「−−え?」

 信じられないと言わんばかりの驚きをひとつの言葉で表し、一歩前に歩み出たフロアレディをクラルは注視した。
 黒のタイトスカート、同じ素材のベストに同色のタイ、ホワイトカラーのシャツ。左胸に付けられたネームバッチは飴色の照明を受けて金色に輝き、それを飾った胸を誇らし気に(している気なのかどうかは分からないが、少なくとも僕の目にはそう映った)笑うショートヘアの女性。彼女と目が合ったその時、クラルは綺麗にカールさせた睫毛を揺らし、言った。

「リン、ちゃん?」
「二人とも、いちゃつき過ぎだし」

 シャネルレッドで華やかに彩った唇でもう一度、"僕等の妹"で僕のクラルの親友の1人で上司でもある彼女は笑った。

 クラルはぱっと頬を染め後ろを振り返る。先程の出来事が彼女の位置から見えたのかどうかを頭の中で計算しているのが見て取れた。僕が苦笑しつつ見守る前でリンちゃんは溜息混じりに肩を落とした。

「分かりやす過ぎるし…」

 それがクラルの可愛い所だよ。なんて言おうと思ったその時、その呟きで我に返ってしまったクラルが再びリンちゃんに向き直った。

「それより。……どうして、リンちゃんがこちらに?」

 不思議で仕方が無いと言う声が彼女に投げかけられる。

「それに、その、格好」
「似合うし?」
「え?ええ。それは凄く、とても可愛いです」

 リンちゃんはちょっと戯けてポーズを決めた。戸惑いながらもクラルはリンちゃんを真っ直ぐに見て告げる。
 その言葉に満足そうに胸を張ったリンちゃんは上機嫌に、

「こういうの、うち一度着てみたかったんだしー。」

 その場でターンをし、僕等に…よりクラルに向かい寄り、快活に喋る。

「ほらウチ、バイトとかした事無かったし?つかする機会も無かったから、ちょっと憧れててー。やっと念願叶った感じ?」
「そう、なの…。良かったわね」

 クラルは、にこやかに相槌を打ちながらもやっぱり、戸惑っていた。鼻歌を混じらせたご機嫌なままで、この日の為に特別にネームバッチも作って貰ったのだと自慢気なリンちゃんへ生返事を返しつつ、その小さな頭は少しずつ傾き始める。考えてる。考えてる。目に見える考察状況に、僕は愛おしさで胸を温めた。きっともうすぐ俯くかそれか、僕にアイコンタクトを図ったりしてくれるのかな。そんな事を考えると口元がにやけそうになった。
 けれどそれを何とか押し止め、いたって普通だろうと思う笑みを浮かべるに留める。ただ、ねえ?ココさん。なんて、アイコンタクトを投げる彼女はそれはもうとびきり可愛いから僕はちょっと、後者を期待する。

「それにしても」

 けれどやおら、リンちゃんがクラルの眼前に右手の平を突きつけた。
 突然の友人の行動に肩を跳ね上がらせたクラルは、リンちゃんに合わせていた視線を突き出された掌に移し瞬きをした。僕は少し肩を落とすも笑ってしまう。
 予測の当てが削がれてしまったのは残念だが、こう言う遮りは、リンちゃんらしいと言うか。何と言うべきか。子猫みたいな驚き方をしたクラルも可愛いな。と、そんな彼女を見せてくれた事にお礼を言うべきか。
 クラルは目を瞬かせてリンちゃんの掌とリンちゃんを見比べていた。意表を突かれるのに弱いそんな彼女を第三者として見ているのもどうしてなかなか、愛くるしい。どの角度から見てもクラルは可愛い。愛おしい。
 そんな感想を抱いてじっと眺めていたら視界の端のリンちゃんが、呆れた目線を僕に投げ掛けて来たのを察した。どんだけ見てんだし?とか言われるのだろうか。この場合。

