こう言う場では、女性から主賓以外の男性に話しかける事をあまり歓迎していない。それは貞淑さを重視する旧時代のしきたりめいた物。
ただそのおかげで、ココ達が幾ら四天王の肩書きを持っていて且つ、美丈夫と言っても、シングルの女性達に取り囲まれる事は無かった。誰しも、気になる相手には印象良く見られたいのだろう。
多くの女性達が、四天王達から声が掛かるのを待っていた。ダンスタイムなんて特にその色が顕著だった。(だからといって踊らずにやり過ごせる訳も無かったから彼らは、サニーは小松のリーダーになり、ココはトリコのフォローを努めた。ココは内心、ナニコレと辟易し、クラルがこの場に居ない事を強く望んだ。こんなカッコわるい姿、絶対に見られたくない。見せられない)そんな、女性達からしたら意中の男性達の一人が、たった1人の女を呼び捨ててそのシルエットを、ロマンス映画よろしく追い足早に会場を後にしたのだ。
全てでなくとも一部の笑顔から伺える好奇や妬み、或は値踏みの視線。華やかな空間とは不釣り合いな人の目。無関心を装って互い会話をしている様に見えるが、マリアには分かった。
そのうちの一人と、視線が重なった。
母親らしき女性と連れたって居る、マリアと年の変わらない可愛らしい女性。ぱっと表情を華やかせてにっこりと微笑まれる。マリアも、それに倣って笑みを返すが、
「ジーザス……」
「どした?」
「スクール時代の知り合いよ…あーもう」
女性から男性へ、話しかける事は歓迎されていない。けれど、女性から女性へ話しかけるのは問題じゃない。顔見知りであれば尚更、――もう、どうしてこのタイミングなのよ。きっと、サニーを紹介してとか言われるんだわ。そしてついでに、さっきの顛末に付いても……。
視界の奥ではスクール時代に時たま顔を合わせていたネイビードレスの女性が、今居る母親の腕を引いて何かを耳打ちしている。母親とも目が合う。同じ様といかずとも、嬉しそうに会釈をされた。彼女達は、確か、クラルとも顔見知りだった筈。そうであれば仮に詮索を受けても、本人に聞けば良いじゃない。と、返したくなるけれどそんな行動が跳ねっ返りと言われて嘲笑される世界だ。マリアは、そっとため息をついた。
カッコわるい。華やかな場所は好きだけれど、そう言う付き合い、嫌いだわ。だってあの女性は学生時代、クラルの過去を面白おかしく吹聴して、マリアが窘めた数人の、1人。
「サニー」
「に?」
それでもそんな持論を、こんな場所で振り翳して説教する無作法を行う事もマリアは、カッコ悪いと思っている。
「離れた方が良いわよ。あの親子…悪い人たちじゃないんだけど、スピーカーなのよ」
マリアはハードクラッチを持つ手の甲でそっと、サニーの脇腹を押した。記憶を探って、ゆっくりと近づいてくる親子の名前から、彼女達の家柄と交友関係を思い出す。父親は、確か一代で財を成した貿易商。取り扱いの品目に珍しい食材のリストがあった筈だからきっと、母親の目的はサニーとのパイプ。この時代、上流階級にもひけをとらない四天王は、その限られた人数故に交流を持てるだけでもステータスと、捉える人が多い。あわよくば彼らが捕獲する食材獣の流通権を得たいとも切望している。
そして、後は年頃の娘を持つ親の願望として−−四天王の中の、特に誉れ高い3人の内の誰かを婿にと願う存在も、マリアは知っていた。
だってそれがあるから、私は…――マリアは、自分の両親に、サニーとの関係はもとよりクラルとココの現状さえ、言えないのだ。彼等はもう、共に暮らしていなくとも娘を愛している。交際を明かしてもきっと祝福してくれる。それをマリアは知っている。ただそれと同時に彼等は、ビジネスパーソンだ。……万一を考えると、ひやっとする。
「あんたとの話は、適当に作っておくから。そうね……クラルが、IGOに入社した事はあの子も確か知っているから、その関係で挨拶されただけって、」
「マリア」
「なに、……ちょっ!」
言葉を遮ると同時に、サニーがその手を、マリアの肩に回して、抱き寄せた。
こちらに向って来る親子の足が、一瞬止まる。
マリアも、目を見開いて思わず叫びだしそうになった。
