うさぎ日和
Vivid-coloured Memories
天気がいいので車で出掛ける。
隣でハンドルを握る史生は、鼈甲のような茶色のフレームに薄いオレンジのレンズの入ったサングラスを掛けている。 彼の着ている、こちらも淡いオレンジ色のシャツを見るともなしに眺めていると、白いドットだと思っていたシャツの模様が実は無数の小さなウサギだったということに気付いた。 途端、笑いが込み上げる。
「なに、睦月」 史生がこちらを見た。
「いや、可愛いシャツだな、それ」
「どうせまた変な服だと思ってるんだろ」
拗ねた声。そんなことはないと言い訳しようとするが、笑いが止まらなくてしどろもどろになる。サングラスも臙脂色の細身のパンツも、もはや史生の何もかもが可笑しく感じる。
呪いなのだ、これは。
もう何年も前、同居を始めたばかりの頃。
引っ越し祝いを手に、史生の会社の代表である矢本が新居に現れた。代表といっても史生の大学時代の同級生で、上司というよりは友人として訪ねてきたのである。仲間数人で立ち上げた会社で、史生はゲイであることを隠していない。
史生がコーヒーを淹れに立った隙に、矢本が悪戯っぽい表情で「フミの学生時代の写真、見たことある?」と聞いてきた。 古い写真を見せ合うようなことは、そういえばしたことがない。
矢本は鞄からA5サイズのフォトアルバムを取り出すと、笑いを堪えるような表情で差し出す。
何気なく捲って仰天した。 アルバムの1ページ目で笑う若き日の同居人は、何と言うか……何とも言いがたい、奇抜な格好をしていたのである。
眉上で真っ直ぐに切り揃えた前髪。蛍光ピンクのパーカの下のTシャツで、どアップのテディベアがニヒルに微笑む。グリーンのカーゴパンツの足元は何故か草履だった。
史生の写真だけを抜き出して集めたものなのか、どの写真にも彼が写っている。 そして、恐るべきことに、普通と言える格好をしたものはどこにも見当たらない。
あるときは髪を絵の具のような鮮やかな赤に染め、あるときは幅広の白黒ボーダーのTシャツにピンクのサロペットを合わせ。男物ではまず見掛けないような若草色のカーディガンを羽織っているものもあるし、完全に女装している写真さえあった。
「これ、全部私服ですか?」
わかりきったことだがつい訊ねてしまう。
「私服。おれ、写真が趣味で毎日『記録』してたんだ。あ、さすがに女装は周りの奴らが面白がってやらせたんだけど」
「女装が一番まともに見える」
既にコントロール不可能な笑いで肩が震えていた。
「凄いだろ。見ると元気が出る史生写真集」
矢本は横からページを捲って見せながら、「あ、これは教育実習の時の」と一枚を指差す。
大人しい茶髪に黒のリクルートスーツ、淡い水色のシャツ。一見まともだが、そこに見たこともないような色柄のネクタイを合わせている。さすがである。
抑制された微妙な派手さが逆に可笑しくて、ついに声を上げて笑う。止まらない。
「当時はキャンパスの有名人で、フミに憧れて真似する後輩までいたんだぜ。報道部が取材に来たりもした」
「も、やめてくださ……」
笑いすぎて腹筋が痛いとか目尻に涙がにじむとか、そういう経験を何年ぶりかでした。
二人で爆笑していたところに史生が戻ってきて、「何やってるの」と絶叫してアルバムを取り上げ、そのまま拗ねて部屋に引き篭ってしまった。
彼はその後1週間にわたって拗ね続け、こちらはこちらでことあるごとに思い出し笑いが止まらなくなり、随分苦労した記憶がある。
「ちょっと、いつまで笑ってるんだよ」
史生が睨んでいる。だから、呪いなのだ、これは。仕方がない。
「なぁ、そんなシャツ、どこで売ってるんだよ。気になるから一緒に買い物連れてけって」
そう、以来彼はどんなに頼んでも、服を買うのに同行させてはくれない。相当傷付いているらしい。
「ばかにされるってわかってて、連れてくわけないでしょ」
しかし、ここだけの話だが、彼の最も恐ろしいところはあの奇抜な服装の数々を、決して若気の至りだとか、学生時代の恥ずかしい思い出という風には捉えていないらしいところだ。 過去を曝露されたことではく、ひたすらそれを笑われたことに対して彼は怒っていたようなのである。
あれ、いかしてるって本気で思ってるだろ、お前。 社会人という制約さえなければ、今だってやらかしたいと思っているはずだ。
ウサギが1匹、ウサギが2匹……シャツのウサギをカウントして気を落ち着けようとしたが、逆効果だった。運転席から冷たい視線。
「落っことすよ、高速の真ん中で」
「悪い、許してくれ」
両手を合わせて頭を下げたところで、アクセルを踏む史生のスニーカーが目に入る。
お前、片方だけ、何だその色の切り替え。
おわり。
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