片手に愛を

A Decision

「はいお土産」

クリーム色のビニールの手提げ袋を差し出すと、受け取った睦月が早速中身をテーブルの上に広げる。
クロワッサンふたつ、バゲット1本、マフィンふたつ。

「お、旨そう」
「近所にパン屋さんできたの知ってる?」
「どこ?」
「駅前通りから1本東に入ったとこ。夜8時までやっててイートインもできるんだよ」
「そういう情報早いよなオマエ」

呆れたように言いながら、睦月は丁寧にパンを包み直す。

「……幸せ」
「は? マフィンが?」

「それもだけど。独り暮らしの人はバゲット1本とクロワッサンとマフィン2個ずつは買わないでしょう」
「大食いかも知れないだろ」

ヤな奴。

ケーキ屋さんでケーキをふたつ選ぶとき、旅先で食べたものが美味しかったから睦月にも買って帰ろう、と思うとき、スーパーでふたり分の食材を買うときでさえも、心がほっこりと温かくなる。

「睦月と住んでてよかった」
「誘ったときは渋ってたくせに」
「渋ったんじゃない、迷ったんだよ」



もう何年も前になるけれど、同居を決めたときのことは今でもよく憶えている。

「一緒に住まない?」

睦月の部屋に泊まった翌朝、出がけに玄関でそう言われたのだった。

「……それって、」
「ここじゃ狭いし、もう少し広い部屋借りてさ。……今すぐ決めなくていい。考えといて」

すぐには返事をできずにいると、僕の迷いを読んでいたかのように睦月は猶予を与えた。軽い口調だったが、それは装われたものだとわかる。緊張の滲んだ声だった。

睦月の部屋に泊まることはしょっちゅうで、合鍵だって持っていたけれど、同居というのはまた違う。
それまでにもいわゆる半同棲状態になった相手はいたが、自分の部屋を引き払って生活の場を完全に移したことはなかった。生活の中心に関わる事柄において、未知は恐怖だ。


その日、1日中考えても答えは出なかった。答えの出ないまま、また睦月の部屋に戻った。

彼の言う同居は、ひとつの冷蔵庫、ひとつの洗濯機、ひとつの電子レンジで暮らすということ。

いつかお互いを好きじゃなくなって、もしかしたら憎むようになって、別れるときにはひとつの電子レンジを取り合って醜く争ったりするんだろうか。

例えば「お前みたいな最低野郎にこの電子レンジは渡さない」なんて、
……あの睦月が?
馬鹿げてる。

きっと終わりのときにも、僕たちは静かだろう。今までそうであったように。
新しく住む場所を決めて、荷物を少しずつ運び出す。足りないものを買い足して、別々の場所で、別々の電子レンジで、別々の暮らしを始めるのだろう。きっと睦月は、引っ越しだって手伝ってくれる――

途端、目の奥が熱くなって、喉がきゅうっと狭くなる。

「何難しい顔してんだ」

そう、睦月の声で現実に引き戻されたのだった。
あまりに馴染んだ声。一緒に暮らすことは、この声をいつも傍に聞くことだ。朝な夕な、おはようにも、おやすみにも。

「あの……同居の、こと」

声が掠れた。睦月は隣に座り、困ったようにこちらを覗き込んだ。

「……断ってもいいから、そんな顔すんなって」

首筋にそっと、睦月の手が置かれる。じんわりと神経を解すような温もり。そうされるのが好きだということを、彼は知っている。

瞬間、その温かさが全てだと思った。

「……一緒に暮らしたい。そうさせてよ」

自分専用の冷蔵庫があるところではなく、「お帰り」を言ってくれる相手のいるところを帰る場所にする。それが僕の選択だった。

「ほんとにいいのかよ」
珍しく弱気な睦月の声。

いつかいがみ合うようになっても、家電一式を買い直すことになっても、今日の選択を後悔することはないだろう。傍らの体温が確信させる。例えば1年後には睦月を大嫌いになっていたとしても、その1年間がまるきりふしあわせとは限らない。それに、

「……うちの電子レンジ、最近調子悪いし」

睦月は首を傾げ、僕は笑ったのだった。




それから部屋を見つけ、荷造りをし、引っ越せるまでにひと月以上かかってしまったけれど、とにかく僕たちは同居を始め、そして今までどうにかやってきた。

もしかしたら僕たちの終わりは、次の角を曲がったところで息を殺して待ち構えているのかもしれない。今までのことがこれからも続く保証はどこにもない。

だけど、だから何だというのだろう。

ひとりじゃ食べきれない量のパンを買って帰る幸せを知らない方がいいなんて、そんなことがあるはずない。またひとりになったときに2倍寂しい思いをするのだとしても、だ。


「ブルーベリー、おれのな」

睦月がマフィンのひとつを指さす。

「あ、それどっちも僕のだから」
「えええ」


嘘だよ。


おわり。


<< | >>

[top]

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -