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慶吾に背負われて家を出たたまおは、拉致された嫌な思い出のあるグレーのカローラに大人しく乗り込んだ。かつて沼沢と暮らした家が遠ざかるのを、車窓からじっと見ている。
都築は誠一と話をするため、家の中に残っている。都築の雇った男の運転で、車は大学を目指していた。
助手席の國彦は手の中で青い首輪を弄びながら、都築の言わなかった彼の行動について考えていた。
沼沢は首を吊った状態で、彼の妻によって発見されている。 しかし、たまおはナイフでロープを切って、亡くなった主人をドアノブから下ろしているはずだ。
都築は遺体を発見していながらそれを誰にも知らせなかった。のみならず――國彦の推測が正しければ、彼はそれを「吊るし直し」たのである。
傍らにあった首輪を回収し、たまおの供えた野菊の花もどこかへ捨てたのだろう。そうして最期まで側にいた者の痕跡を消しておいてから、たまおを捜し始めた。 現場がそのままになっていたら、相当ややこしいことになっていたはずだ。
尊敬する先輩であり、友人でもあった男の遺体の側で都築は、どのような思いでそれだけのことをやってのけたのだろう。 訊ねる言葉もないが――國彦はもう見えなくなった沼沢の家に向かって、小さく頭を下げた。
* * *
「おお、犬だ」
研究室のソファの上、足を氷で冷やしながらあかねに膝枕されているたまおを見て、世良は顔を綻ばせた。
「おっさん犬好きなの?」
湯呑みにお茶を注ぎ分けながら慶吾がぞんざいな口調で問う。教授会に出席している國彦を、皆で待っているところだった。
「好きだなぁ。老後は田舎の一軒家で妻と柴犬と静かに暮らすのが夢だ」 「世良せんせぇ結婚してらしたんですかぁ?」 「……いや、まだだけど」 「じゃあ奥さんも柴犬も田舎の一軒家もこれから探さなきゃいけないわけだ」
慶吾が鼻で笑い、あかねは「大丈夫ですよぉ、老後までまだまだありますから」と元気づけた。たまおはあかねの太ももに小さく顔を擦り寄せ、目を細めている。
「犬でなければちょっと犯罪的な光景だ……熱ッ」 「あ、ごめん」
乱暴に置かれた弾みで湯呑みから跳ねたお茶に世良が小さく悲鳴を上げ、慶吾は全く悪びれずに謝った。
未成年にも見えるたまおと水商売の女性にしか見えないあかねの2ショットは確かに奇妙だったが、当人たちは気にせず寛いでいる。
「たまおちゃん、お家帰ったら何したい?」
あかねの問い掛けに、たまおの耳がぴんと立ち上がる。
「けーごとおふろ」 「んー、捻挫してるから今日はシャワーだけにした方がいいかもよぉ?」 「おふろー」 「あは、お風呂好きなんだね〜。アヒル使ってくれてる?」 「沈めたりぶつけたりしてるよな」 「ひどーい」
慶吾が代わりに答え、あかねは笑った。
たまおの耳が再びぴくりと震え、尻尾がぱたぱたと揺れる。
廊下を近づいてきた國彦の足音を、聞きつけたのかもしれない。
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*次回最終回です。やっとここまできた…!
(2010/07/21)
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