SESSION


「チョコレート」
「和菓子は苦手なんだろう?」

 一礼した竜胆(リンドウ)が澄まして言う。おれの目の前に置かれた漆塗りの菓子盆には、チョコレートが何粒か上品に並んでいた。

「うん、あののっぺりした甘さがどうにも……」

 くすりと笑って立ち上がり、竜胆は茶道口から出て行く。惚れぼれとするような美しい動作だった。
 竜胆の茶室を訪れるのは凡そ1年振りだ。数日前に訪問の意を伝えたところ、彼は快く了承し、いつものようにもてなしの仕度を調えて待っていてくれた。

「今日はどうしたんだ、突然」

 上等そうなチョコレートを味わっていると、袱紗(ふくさ)で茶器の蓋を清めながら竜胆が訊ねる。

「コラボのお願いに上がりました」
「コラボ?」
「ジャズ茶会。おれがピアノ弾いて竜胆がお茶点てるの」
「勘弁してくれ」
「ウケると思うんだけど。何せ新進気鋭の『茶道王子』だもん」
「その変なあだ名はやめろ。尻がむず痒くなる」

 以前ミセス雑誌でも紹介されたことのある竜胆は、品のいいおば様方のアイドルだった。秋の花の名を持つ彼の、男らしく整った容貌と美しい所作、そして清烈な雰囲気は老若男女を問わず人を惹き付ける。

「ふ。王子って……」
「笑い事じゃない」

 それから暫く、竜胆は黙っていた。道具の触れ合う微かな音と、竜胆が柄杓で湯や水を扱う心地よい音、そして丹念に手入れされた庭から聞こえる草木のざわめきと鳥の囀りが室内に満ちる。

 この茶室を中心として、竜胆が世界の全てをその手に握っているように思われ、奇妙な焦燥を感じる。竜胆が遠い。竜胆はおれよりずっと深いところで世界を識っているのかも知れない。

 そんな思いを打ち消すように口を開いた。

「だって竜胆ってば、若いのに枯れてんだもん。俗世間に連れ出してやろうと思ってさ」

 彼の祖父が遺したという広大な古い邸宅に、わざわざ独りぼっちで暮らす竜胆の気が知れない。知りたくもない。

「別に隠遁してるわけじゃないよ」

 受け答えをしつつ、竜胆の所作は淀みない。

「水が流れるように、だっけ」

 お点前のあらゆる動作にはひとつひとつ意味がある。自然で合理的で無駄がない。
 以前、ややこしい作法が魔術の儀式みたいだと揶揄った際に竜胆が言ったことだ。竜胆の点前を見ているとそれがわかるような気がする。

「……若い頃、そんなことも言ったかもな」

 竜胆はやや苦々しげに言い、口を鎖してしまった。どうせ、茶の心を言葉でべらべら説くのは好ましくない、とでも思っているんだろう。今だって若いくせに。

「あ、これマーガレット? チョコレートにマーガレットか、何でもありだな、ジャズみたい」

 何でもいいから喋っていたくて、床の間の花入れを指差す。

「都忘れ」
「え?」
「その花の名前。マーガレットじゃない」
「みやこわすれ……」

 まるで竜胆自身みたいだ。でも可愛い花。

「都会は楽しいよ、竜胆。おれのことまで忘れないでよ?」
「何を言ってるんだ」

 茶筅を振りながら竜胆が苦笑する。真っ直ぐな背、小気味良いリズム。

「チョコレート、どこで買ったと思う」
「え?」

「新宿の伊勢丹」

 新宿にいる竜胆が想像できずに呆気に取られていると、

「おれがわからないって言っていたっけ、お前」

 目の前に竜胆。真剣な顔で、こちらに正面を向けた茶碗を畳に置いた。


「これがおれの心だ」

 深く一礼。心臓を射抜かれた。

 恐る恐る、茶碗を手に取り口を付ける。
 舌に残るチョコレートの甘味と爽やかな抹茶の風味が融けあった。熱い茶が喉を下ってゆくと、後には清涼感が残る。

 この茶室は、世界は、竜胆が設えた上等の器なのだ。そこになみなみと満ちる竜胆の心が、惜し気もなくおれに捧げられている。
 おれのために竜胆が選んだ菓子に掛軸、茶道具、そしておそらくは今朝、庭から摘んで生けられたのであろう都忘れ。

 もてなしの心なんて生易しいもんじゃない。この一服は、竜胆のいのちだ。不思議とそう思えた。


「竜胆」
「何だ」
「おれ以外にそんなこと言ったら怒る」
「客は平等に大切だ」
「竜胆」
「何だ」
「コラボは諦めるから、おれのライブ聴きに来て」
「それなら喜んで。ジャズは好きなんだよ」

 竜胆は柔らかく微笑んだ。なんて美しい男。

「竜胆の曲、弾くから。茶人リンドウとマーガレットと宇宙のテーマ」
「……楽しみだ」

 もう半分できてる。ピアノがあったら今すぐにでも聴かせるのに。

 どこからかやわらかな5月の風が吹き込んで、茶人リンドウの短い黒髪を揺らした。



fin.


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