刃物。ものを切断、切削するための道具。現代では一般的に料理や草木の手入れ等に使われている。明治以前の時代では刀として人を切るための道具にされていたが、
この平和なご時世にそんなことをすれば気の狂った犯罪者である。今の現代社会の中で、刃物はただの便利な道具だ。切る対象は人ではなく物である。さらにいうと、人に向けるものではない。ましてや人の首筋に当てるなんてもってのほかだ。もう一度言おう。刃物は決して、決して人を傷つけるための道具ではない。

「…あ、ああああのっ!」
「…何。」

後ろからわたしを抱え込んでいる人に話しかける。(何って…)(こっちが聞きたい!)顔は見えない。見る余裕もない。首筋には冷たいものが当たっている。おかしい、おかしいよこれ。涙でぼやける視界には空と草と木しか写らない。さっきまで駅のホームから見えていた背の高いギラギラした銀色のビル達はどこへ行ったというのだろう。

「ここ、ど、こ、ですか。」
「………とぼけてんの?」

震える声で言ったその問いに、後ろの人はたっぷりの沈黙のあとそう言った。言うと同時に首にあたっていた刃物も少しくい込み、チリチリとした痛みが襲う。いつか見た時代劇の映画みたいに、そのまま首を撥ねられてしまうのだろうか。首筋ばかりが気になって、言葉の意味を理解するのが遅くなる。手足が震え、手に持っていた通学鞄がどさりと落ちた。

「…とぼけて、なんか、ない…です。本当に、わ、からな…。」

たまりにたまった涙が一筋こぼれ、それを合図にわたしの涙はどんどんどんどん溢れていった。止まることをしらないみたいに頬を伝い、茶色いローファーの上にぽたりぽたりと模様を作る。(お気に入りなのに)(染みになっちゃう)後ろの人は少し驚いたのか、首の冷たい感触がなくなるのを感じた。ほっと息をついたところで抱え込まれていた腕も離される。(!)支えがなくなりわたしはそのまま重力に従いぺたんと座りこんだ。足はまだ震えていて、うまく力が入らない。わたしの後ろにいた人は前に回りわたしを見下ろしている。怖くて顔を上げれないでいると、頭の上にぽんと優しく手がのせられた。

「え……。」
「あー、悪い。戦続きのピリピリしてるところに見掛けない格好して現れるもんだから、つい…。」

思わず顔を上げると、迷彩柄のお兄さんが罰の悪そうな顔をして立っていた。「泣かせるつもりはなかったんだけどね」わしゃわしゃと頭を撫でられる。そのまま捻りつぶされたらどうしよう、と失礼なことを考えてしまうのはわたしが悪いわけではないと思う。(さっきのことを考えたら当たり前だ)小さく「いえ…」とだけ答えると、お兄さんは頭から手を放した。それからしゃがみこんでわたしと同じ目線にする。その顔にさっきみたいなピリピリした空気はない。わたしはこのお兄さんのいきなりの変化に戸惑うばかりだ。(涙は、)(いつの間にか止まっていた)

「んで。ここがどこかわかんないって言ってたよね。」
「…はい。」
「甲斐国、って聞いたことない?」

かいのくに。そんな地名聞いたことがない。(外国、とか?)外国という線はない気がする。現に目の前のお兄さんはぺらぺらと日本語を喋っているからだ。ふるふると首を横に振る。「まじで?」お兄さんはすごく驚いていた。

「ん〜、どーすっかなあ。」

お兄さんは鮮やかなオレンジ色の頭をがりがりかいて、お手上げの状態らしい。なんだか申し訳なくなってきて、わたしは脇に置いてあった鞄を持ちゆっくり立ち上がった。甲斐国という地名をわたしが聞いたことがなかっただけで、
地名さえ分かればどこかの駅で場所がわかる筈だ。すごく遠いところだったとしても、今日は帰りに買う予定だった電車の定期代がある。それが飛んでしまうのは惜しいけれど、こんなわけのわからないことになっているのだから仕方がない。

「あの、えーと、ここがどこかわかったしもう大丈夫…だと思います。教えてくださってありがとうございました。」

お兄さんに軽く頭を下げて挨拶してから背を向けて少し歩調を速めて歩く。下手に出ておけばまたあんなことをされる心配もないだろう。(と、思いたい)電車の音でも聞こえないかな、耳をすましていると、ぐっと鞄が後ろに引っ張られた。(!)

「ちょっとちょっと、ここがどこかもわかってないお嬢さんが1人で帰れるワケないっしょ。送るよ、家どこ?」
「え、家は…神奈川の方、ですけど。」
「かなが、わ…って、どこ?」

県名を答えてみたら、困ったような笑顔で訊かれてしまった。(まさか、)(そんな!)

「か、神奈川って言ったら、あの、関東地方の、東京の下にある…!」
「かんとう?とうきょう?」

場所を説明しようとしても、ますますお兄さんは疑問符を飛ばすだけ。本当にわたしはどこへ来てしまったのだろう。わたしはこの”かいのくに”を知らなくて、お兄さんはわたしの家がある”神奈川”を知らない。(考えたくない)(考えたくないけど…)悶々とするわたしをよそに、お兄さんはのんきな声で、

「しょーがない、とりあえず俺様の屋敷で保護してあげるよ。お嬢さん、名前は?」
「あ、苗字、名前です。」
「名前ちゃんね〜。俺様、猿飛佐助!佐助って呼んじゃって。」

屋敷?保護?よくわからないままに佐助さん(でいいのかな)はちゃくちゃくと話を進めてしまう。

「ここからそんなに距離はないけど…時間ないし、ちゃっちゃと行っちゃおうかな。」
「え、どこに、」
「よっと、失礼!」
「ひ!(ぎゃあああ!)」

人の話を聞きもしないで、佐助さんはわたしを肩に抱えて駆け出した。

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