恋人との痴話喧嘩
恋人との痴話喧嘩。
マリアとサニーは特にその辺りが過剰だった。付き合う迄の関係性と付き合いに至る出来事、そして互いの性格が性格だから、まあ、仕方ないのかもしれない。
でもそれは別にあっても良い。と、クラルは思う。
だってぶっちゃけ、周囲からバカップルだと言われているクラルとココの間にもたまにある事だから。親密な男女関係で衝突が無い方が奇妙なもの。大なり小なり、有るものだ。
それでも。クラルは最近、サニーとマリアには驚きを隠しきれなくなっている。だって喧嘩が頻発しているに加えて、その期間が長い。
ココとクラルは、少なくとも蟠りを一ヶ月以上も放置した事もいがみ合ったままデートを終わらせた事もないから。いい加減に…と言う思いと一緒に、辟易とした思いを抱き始めていた。
あの日も。
本当は嫌な予感がしていた。
一ヶ月前のガールズ・ナイト・アウトで集った日。散々サニーの不満を吐露したマリアから、来月から貰えたバカンスの予定を聞かれ、
『……ま。どうせクラルはココと過ごすんでしょ?』
と言われた時。
クラルは素直に話した。その予定だったけれど、ココの美食屋四天王としてのスキルを上げる修行と期間が重なってしまい、別々で過ごす事に成った事。今年はリンとも一緒に取れなかったから、どうしようか迷っていると言う事。折角だから久々にバックパック背負って一人旅(ココには賛成は出来ないと渋い顔をされたけれど)しようと思っている事を告げるとマリアは弾かれた様に提案して来た。
『それじゃあ!一緒に旅行しましょうよ!そうよ!ね。それが良いわ!』
『旅行……?』
鸚鵡返しにマリアはテーブルの向こう側で大仰に頷く。
『そうよ。私とあんたバカンスの約一ヶ月!プランは任せて頂戴。とびっきり案があるの!』
『まあ…』
『あ。内容は未だ秘密。内緒よ』
クラルは、少し顎を引いた。ついでに腰も引く。内緒。とのフレーズに僅かな警戒心を抱いた。
『なによ』
親友の変化に気付いたマリアは眉を顰める。
『もしかして、もう女友達とは旅行出来ないって言うの?』
『そう言う訳じゃないわ。ただ……行く先は知りたいなあ、と…』
理由は特に無かった。でも、クラルは不思議と気になった。
マリアはそんなクラルには気にも止めず、
『良いじゃない。ミステリーツアーよ。変な所には連れて行かないわ。……それともクラルは、最愛のダーリンじゃないと物足りないのかしら?一人、一つのベットじゃ寝心地悪いの?』
『な、何を仰るの!?』
大袈裟な反応をしてしまった。と、気付いた時にはもう遅く。マリアはすっかり上機嫌でクラルをからかう。
『もう!クラルったら。顔真っ赤!』
からからと笑うマリアに、クラルは口を尖らせてつんと睨み付けた。当然効果は薄く、マリアの愉快を誘ったに過ぎない。
仏頂面のまま、グラスにワインを注ぐ。
別に、ココじゃないから嫌とかは無かった。寧ろマリアとの旅行なんて学生時代以降だから嬉しい。そこに、今酔いつぶれてクラルの膝を枕に寝ているリンも加ると言うならもっともっと嬉しい。恋人と過ごせなくなった時間を、友情で埋めれるなんて、一人を覚悟していた分、素晴らしい事この上ない。けれど……クラルは素直にそれを表現出来なかった。だって、マリアはついさっき迄…
『嫌じゃありません。寧ろ、とても嬉しいです。』
『それじゃあ、』
『それよりマリア。サニーさんと先に和解なさった方が、』
『わ、私の事は良いのよ!嫌じゃないのよね?じゃあもう決まり!良いわねクラル!?この件は数日後にまた連絡するわ』
『マリア、』
『分かった!?』
せっかく言葉を遮って迄した進言は、結局言い終わら無いに遮り返され、押しきられた。
『分かり、ました……』
頷けばマリアは深くソファに腰掛け、目の前に有ったピーチカクテルをまるでビアの様に飲み干す。
『分わってくれればいいのよ』
ついさっき迄ずっと、サニーがまた修行とか言って会ってくれない!しかもどこ行くとかも内緒で!腹立つ!私に言えないとかどう言う事!?とか、隠し事なんて一番卑怯な行為だわ!と、捲し立てていて、
『今回はもう、サニーから何か言ってくるまで絶対何がなんでも許さない!』
と、喚いたり。
挙げ句クラルがココと予定が合わなくなったと言う話をした時には、四天王の女になんてなるもんじゃないわね。女が我慢しなきゃいけないとか。前時代過ぎるのよ!ともかしましくしていたのに。
もう、今や、上機嫌だ。鼻歌だって歌っている。
『クラルと一緒に旅行なんて何年振りかしらね』
クラルはたまに、親友の、この変わり身が怖かった。
『……そうですね』
言えないけれど。
『あ。そうそう。ドレスのサイズ確認しといて頂戴。カクテルと……一応イブニングも』
『、何処に行く気!?』
『それは未だ言えないわ。兎に角、こーんな良い女蔑ろにして修行馬鹿なガイズはほっといて、最高に楽しく過ごすのよ!』
お酒の力も相俟って意気揚々なマリアを前に取り敢えず、クラルは思った。
ココさんは修行馬鹿じゃありません。
と、今口に含んだワインを飲んだら直ぐに念を押しましょう。
だってココはクラルに説明してくれたから。その時期は、ジダル王国に行く事になっている。と。だから、せっかくのバカンスを一緒に過ごせなくて……すまない。と。
聞いたのは電話越しだった。でも、その後わざわざ会いに来てくれた。だから、ココは修行馬鹿じゃない。
クラルは再び、両手で掴み持っているバインダーを見つめる。中にあるチケットの名前はやっぱりどう見てもクラルの名前が印刷されている。
嫌な予感と迄はいかなくとも、胸騒ぎはしていた。だって、カクテルドレスなら、まあ…まだしも。イブニングドレスなんて夜の最上正装はガラ・パーティー、それこそ男性が燕尾服を身に付ける程に畏まった社交場でしか着用機会の無い物だから。
必要な旅行と言えば、社交ホールが設けられているハイランクの寝台特急かクルーズ。そして、
『グルメ馬車』
チケットに印字されているモチーフに文字はやっぱり何度見ても同じだった。何度読んでも同じ、言い様の無いもどかしさを与えてくる。
だってココは教えてくれた。修行で、ジダル王国に行ってくる。
――ただ行きはサニーと一緒に、グルメ馬車に乗る事になったよ。
だから……つまり今、この個室タイプになっているラウンジのどこかの部屋、或いはもう馬車内かに何処かに、ココとサニーがいる。
「……本当に、マリアはいっつも凄い事をして下さいますね…」
「何?…あんた、さっきから何の話をしてるの?」
ただそれを知っているのは今はクラルだけ。
クラルは、コツンとバインダーの面に額を落とす。革と上質な紙の匂いに包まれたまま、溜め息を吐いた。
マリアと、サニー。
喧嘩ばかりのわりに別れ話の気配が微塵もないのは、こういう所があるからなのかもしれない。
気が合うにも程がある。