Or no doOr


 今夜も蒸し暑い。

 普段は家で酒など飲まないのに、ついコンビニで缶ビールなんぞを買ってしまった。

 レジ袋をぶら下げてアパートの外階段を上る。上りきってすぐの301号室がうち。鞄から鍵を出し、扉を開けようと視線を上げると――

 扉が、ない。

 入ってすぐの台所が丸見えになっている。

 扉が「開いている」のではない。扉そのものが、ないのである。

「あの、ここの部屋の人すか」

 あまりの事態に呆然としていると、足元から突然声がした。
 見れば、今や枠だけになってしまった入り口の横にしゃがみこんでいたらしい、ツナギ姿の若い男が立ち上がるところだった。金に近い茶髪で、背が高い。

「はぁ、そうですが」
「宮島工務店の者です。今日、おたくのアパートで玄関扉の付け替え工事をさせてもらったんですが」
「はぁ」

 そういえば今日だった。帰ってきたら新しい鍵を取りに寄るようにって大家に言われてたっけ。

「で……?」
「ええと、実は……納品された扉が一枚、足りなかったらしくてですね、で、古いのを外してしまってからそれがわかりまして」

 おいおい。外す前に確かめるだろう、普通。

「奥の307号室から始めて、こちらが今日最後だったんすけど、……あー、扉、届くの早くて明日の朝だそうで」

 口調がちょっとぞんざいになってきた……

「前のやつは?」
「古い扉、外すとき金具壊しちゃって」
「………」

「要は、明日の朝までドア無しで過ごせと」
「そう、なります……」

 ありえないだろう。普通、多少無理をしてでもどうにかするはずだ。

 しかし実際、扉はないのだった。


***


 工務店で一番の下っ端なのだという彼は、この部屋の住人(つまりぼくだ)が帰ってくるまでの見張り(何しろドアがなくては物騒なので)、住人への事情説明、そしてその後の対処(何とも大雑把な指示だ)を一手に任されているらしい。
 具体的には、帰ってきた住人に友人の家なりホテルなりに行ってもらって、彼はここで朝まで門番業務を続ける、とか。暑い中の肉体労働の後で、それは酷な話だ。

「帰ってもらって構いませんよ。女の子じゃないんだし、ひと晩くらいドアレスでもまぁ平気でしょ」

 こちら側は通りにも面していないので、上がってこなければそもそも扉がないこともわからない。

「や、でも寮に帰るとどやされるんで」

 そりゃ厄介。うーむ。

「……そうだビール飲む?」
「あ、気ぃ遣わないでください」

 へにゃりとちからの抜けた笑み。細めに整えた眉はちょっと恐い印象だけど、笑うとなかなか可愛い。

「そ? じゃ遠慮なく……」

 鞄と上着を部屋の中に放り込み、外廊下の柵にもたれてプルタブを引いた。
 喉を鳴らして半分ほど一気飲み。ふと横を見ると、宮島工務店の彼がお預けを喰らった犬、みたいな切なそうな顔でこちらを見ていた。

「やっぱいる?」
「あの……すいません1本だけ、」

 缶を手渡すと彼はすぐにプルタブを引いた。そこに軽くこちらの缶をぶつける。

「おっちょこちょいな宮島工務店に乾杯」
「う……すいません……」

 彼は申し訳なさそうに、かつ大変うまそうにビールを飲んだ。

「はー、うまい」
「お隣の真新しいドアを見ながらだと尚更うまいよね」
「う……」

 君だけが悪いんじゃないのは知ってるが、イヤミ言うくらい許してくれ。

「でもまぁ、ドアないのもちょっと新鮮でいいかもね」
「そうすか?」

 蒸し暑いけれど、吹く風はもう涼しい。玄関扉という境界線を取り払ってみれば、天井の低いワンルームの室内よりはこの外廊下の方がビールを飲むのに相応しい場所のように思えた。

「世界ぜんぶがうち、みたいな」
「スケールでかいですね」
「ドアなんてナンセンスだよね」
「ですよねー。あ、じゃあついでにシャワー借りていいすか」
「じゃあ、もついでに、も意味がわからないけど別にいいよ」
「さすがっす!」



おわる。


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