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「だから母さんにも、はっきり文句は言えないっていうか……」

 それでも事件から数年経ち、母も職場に復帰して家庭は明るさを取り戻していた。妹たちも、ややぎこちないが表面的には屈託なく和弥に接するようになった。

 総は呆気に取られて硬直している。この同居の背景に、そこまで重い事情があるとは思っていなかったのだろう。

「あんなに周りをめちゃくちゃにしちゃうって分かったんだから、もう馬鹿な真似はしないよ」

「……当たり前だろ」

 辛うじて、といった様子で総はそれだけ言った。


 死にたいと思っていたわけではない。自殺を想い描いたことさえほとんどなかった。それなのに、気付いたらベランダの柵を乗り越えていた。自分自身にもわからなくて、恐ろしい。
 それでも、自分が二度と同じことをしないであろうことだけはわかる。柵のこちら側に彼を繋ぎ止める錘を、今の和弥は絶えず意識して生きている。


「……でも、理由がないなんて」

 理由がないわけではないのだろう。和弥も時に分析を試みることがあるのだが、尤もらしい言葉を並べても、どうにも嘘っぽくなってしまう。

「子ネズミ」
「え?」
「……みたいな女の子が、おれを好きだって」
「告白されたのか?」
「うん」
「……それが『理由』?」
「いや……」

 事件の記憶とともに浮かぶのは、子ネズミの瞳だ。それを誰かに話したのは初めてだった。

 華奢で目立たない、しかしきれいな顔をしたクラスの女の子が、あるときそっと和弥に近づいてきた。
 付き合ってほしいと求めるでもなく、ずっと和弥をいいと思っていたということを恥ずかしそうに告げて去っていった。色白のちいさな顔できらきらしていた黒い瞳。そういった告白を受けるのは初めてだった。

 ほとんど話したことさえないような女の子の瞳に、自分が特別に映っていた。
 好意を喜ぶべきところのはずなのに、そのことが和弥にもたらしたのは言い知れぬ不気味さだけだった。

 名前も知らない後輩から告白されて有頂天になっていた友人の姿を思い出す。自分はどこか、心の重要な部分が欠けているのかも知れない。和弥は漠然とそう感じたのだった。

 それが理由、と言うのは簡単だが、どこかしっくり来ない。
 しかし、自ら命を絶つという生物の本能に反した衝動に、合理的な理由などある方がおかしいのかも知れない。

 どこか見えない場所に麻痺を抱えているような、漠然とした不安感は今も続いていた。



「和弥、……和弥」

 総が不安そうに名前を呼んでいる。

「あ、……ごめん、ぼうっとしてた」
「まじ心配になるからやめてクダサイ」

 ふざけた調子だったが、眉間に寄せられた皺に焦りが見える。

「ほんと大丈夫だって。ほら、若気の至りってやつ?」

 わざと冗談めかして言う。しかし、自分のことをここまで誰かに話したのは初めてで、内心では息切れと目眩を起こしそうになっていた。

 話したいと思ったことも、それまでなかった。だから、こんなにも自分をわかってほしいという欲求が潜んでいたなんて気づかなかった。

 思わず胸を押さえる和弥を、総がまた心配そうに見遣った。




―4.隠すべき過去のための

おわり。


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