「…ココが、時間ぴったりとか珍しいし」

 違った。予想通りだったら、だって、クラルが可愛くてさ。なんて…言いたかったなあ。

「待たせたかな?」

 僕は肩をすくませ、苦笑混じりに相応しい返答をした。リンちゃんは僕の言葉に肩を竦ませる。

「待ちぼうけになるなら料理食ってやろうかと思ったし。でも、クラルのその顔見れただけでチャラにしてやるしー。驚いた?ね、クラル。びっくりしたしー?」

 その姿勢のまま、器用に顔だけを寄せてリンちゃんは意地悪く笑った。クラルは一瞬息を飲んだけれど、やっぱり目を白黒させる。

「え?え。だって、リンちゃ、」
「あ。クラル。メールでも言ったけど、誕生日おめでとう。暫くはウチより年上かー」
「ありがとうございます。あ。でも、また同い年に、」
「つか今日のクラルちょーかわいいし!そのコーデクラルに似合い過ぎ!ぴったりだし!」
「ありがとう、ございます」
「ココのプレゼント?…なわけないか。」
「どう言う意味かな?」

 ちょっと聞き捨てなら無くてクラルが何かを言う前に僕は口を挟んでしまった。リンちゃんは、別に深い意味はないとかなんとかしどろもどろ、クラルの苦笑いを誘う。

「もーココ冗談だし!んな顔しないで欲しーし。ほら、クラルが怖がっちゃうしー。ねえクラル」
「え?別に私は何とも思わないけど…」
「ちょ、こう言う時は合わせるもんだし!」
「そう…あ、ところでこれ全て。ココさんに頂いた物ですけど、そんなに意外でした?」
「そっち!?」

 クラルはまるで心外だとばかりの声で、リンちゃんの笑いを誘った。(これはつまり僕の肩を持ってくれているのだろうか。だとしたら、是程嬉しい事は無い)溜息を吐きかけていた僕は二人のやり取りに思わず笑った。この二人は、本当に仲が良い。

「もうー。でもフルコーデとか!超うらやましーし!どこの?どこの?」
「服と、靴は…」

 気を取り直したリンちゃんが興味津々にクラルに尋ねる。クラルはリンちゃんにされるがまま、言葉を遮られるがまま、記憶しているショップ名を口にした。

「うっそ!やったじゃんクラル!こっち来る前にお強請りしたんだし?やっとココに甘えたし?」
「いいえ。こちらはサプライズで…予め、用意して下さって」
「マジで!?」

 言葉尻に近付くにつれクラルは頬をほんのり染めた。はにかみ、言葉を終えた唇は見ればグロスではなくティッシュオフされたルージュが乗っていて、淡い色に相応しい綻びを結ぶ。此処に来る迄とは違う、控えめな主張。僕は、あれ?なんて疑問を沸き上がらせたが、あ、そうか。レストランマナーに則ったのか。直ぐに解に至った。
 気付くと一層、クラルを愛おしく感じた。反面、予めきちんとした場所だと伝えておけばグロスだのなんだので我慢する事は無かったのか…?いやでも、移動の時は見栄えを良くして食事の前にエチケットに準じる為手直しをするケースもあるから結局、意味ないのか?
 そんな事をぼんやりと思考しつつ、すももの様な張りを感じさせながらも淡く色付く膨らみを眺めていたらクラルはふと恥ずかしそうな様子のまま、僕に視線だけを寄越した。視線が絡むとまさか見られているとは思っていなかったらしく一瞬だけ目を見開き驚きでも直ぐ、内気な頬を淡い薔薇の色に染めて微笑む。
 単純に込み上げた愛しさに僕もつられ、微笑んだ。どちらにしろ今の方がキスには適切だななんて思っても、この場ではちょっと難しい。

「もーいいないいなー!クラル愛され過ぎだしー!」

 暫くそうしていたかったが、テンションが最高潮に達したリンちゃんはクラルの両手を取り、彼女の意識を攫ってしまった。お陰で僕は今日二度目のタイミングを逃した。

 クラルの腰に回そうとしていた手を二人に気付かれない様そっと、ポケットに納める。すぐ前できゃいきゃいと明るい彼女達は気付かない。が、背後に居たフロアチーフには苦笑された気がした。しかし彼は関係ない人物だ。気にする必要は、無い。

