隠れる必要
隠れる必要なんて無いじゃない…。
柱の裏側でクラルは軽い落胆を覚えた。
心の何処かでココに対して罪悪感を感じているからこその行動だろうけれど、隠れる必要は無かった。そのまま姿を見せて、実は同じ行き先でした。と、挨拶をしてしまえば良かった。
肩を落として、右手の平を額に添える。
ココはきっと想定外の事態に驚いて混乱を見せるだろうけれど(それかそれさえもお得意の電磁波占いですっかりお見通しで、そんなに驚かないどころか、想定通りだ。と、言われてしまうかもしれないけれど)電話を受け取らなかった理由を訊かれるだろうけれど少なくと、隠れる必要は無かった。
「から、つに……んな状況じゃねーだろ」
柱を挟んだ反対側から聞こえて来る声にまた新しい罪悪感が産まれる。
これじゃ盗み聞きだわ……。はしたない。
クラルは小さく、本当に小さく溜息を吐いた。
自分で自身を追い込んだ状況から沸き上がる苛立は、どうしようも無く惨めな気分になる。
それなのに、隙を見計らいこっそりその場から逃げ出して仕切り直せずにいるのは何処かでココに、今、自分の存在を気付いて欲しいからだ。それか頃合いを見て素知らぬ顔でココの前に姿を……一度好機を逃した分それにはもの凄い勇気が必要だろうけれど……姿を表して可能ならディナーくらいは、一緒に摂りたい。と、思ってしまっているから。
だって折角ドレスアップをする場所に赴くのなら、パートナーと一緒が良い。
勿論往年のロマンスコメディで見たローレライやドロシーみたく女性二人で居るのも楽しいだろうけれど、彼女達と違ってお互いのパートナーがその場に居るなら話は別。
出来ることなら、一緒にいたい。
節目節目に催されるIGOのガラパーティーの時みたくクラルはココと、そして、マリアはサニーと。二人一組で。
ダンスタイムはいつもみたいに苦労(ココやサニーと踊りたがる女性達の意味ありげな視線への対応とか、他の人と、挨拶程度の会話から話が弾んだ人とその流れでつい踊ってしまったが為に少し不機嫌になったココを宥めたりとか)するだろうけれどでも、一緒が良い。
「……お前、な」
背後から聞こえる、声の持ち主と。
彼の音を聞き取った胸の奥が一度大きく鼓動を鳴らしそして、甘くざわめく。
「つか前には関係ねーし」
サニーが答える。独特で、時折調子外れにキーが高い声で。扱う語彙は相変わらず彼らしくアレンジされている。
「関係ない?それを出せば僕が折れると思っているのか?」
クラルが知る限りのココの声はいつも落ち着いているのに、今は焦りかそれか、怒気かを滲ませていてるからか少し、いつもより低く、掠れている。
「第一関係が全く無いなら僕は今、こうしてお前に話を持ちかけない」
扱う語彙もサニーが相手の為かクラルといる時よりぐっと砕けている。気がする。
クラルはそっとどくどくと打ち鳴る心臓の位置を服の上から握り混んだ。
体を隠している柱の影を捨ててしまえば今にも触れられる距離に、それこそ今、ココがいる。
「違うか?」
――逢いたい。
聞き慣れた声が与える彼の存在感は、クラルの胸を苦しく締め付け、その呼吸を浅くさせた。
お姿が、見たい。
掌に篭った焦燥がぴりぴりと、電流に似た痺れを皮膚の中に滑らせる。
「…兄貴面、すんじゃねーし」
「やましい事があるからそう感じるんだ」
ココの声が一度途切れてそして、やおら重い溜息が吐き出された。
「……つーか…あの話、ジョークだろ」
感情を露にした砕けた口調と一緒に。
「、うっせーし!俺の言葉盗るんじゃねーし!」
「お前、な……」
苦々しく吐き出されるココの声にクラルは、そのまま壁に後頭部を擦り付けて唇を結んだ。
お門違いだと分かっている。身から出た錆に近い状況だとも分かっている。なのに今、クラルはココと会話しているサニーが羨ましいと思ってしまった。何の話をしているのはまだ今一見当がつかない。
けれどだからこそ、(自分の知らない話をココとしているサニーが)羨ましい。
――私、独占欲はあまり強く無いと思っていたけれど……違うのかしら。
前髪を掻き揚げてくしゃりと握り込んだ。ココが困った時にして見せる癖と寸分違わぬ仕草でクラルはそのまま頭を垂れる。
身近で見過ぎていたから、密接であり過ぎたから癖が移ってしまっていると言う自覚は無いままやがて、頭を振る。
サニーさんに嫉妬するなんて。……馬鹿みたい。
「それこそ、今は関係ない事だ」
戒めると同時に、ココが背後で口を開いた。サニーがケッと、吐き捨てる。
「それこそうるせーし」
プールの歓声も、デッキでカメラ片手にはしゃぐ人の声もその耳は拾っているのに、髪を引っ掛けて剥き出した耳は相変わらず、二人の声を拾っている。
ココ、そしてサニーの存在だけをただ感じ取る。
それが余計にクラルを体の内側から息苦しく、居たたまらなくさせた。心では今直ぐココの前に姿を表してその逞しい首元に、そして胸板に抱きついてしまいたい(実際はこんな人の中では恥じらいが勝って出来ずに終わるだろうけど)のに、完全にタイミングを見失った体は動く事さえ出来ずにその場で
「大体前はクラルに、」
立ち尽くした。
サニーの声を明瞭に拾ってしまった体は強張って、ミュールの底が床と接合する。クラルの体は一瞬にして固まる。
――私の、話?
疑問を浮かび上がらせると同時にサニーが続ける。はっきりと、そして、きっぱりと。呆れた口調で。
「いつに、構い過ぎだっつーの。俺等は今、女にうつつぬかしてる暇ねーダロ」
クラルは、やおら思った。――駄目よ。私はこれ以上、ここにいちゃ駄目。
それなのに耳は傍立ち、よりくっきりとした二人の声を、何より急に黙りになってしまったココの声を求めてしまった。
だって図星を突かれた時ココはいつも苦い顔をして、急に何も言わなくなってしまう。
それは丁度、今のように。