千夜一夜

Good Night


「おい、それおれのだろ」

眠る前、ベッドでロス=マクドナルドのペーパーバックを読んでいると睦月が後からやってきて言う。

「借りた」
「貸した覚えねーけど」
「本棚から借りた」
「勝手に持ってくなって言ってんじゃん」

叱るが、声は静かだ。
大声は神経を興奮させて眠りを妨げると睦月は信じている。ほんとうかな。

「面白いか」
「まだわからない」
「それ犯人はさ」
「ちょっと!」

ネタばれ攻撃をしようとする睦月の口を塞ぎ、ページ数を記憶して本を閉じる。43。理由はないけど栞はあまり使わない。

「電気消すぞ」
「……睦月、何か歌って」

掛け布団に潜り込みながら頼むと、睦月は僕のベッドに浅く腰掛けて少し考える顔をした。歌ってくれるらしい。
彼の機嫌が良ければ歌ってもらえるし、キスで誤魔化されることもある。虫の居所が悪いと「バカ」と一蹴される。酔っ払った睦月が子守唄を歌ってくれたのが始まりで、以来時折ねだってみているのだった。



Once there was a way...


丁寧な発音で、睦月が優しく歌い出す。ビートルズの「Golden Slumbers」。小品ながら名曲だ。

Sleep pretty darling,do not cry...

ポールのシャウトでは子守唄にならないけれど、睦月の歌声は普段の彼からは想像できないほど甘い。ほんとうに子どもを寝かしつけるときのように、彼の手が僕のお腹の上でリズムを取る。

トラディショナルな日本の子守唄を歌ってくれる日もあれば、ビートルズよりもっと古い、黒人歌手の哀切なブルースの日もある。時には僕が何か歌ってあげる。ごっこ遊びのようで、どこかくすぐったい。

And I will sing a...

終わりに差し掛かった曲がスロウダウンし、睦月がこちらに目で合図を送る。おっと。慌てて息を吸う。

...lullaby

うん、ハモった。僕が付けたのはそうお洒落とは言えない旋律だったが、即席だからまあこんなものだろう。


小さく拍手を送ると睦月が身をかがめて僕の瞼に唇でふれた。


そこにまどろみが、すぐにやってくる。


おわり。


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