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 同じ頃、遅めの出勤の仕度をしていた國彦の携帯電話が着信を知らせた。
 ディスプレイには「藤倉あかね」の文字。ゼミの学生には緊急連絡用に番号を教えてあったが、あかねから掛かってきたのは初めてだった。

「もしもし」
『朝早くにすみません。あの、今たまおちゃんと一緒ですか?』

 いつもの甘えるような調子はなく、緊迫した声だった。

「いや。たまおは慶吾……ええと、恋人の所へ行ってるよ」
『連絡取れますか』
「できるけど……どうしたの」
『たまおちゃんを探し回ってる人がいるんです』


 あかねは近所のベーカリーで7時半に焼き上がるパンを買い、いつも通り早めに大学へ行った。國彦の研究室の向いの資料室兼休憩室となっている部屋でコーヒーを淹れてパンを食べ、朝の儀式としてメイクを直すために化粧室へ向かおうとしたところ、スーツ姿の男が國彦の研究室の前をうろついていた。

「大槻先生ならまだ出勤なさってないみたいですよ」

 あかねが親切心から声を掛けると、振り返った男はあかねを見てにこやかにこう言った。

「大槻ゼミの藤倉さんですね」
「はぁ」

 見知らぬ男からいきなり名前を呼ばれ、あかねは首を傾げた。

「実は、この人を探しているのですが」

 そう言って男は上着のポケットから一葉の写真を取り出した。ある写真の一部を切り取って拡大したような不自然な、そして不鮮明なものだったが、そこに写っているのは間違いなく、ニットキャップを被ったたまおだった。

「あなたと、そして大槻教授と一緒にいるのを見たという学生さんがいましてね」

 しらばっくれても無駄ということだ。

「……あぁ、この人、大槻センセのお財布盗ろうとしたんですよぉ。センセが捕まえて、ここでお説教して帰しました」
「その後は?」
「知りませんよぉ。大槻センセ、めんどくさいのキライだから名前も所属も聞かずに帰しちゃったんです。どこの学部のひとなんですかぁ?」
「いえ、それは私も……」
「あなたも何か盗られたとか?」
「……まぁそんなところです。では、その後のことは本当に何もご存知ない?」

 男は探るようにあかねを見た。あかねは困ったような表情を作る。

「残念ながら。ごめんなさい」
「大槻教授も?」
「知らないと思いますよぉ。あ、ちなみに准教授です」
「あぁ……そうですか。わかりました、どうもありがとうございます」

 一礼し、男は階段の方へ去った。
 あかねは種々の化粧品でぱんぱんに膨れた化粧ポーチを持って素知らぬ顔でトイレへ入り、個室から携帯電話で國彦に連絡をしたというわけだ。



「たまおの写真を持ってたんですか」
『そうです。誰かと一緒に写ってる写真の、たまおちゃんのとこだけ切り取ったみたいな』
「うーん……とにかく連絡を取ってみよう。後で掛け直すから」

 國彦はそう言って一旦通話を切り、すぐに慶吾の番号を呼び出そうとする。
 ちょうどその時、玄関の前にバイクの停まる音がした。

(2010/05/08)


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