「な、何すんのよ!これじゃ、」
押し止めて、それでも語気だけは荒くサニーを見上げる。サニーは、
「まえ、勿体ない事すんなし」
口を尖らせ、笑った。
「……どういう意味よ」
「そいうのは、ブサイクなんだよ」
何言い出すの、こいつ。
「まえが、こいう場でやな思いして来たのはしってし。からってよ、んでもかんでも一人で抱え込むひつよ、無いんじゃね?……きょも、んなビューティーなカッコ、してんだからよ」
言葉締めには少し、頬を紅潮させたサニーを、マリアは斜め下から見上げた。
明るい、けれど健康的なクリーム色のサニーの肌だから、耳までも薄く染まっていて、それを見てしまったマリアにも、色が入り込んでしまう。なに、言い、
「何言い出すのよ」
思ったら口から言葉が零れ落ちてしまった。視界の端で、親子が歩みを取り戻した姿が映る。
サニーが、少し、咳払いして、答える。
「んしん、しろ」
「え?安心?」
「――くぞ」
「え?えっ!」
ぐん。と、自身の肩を抱くサニーの手に力が籠った。そう感じた瞬間、マリアは自分の体が、自分でも不思議な位軽々と左向きに方向転換した事を知った。
サニーが一歩を踏み出す。悠々と、そして、堂々と。それは親子がマリア達の場所にたどり着く10歩程の距離で。まるで、サニーがマリアを連れ出すと言うか、攫う様に。大階段の出口へ向って歩き出した。
マリアはサニーの肩から困惑したまま、背後を振り返った。
さっきまで自分たちが居た場所では先ほどの親子が、目を白黒させたままマリア達を見つめている。と、思ったら娘の方の頬が紅潮した。
−−え?
不思議に思って上を仰ぐ。
サニーも同じ様に背後を振り返って、でもマリアが見た中では一番意地悪そうな笑顔で、口角を上げたまま少し、手を軽く振っていた。
「ちょっ、と、サニー」
声を上げるとその顔が、マリアを見下ろす。
「逃げちまえばいーんだし」
そうして、笑いかけた。
「あーいうのは、まともにヤリ合ってる時間が無駄ダネ」
シャンデリアの煌めきを反射する美しいブルーの虹彩が、見上げていたよりも優しく、けれど無邪気に、マリアを見つめる。切れ長の目を細める。
「んしんしろ。前の事は、ちゃんとエスコートしてやるからよ」
会場の目が、自分たちに注がれているのが2人には分かった。
だって注目者達からしたら、なんとしても近づきたかった男性の一人が、会場で突然その場に居た女性に話しかけて肩を抱いて、つまり、口説いて連れさらんとしてる様にしか見えないのだ。しかも半ば強引にも見えて、でも、それは同意の様にも感じる。
どちらにしろそれは傲慢と偏見とが入り交じった界隈に、ふとして訪れたロマンスムービーの様相。
彼等にはもう、少し前のココの印象が薄らいでいるのだろう。その内にいる人の一部は好ましく、あるいは微笑ましい目線で一瞥し、それ以上は野暮だと談笑に返っていく。
マリアは、サニーにエスコートされたままやっと、これだけ口にした。
「……ばか」
本当に、サニーは美しすぎて、嫌になっちゃう。
∵
閉じた扉に手を伸ばした。勢い良く、その重厚なドアノブを引く。横でドアマンが驚いて臍の下で揃えていた手を、きゅっと握り込んだが、今のココには構っていられない。
「すまない」
謝罪だけを口にして、ふと、気づいた。そう言えばクラルも潜る時に謝罪を述べていた。ココが見えたのは僅かな口の動きだったが、それでもココの目は読み取った。読唇術は、自然と身に付いた技術だ。
あれは、僕に向けた物じゃなかったのか…?そう思ったがそれは一瞬だけ。直ぐに思考を目的へとシフトさせる。どうだっていい。自分に向けたものでもそうでなくても今は気にしない。会場を抜け出した。
さっきまで居た所よりも明かりが更に落ち付いた廊下へと出る。ただ廊下と言っても幅は広く、その空間にはソファにバーカウンターがあり、数名のギャルソンが控えていた。疎らでも人が居て、アルコールで火照った頬を友人との談話で落ち着けようとする夫人達や、何か商売の話を話す男性も居た。着席して休憩や、静かな会話を行えるラウンジスペース。
