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10.予期せぬ事態のための

 総の携帯電話が上衣のポケットの中で震えたのは、帰宅しようとオフィスのあるビルを出た時だった。上に着込んだコートの裾から強引に手を差し入れて取り出し、ディスプレイを見れば、普段はメールでしか連絡を寄越さない和弥からの電話だった。

「もしもし? どうした、急用?」

 手袋をしたまま通話ボタンを押すと、外からかけているのか雑音が飛び込んでくる。

「総くん? あの、さっき帰ったとこなんだけど、火事みたいで……」
「火事? 火事ってうちが?」
「いや、うちじゃない、裏のアパート。今は大丈夫だけど風向きとかで延焼するかもって……」

 どうしよう、と呟く和弥の声に、消防車のサイレンの音と人々のざわめきが重なった。

「今どこにいるの、外?」
「うん、道路に……あの、それでおれ、自分の財布くらいしか持ち出してなくて、総くんの大事なものとか……」

 心細いのか、和弥の声はいつもよりずっと頼りない。頼りないその分だけ、自分はしっかりした声を出さねばならないような気がした。総は努めて声を張る。

「そんなのいいからとにかく安全な場所にいて。部屋に戻っちゃだめだ。今帰るから」

 それだけ言って通話を切った。どの程度差し迫った事態なのか、和弥の説明から正確には汲み取れなかったが、急ぐに越したことはない。通勤鞄をストラップで肩から斜め掛けにし、駐輪場からミニベロを引っ張り出した。

「……と」

 そのまま漕ぎ出しかけて、総は動きを止めた。剥き出しのチェーンとギアがある右側のスラックスの裾がそのままはためいているのが目に入ったのだ。慌てて鞄に引っ掛けてあるバンドで留める。気付けばライトさえ点け忘れており、苦笑するしかなかった。思いの外慌てていたらしい。
 LEDの前照灯と尾灯を点け、深呼吸をしてから今度こそペダルを踏み込んだ。



 混雑する大通りを避け、20分の道のりを十数分で自宅マンションに到着した。暗い中でも煙が上がっているのが見え、それを取り巻くように集まった住人たちや野次馬の顔に、消防車の赤色灯が不穏な光を投げかけていた。大きな炎が見えないところをみると、火の手は収まりつつあるのかも知れない。

 従弟の顔を探していると、自転車を降りて近付く総をみとめて和弥が駆け寄ってきた。


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