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5 対等な関係のための

 7月も終りに近づいた休日、ベランダでからりと乾いた洗濯物を取り込もうとしていた和弥はふと手を止めた。西の空が一面に、禍々しいほどの橙に染まっている。明日も晴天だろう。
 梅雨入りも梅雨明けも曖昧なまま、仙台に夏が訪れていた。しかし、夏休みという学生の特権を享受する前に、期末の課題と試験という壁を乗り越えねばならないのだった。
 週明けに提出のレポートを昨夜遅くまで書き、今日もほぼ1日中プログラミングの課題と格闘していた。頭の中心がじんじんと重い。ベランダの手摺りに寄り掛かり、和弥は疲れた目をゆっくりと瞬いた。

「和弥!」

 不意に背後から腕を強く掴まれる。
 驚いて振り向くと、今帰宅したらしい同居人の総が恐ろしい形相で息を切らしていた。

「何、どうしたの」
「どうしたのじゃない! 危ないだろ、何してるんだよ」
「何って……」

 総の勢いにたじろぎ、固まってしまっていた和弥だが、漸く総の心配事に気付いて表情を曇らせる。

「ちょっとぼんやりしてただけ。何も危なくないって」
 そもそもここは2階なのだ。何も起こりようがない。

 ここ暫く浮かない顔でぼうっとしていることの増えた和弥を、総はずっと不安そうに見ていた。和弥としては、大学に入って初めての試験のことが気に掛かり、課題のために寝不足になりがちでついぼんやりしてしまうというただそれだけのことなのだが、こうも心配されては息が詰まる。まるで実家にいるかのような感覚だった。

「ほら、これ入れて」
 洗濯物を従兄に押し付け、和弥はひとり自室へ向かった。



「和弥、元気なくない?」
「なくない」
「え、ないのあるのどっち」
 妙な日本語で問いかけておいて自分で混乱している従兄を、和弥は白い目で見た。
「……元気だって。今週4つも試験あるからちょっと大変だけど」
「そっか、試験か」
 何度も小刻みに頷き、総は野菜炒めを口に運んだ。今日の夕飯は総の手によるものだ。彼に食事を任せると3回に2回は野菜炒めが登場する。
 一応は納得したような顔をしつつも、総はちらちらと和弥を窺うのをやめない。その態度が、試験以上に和弥の気分を重くさせた。

 自殺のことなど言うのではなかった。今や和弥は完全に後悔していた。徒に心配を掛けるだけなのに、どうして理解して欲しいなんて独り善がりなことを思ったりしたのだろう。

「……和弥さ、今はもうベランダに出ても……その、飛びたくなったりとか、しないんだよね?」

 冗談かと和弥は思ったが、年上の同居人の表情は真剣だった。

「また自殺なんてされたらたまったもんじゃない、って?」
 挑むように和弥は言う。
「総くんに面倒かけるようなこと、するわけないだろ」
「そういうことじゃなくて……」
「いい加減にしてよ」

 冷静に言い放つ。普段とは違う従弟の態度に総は狼狽えたように黙り込む。

「もうしないって、そう言わなかった? 『ルームシェア』って、総くん最初に言ってくれたじゃんか。これじゃ実家にいるのと変わらない」
 感情的になっている。論理の筋道なんて構っていられなかった。
「母さんは総くんにおれを見張らせるつもりで同居させてるんだろうけど、総くんまでそう思ってるならこんな生活、おれは」
いやだ。最後は子どものように頑是なく呟いた。

 目を見開いている総を残し、ご馳走様、と告げて和弥は席を立つ。
 
 帰りたい、と思った。でもどこへ?
 実家にもここにも安らぎを見出せないとしたら、どこへ帰ればいいのだろう。
 
 やるせなさに唇を噛み、力任せに自分の食器を洗った。


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