その場所を、ココはざっと見渡す。数名が勢い良く扉を開けて現れたココに目を止め、或る人は見蕩れてある人は、知り合いだったか思考している様子だけれど、ココは今、そんな事に構っていられない。
どこにいった。
追いかけた背中のライン、そしてシルエットを何度も脳内に反芻させる。
とりあえず、左を見た。葉巻室、その向こうにお手洗いと続く壁の奥から、終わりが見えない程長い赤い絨毯のいく先を見つめるが、走る女性は愚か、クラルのシルエットさえ見えない。ならば、「右か」向き直って、足を踏み込んだ。
照明が落とされた空間の先へと進む。2階へと繋がる階段が見える。左側より複雑な作りたが、奥行きはそれ程でも無い。それなのにそこにも、意中の相手の姿は無い。歩きながら辺りを見渡す。
もう、占ってしまおうか。姿はなくとも隠れている可能性は或る。ココは歩みを進めながらそうさえ思ったが、あ、いや、無理だ。と、顔を顰めた。
ココの占いは、対象の電磁波を読む事で成立している。それはその場で黙視できる対象でそして、読めるのは常に、未来だけ。だから逃げて見失ったクラルの電磁波は追えない。せめてその痕跡だけでも見れたらと思うが、どうも巧くいった試しがない。過去は見えにくい事象の一つだ。船内マップがあれば……そこから浮かび上がる情報を読んで、見つけられる自信はあるけれど。
いっそ、そうしてしまうか。
ここ迄してしまったのだ。今更諦めると言う気にもココはなれない。それならば、この目と分析力を使ってとことん探し出したい。念の為自身の掌を視る。
約束をした手前、会いませんと言ったじゃありませんか……!なんて。叱責される事はあるかもしれないが、これでお互いの関係が拗れて、どうにかなってしまう様な未来は見えない。ココの占いの的中率は97%。それであれば、もう、ココは腹を括る。
開いていた手で拳を作り、強く握り込んだ。足を止めてざっとその場を見渡す。何処かにコンシェルジュが居ないか探る。いればその人に頼み、船内図を貰ってそこから現状の電磁波を読み取ろう。と思ったその時、或る物がココの目に入った。
壁からすこし突き出す形で設置されたプレート。そこには綺麗な書体で「REST ROOM」そう、刻まれていた。所謂、化粧室。落ちた照明の細い道が、壁をくり抜くように出来ている。こんな高級施設の設備は確か、簡易的でもフィッティングルームが備え付けられていて確か、ジャパニーズスタイルとも銘打たれていた気がする。しかも当然、男女と別れている。−−あ。ココは、そのプレートにある可能性を見た。
いやでも、ここじゃない。その場で振り返る。
奥にも同じ様な壁が見えた。丁度自分が出て来た扉に近い所、だいたい150m先だろうか。急ぐ時のココの一歩は大きすぎるから、直ぐに距離が空いてしまったけれど、ココは、引き返して思考を巡らせた。
簡単な計算をする。自身と、クラルの速度の差。一歩で刻める距離。所用時間。そしてココは、知っていた。今日のクラルの靴は日常では全く馴染みのないピンヒール。しかも10センチはあったとみた。大理石ならまだしも、今ココが歩く床は絨毯だ。ならきっとその歩行速度はココが知っている彼女のものより格段に劣る筈だ。ココは、いつかのクラルを思い返した。
『……ヒールは、あまり得意でなくて』
確か、ドレス用の靴を一緒に買いに行った時だ。色々な種類を試してみようか、と2人で百貨店へ赴いた。その時。
『特にピンヒールで、絨毯を歩く時なんて……なんだか、不自由を感じてしまいます』
『……フラットじゃ駄目なのかい?』
『好ましくない、のですって』
鏡の前でフィッティングを繰り返しながら苦笑するクラルの足下を眺めてココは、女性は大変だな。と感心したのを覚えている。
様々な作りを試すその姿は学生時代の教育の賜物か、一見するときちんとして見えたけれど、それでもどこか、辛そうではあった。その時、ココは、
『……歩きやすさも大切だが、そもそも機敏な動きが必要とされる場所じゃないよ。だから、その靴に関してなら、足への馴染みやすさで選べば良いんじゃないかな?靴ズレのしにくいもの、とかさ』
