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 夕日が部屋を朱に染めていた。変わり果てた姿の主人の傍らで、ポチは丸一日、気を失っていたらしい。何日もまともな睡眠を取っていなかったのだから、それも無理からぬことであった。

 首に痛々しく食い込むロープから沼沢を下ろしてやろうとするがうまくゆかない。台所からナイフを持ち出してロープを切った。
 どさりと荷物のようにくずおれた身体にはひとかけらの温もりもなく、ポチにはそれがとても不思議だった。「つめたい」と呟くが、聞く者もない。

 立ち上がり、自分のリュックサックを取り出すとそこへ大切な手紙をしまった。
 外出といえば沼沢に連れられて近所の林を散策するのがせいぜいだったが、ポチは息子のお古だという靴やリュックサックを与えられている。一度だけ、休日に自動車に乗って大学の近くまで行ったことがあった。車から降りることはなかったが、初めての遠出に随分興奮したものだった。

 出掛ける時の約束だった耳を隠すための帽子を被ると、少し迷ってから、ポチは首輪を外して主人の傍らへ置いた。戻ってくるつもりだった。ここ以外に帰る場所はないのだから。
 外へ出ると暗闇の中にうす紫の野菊の花が咲いていて、沼沢がその花を好きだったことを思い出したポチは幾輪か摘んで家の中へ取って返した。相変わらず動かない沼沢の身体の近くにそれを置き、「でかける」と呟くと暮れかけの山道をふらふらと下っていった。

 道にはひとつの灯りもない。辛うじてまばらに外灯のある、幅の狭い橋に差し掛かる頃にはすっかり夜になっていた。徒歩3時間はかかる道のりを、ポチはひとり歩き続ける。


* * *

 慶吾は息を呑み、國彦は苦しげに表情を歪めた。
 ポチの――たまおのたどたどしい話は要領を得ず、実際にあったことの半分も伝えはしなかったが、それでも十分に悲惨なものだった。

「だいがくだれもいなかった」

 たまおの語り口はむしろ淡々としていて、聞くものにはそれが余計に苦しかった。

「夜だからね……疲れてただろう?」

 床を見つめたままのたまおは、僅かに首を傾げた。

「あかるくなるまでまってた」

 そのうちに眠ってしまったらしい。次に目覚めたのは昼間だった。

(2010/07/12)


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