返るとちょうど向かいのお家の玄関から男の子がひとり飛び出してきた。……この子が、さっきお母さんが言ってた同い年の子、かな。

「はよせぇ治!」
「待てって言うてるやろが!今ボール1個しかないんやからな!!」
「お前がビビってあっこんちの庭に置いてったんが悪いやろ!!」
「人のこと言えんやろ!!あの犬にビビってたんは侑も一緒や!!」

男の子、2人いるのかな。あつむと、おさむって名前らしい。

「……!?」
「あっ」
「あー!」

……同じ顔、してる……!?

真っ黒い髪、さんかく眉、ちょっとたれ目、背格好も変わらないし着ている服も色が違うくらい。見た目で他に違う所を探せという方が難しい。人生で初めて双子という存在を目にした私は2度目のびっくりに遭遇した上に、その見分けのつかない顔をした2人に揃って大声をあげられたもんだからガチッと固まってしまった。な、なに、人のこと見てそんな風に声を上げるの失礼だと思うんだけど……。

「「東京からの転校生!!」」
「……」
「せやろ?自分、東京から来たんやろ!?」
「おかん言っとたもんな!お向いさんに転校生来るでって!」

……私と違う喋り方してる……自分って、自分のこと言ってるんじゃないの……?私……?
今度は初めてちゃんと聞く関西弁にびっくりする。引越しが決まってから人生初が多すぎる。どうしていいか分からなくて、自然と視線が下を向いてしまう。するとひとりが両手で持っている物に気がついた。黄色と青の丸いもの、我が家にも2個あるそれはバレーボール。……この子達も、お兄ちゃんと一緒でバレーボールやるのかな……。

「あ、お向いさんの同級生?双子の兄弟だったんだね」

勝手に話し続ける目の前の男の子たちと、困惑してバレーボールを見たまま動けない私の後ろからお母さんが現れて声をかけてくれた。助かった、どうしていいか分からなかったし、ふたりはずっと話してるから私が入る隙もなかったし。ふたりにバレないようにそっとお母さんの方に寄った。本当ならもうこのまま後ろに隠れてサッと家まで入りたいところだ。

「ふたりともよろしくね。えっと」
「治!」
「侑!」
「治くんと、侑くんね、元気だねえ、よろしくお願いします。あとでお母さんにもご挨拶しに行くね」

ひかりは挨拶したの、と言われて渋々ふたりの方を向く。……どっちがどっちなんだか分からない。

「加隈ひかり、です。東京から来たの。よろしくお願いします」

ぺこっとおざなりに頭を軽く下げて挨拶すれば、ふたりはキラッキラ目を輝かせてこっちを見てた。……今度は何……。

「「標準語……!かっこええなあ……!」」
「……なにそれ……」


あの日もふたりはバレーボール持ってたなあ。今や懐かしい、これが私と侑と治、3人の始まりの日。




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