 それにしてもリンちゃんもどうやら、彼女の好みを知っていたらしい。まあ、女の子達の友情は、男同士には無いオープンな世界の様だからそう言う物なのだろう。
 何よりリンちゃん。彼女は、僕と同じ細胞持ちのチェインアニマルとして長くプラスチック的な研究員達(殆どが異性で年がかなり離れている)との交流しか無かった。そのせいか彼女は思春期からずっと、お菓子や雑誌を並べた席をくっ付け合ったガールズトーク。膝にお弁当を乗せて笑う年相応のお喋りと言った、所謂学園ドラマの世界に憧れていた。
 だからこそ、年が同じクラルやマリアちゃんとの関係が楽しいのだろう。
 クラルの休みには先に予約をしないとリンちゃんに取られてしまう事も有るし、それでなくとも月に1回はガールズ・ナイト・アウトを催して、モバイルにはお揃いのくまがぶら下がっている。色違いのパーカーまでもお揃いで持っている事実を知った時には流石に驚いたが、結局は感覚を共有し合える程に彼女達は仲が良い。と言う事だ。
 共感で得た繋がりが深く影響して行くと言うのは男には理解し難い世界だが、慈しむ存在と愛する存在の仲が良いのは見ていて微笑ましい。

「ウチもそー言うサプライズされたいー!」

 ただ今は、予め知っていたリンちゃんと違い、クラルは突然の邂逅に未だ驚きを拭えない様子だった。笑顔を返しながらもをしその表情は少しぎこちない。
 きっとどうしてリンちゃんが此処に、そんな格好で居るのか未だ考えているのだろう。
 けれど視界の端でフロアチーフが冷や汗混じりにカウンター上の時計に目配せをし、口元を引き攣らせる頃、

「リンちゃん」

 僕はさり気なく、僕等の妹の手から僕だけの最愛を返して貰い、彼女にお願いをした。

「女の子同士積もる話は後にして…先に、仕事をしてもらっても良いかな?」
「あ!忘れかけてたし」

 失態を包み隠さない声を上げた彼女は、ちょっと畏まると一歩僕等から引いた。
 こほん、と。少しおませな咳払いを零して背を伸ばし、一歩横に引くと右手の平で僕等にフロア中程を示す。

「それではお客様。お席迄、ご案内…します」

 少し言葉はぎこちないが相変わらずのひまわりの笑顔で、リンちゃんは言った。

「ああ。頼むよ」

 僕は答えて、クラルを腰から抱き寄せる。そのまま先へ進み始めたリンちゃんの後ろ姿に続いた。
 クラルは僕の胸元、つまりクラルの定位置から僕に合わせて歩き始めたけれどやっぱりリンちゃんの行動に困惑を露にしたま迄で、僕が忍び笑うと不思議を隠さない瞳のまま僕を見上げる。

「あの、ココさん…」
「ん?」
「どういう、事でしょう?何故リンちゃんが…」
「さて。考えてご覧」

 暫く考えても出なかった答えを、恐る恐る僕に尋ねてくれたが僕は、少し意地悪な答えをウインク混じりに返した。クラルは、…あ。余興、でも…。なんて。ついさっき僕が口にしたヒントを復唱する。視線を落として本格的に考え始める。
 眉間、皺が寄ってるよ。僕が笑ってそこを人差し指で押すとクラルはちょっと鬱陶しそうに僕の掌を押し返した後、だってココさんが…。なんて愛らしい口を尖らせて可愛い事を言ってくれたから僕はまた笑った。
 ふと、目の前を歩いていたリンちゃんが一瞬だけ立ち止まり、僕等を睨み据える。

「あのさ二人とも。いちゃつくのは席着いてからにしてほしーし」
「あ。ごめんなさい」
「、すまない。…クラルが可愛くて」

 立ち止まったリンちゃんは、溜息混じりに肩を落とした。呆れていた。
 クラルはちょっと頬を染めつつも、もの言いた気に僕を上目に見た。照れながらも咎められた。
 僕は言いたかった事が言えた喜びと、上目遣いのクラルにキスしたい衝動を笑顔に隠すのに必死になった。つまり気付かない振りで、恍けて笑った。


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