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休日出勤の利点は、研究室を訪ねて来る学生がいないため自分の作業に没頭できることだ。
大学の教員というのは研究者であると同時に当然教育者でもある。卒論や修論などを抱えた学生への助言も重要な仕事だ。絞り切れぬテーマや迫る締め切りの不安は國彦にも覚えがあるだけに、尚更泣きついてくる彼らを邪険にはできないのだった。もっとも、本当に切羽詰まってくれば休日だろうが関係なく追い回されることになるのだが。
そんなことを考えながら課題の評価をパソコンに入力していると、研究室の扉がノックされる。 声に出さず「げ」と呟いてから気を取り直して「どうぞ」と答えると、扉が開いて世良がひょっこりと顔を出した。
「なんだ君か」 「駐車場に車があったんでな。そっちも休日出勤か」 「2、3時間で帰るよ。何か用事?」 「いや……今朝のニュース見たか」 「ニュース? あぁ、もしかしてひったくりの」 「それ。その被害者さ、うちの学部の教授で例の委員会の主要メンバーだったんだよ」 「へぇ。重体だっけか、お気の毒に」
一応コメントを返しながらも、来訪の意図が読めずに戸惑う。だから何だと國彦は目で問いかけた。
「実はさ、これが初めてじゃないんだ」 「というと?」
長くなりそうな気配だったので、座れば、とソファを勧める。腰を下ろした世良に國彦はコーヒーを用意してやった。
世良の話によればこうだ。
文学部長・沼沢の論文捏造疑惑についての調査委員会のメンバーが次々に嫌がらせを受けている。具体的には研究室のホームページが荒らされたり、教員用ポストに個人を中傷する内容の文書が投げ込まれたり、駐車していた車に傷を付けられたりということが立て続けに起こっているというのである。
「だけど今回のは嫌がらせってレベルじゃないだろう」 「頭を打って重体になったのは偶然だろう。そこまでは想定してなかったのかも」 「それにしたって……。そもそも本当にその委員会のメンバーだけなのか? うちの教員を無差別に狙ってるんじゃなくて」 「委員会のアドバイザーを頼んでるW大の教授も中傷の手紙を受け取ってるらしい。そこの院生に知り合いがいて聞いたんだが」
「警察に言ったのか」 「嫌がらせのことは届けてない。委員会でも表立っては取り上げてないんだ」 証拠もないのにいい加減なことは言えないし、と世良は不安げに目を瞬かせながら言った。
「証拠って……嫌がらせが沼沢教授の仕業だとでも言うのか」 「そこまでは言わないが……」 「馬鹿馬鹿しい。そんなことをして何の得になるっていうんだよ」
だけど、と世良は尚も言い募ろうとしたが、結局呑み込んで力ない笑みを浮かべた。
「いや、次は自分かも知れないと思うと不安で、誰かに聞いてほしくてさ……時間取らせて悪かったな」 「それは構わないが。まぁ事件のお陰でこの辺りの警備も強化されるだろうし」 「そうだな。精々気を付けるよ」
冷めたコーヒーを飲み干すと世良は勢いを付けて立ち上がり、疲れた足取りで隣の文学部棟へ帰っていった。学部長が雲隠れしているお陰で雑用も増えているのかも知れない。気の毒なことだ、と國彦は溜め息をついた。
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*金曜日ですね。1週間お疲れさまでした。 週末もちゃんと更新しますよ〜 ちなみにたまおと慶吾はまだお風呂でいちゃいちゃしてます。
(2010/04/16)
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