そうして鏡の前で両足で履き心地を確かめている、恋人の横へ並んだ。
『あとはほら。僕の腕のこの位置が掴みやすいかどうか、とか』
クラルの手を取って、曲げた肘の下を潜らせた。エスコートの時の立ち姿を、その場で再現した。
『ね。それを履く時には、常に僕が傍にいれば良い』
『……ココさん』
『君に、不自由を感じさせないのは、エスコートする側の鉄則だからね』
『もう』
息付いた後にくすくす笑う、クラルを思い出す。健やかに、喉を震わせてでも、あの日は少し照れていた。ココの肩書きや知名度を気にして、店頭から案内された所謂VIPルームにはシューズフィッターと、IGOと契約をしていると言う外商しか居なかったのに。
『それなら……ココさんとの身長の差も、考えなくてはいけませんね』
そっと笑うクラルは、幾分か恥ずかしそうだった。足下を飾った、4インチのマノロブラニク。『これに、致します』幾つか試した上で、皮のソールの馴染みが良くて気に入ったと決めたクラル。いつもより近づいた柔らかな笑顔の距離が嬉しくてココは、彼女が履いて来た靴で足元を整えている隙に、外商へ自分のカードを渡した。
あとで、『今回は額が額なだけに、本当に、困ります』ココは下がり眉の彼女に凄く怒られた。――不意に、その表情が、今程に見かけたあの姿に変わった。
あの、ココを見て戦慄いた唇。頬を染めて見つめる瞳。人混みで無かったら簡単に追いつけた、背中。自然と歩行が早くなる。
人が犇めいているならば、クラルにも逃げ切れる算段があっただろう。けれど会場から抜け出したこの場所には、数える程しか居ない。この場所ならココは簡単に、クラルへ追い付ける。
――だから、クラルはきっと、この場に出た時自分の行動の訂正を行った筈だ。
ココは確信した。幾ら履慣れないからと言って靴を脱ぎ捨てて走り出す様なタイプでも、着崩れてもなりふり構っていられないと、全力疾走する性格でもない。と、思う。
一度日付が変わる前に喧嘩してその時、ココの家から、もうあなたなんて知りません。そう言わんばかりの勢いで飛び出して行った前科者だけれど。あれ。そう考えたらするのか。いやでも、あんな、背中だけじゃなく臍迄切り込みが開いた衣装で疾走されたら、血の気が引く。気が気じゃない。止めてくれ。それよりもそこ迄して僕から逃げたかったのかとも思って、また別の意味でショックだ。
ココは頭を振った。気を取り直そう。そうして狙いを定めた一点をじっと見つめ、目を細める。
決まった対象の痕跡を完全に追うとなると難儀だとしても今の状況から吉凶を視る事なら彼の十八番。――クラルはきっと、フロアから飛び出した時に、状況の確認をした。そうして逃走には不向きだと判断した。その時にきっと、或る一点に気づいた筈だ。
それは殆ど確信に近い推測だった。或る一点、ココは入れないけれど、クラルであれば自由に行き来できる場所。つまり、女性用のREST ROOM。そうして同時に、こうも思った。なんだか、パニック映画の筋書きみたいだ。ココは前にクラルと一緒に見た映画を思い出した。地中から現れたクリーチャーに、人がなす術も無く襲われて行くよくある映画だった。現状に当てはめてしまえば自分があの醜悪な怪物になる。
少し、落ち込んで同時にココは、自身が自分で思うよりも動揺している事に気がついた。思考が分散している。こんなんじゃ駄目だ。気を持ち直し、葉巻室の前を通り過ぎる。
ガラス張りのそこを通れば直ぐに右に曲がる分岐がある。その手前には先ほどココか見た物と全く同じプレートが壁に埋め込まれていた。電磁波の波長を読む。――ここだ。
一瞬だけ逡巡して、強く右手を握り込んだ。足を踏み出すその時に、ココの前に小さな人影がよぎった。
「あ、」
ぶつかりかけて身を引いたココの目の前で、バランスを崩した黒色のシルエットが、前のめりで倒れかける。
「うわあっ!」
「おっと」
それを咄嗟に抱きとめる。
「わわわ!びっくりしたー!」
「大丈夫かい?小松くん」
「ぬわーーっ!!こ、ココすわん!!」
少し前に、ちょっとお手洗いに行って来ます。と彼等の傍を離れた友人の醜態を前に、ココは思わず苦笑した。