ラララ | ナノ

ラララ


 サニーから電話がかかってきたのはその数十分後だった。

 ココは、いつの間にかソファで転寝をしていた。無視をしても良かったが、指先はココの意志とは関係なく通話ボタンを押していた。
 手に握ったまま寝ていたのだと気付いてまた、苦々しい思いが沸き上がる。外のプラスチック部品は溶解の名残が見えたが中の金属部品迄は腐蝕されなかったのか、それは正常にディスプレイを光らせ、機能していた。舌打ち混じりにスピーカーを耳元に寄せる。


「……なんだ?」


 直ぐに繋がった事が予想外だったのだろう。サニーは一瞬息を呑んでそれから、よお。と言った。
 コール音は2回と鳴らなかったかもしれない。ココが何も答え無いでいると気不味そうに『リンから聞いてっかもしんねーけど』分かり易い、棒読みだった。

 聞いているのはお前の方だろ。

 ココは思うに留めて代わりに、苦々しく口を結ぶ。冷たい、無表情で。
 それでも心臓は五月蝿く、体に響いていっそ息苦しい。窓から差し込む光線の量は7色の波長を持っているがかなり弱い。恐らく夕方なのかもしれない。遮光性の高いカーテンの隙間から零れる線は柔らかい丸みを帯びている。

 しかし正確には、ココは分からない。

 只でさえ可視範囲の広いから昼も夜も関係ないのに最近は仕事に行っていないせいもあって余計に、昼夜の区別がつきにくい。元々は規則的な生活を好む質だったのに、この数日間のココは時間を気にしなくなった。それよりも喉が渇いている。目眩がする程までに心音が五月蝿い。サニーがココに何事かを言って訊かす。ココは動揺を気取られない様に淡々と、淡々と答える。ああ、ああ。……そうか。

 言葉を交わす。口が重い。言葉を聞く。耳が痛い。
 しかし、無事、目を醒した。との一言には心の底から安堵した自分が居た。


『――来るんだろ』


 疑問符を付けない傲慢さにココの喉が笑う。どうしてだ?行くわけがない


『まえ、本気で言ってんのか?』


 苛立を隠さない実直さに嘲笑が漏れる。はっ、当たり前だろ。聞いてないのか?


「彼女とはもう、別れたんだ。僕が行く、道理は無いだろ」
『っざけんな!』


 サニーの怒号が耳を劈いた。――巫山戯るな。だろ。言葉はきちんと使え。お前、自分を幾つだと思ってるんだ。ココは淡々と答える。淡々と、淡々と。喉の渇きが酷くなっている。


『いつ、死にかけたんだぞ…』


 サニーはココを糾弾する。


「でも、意識は戻ったんだろ。安静にして、栄養を取れば回復する」


 ココは静かに答える。喉が渇いた。唇が、皮膚が乾燥し初めている。脱水症状だ。けれど思っても倦怠感が酷く、ソファの背もたれに預ける体は沈んで行く。
 額に滲んでいた脂汗を拭う。


『……いつは、俺等と違うだろ』
「知ってるさ」そんな事、ココはサニーに言われるまでもない「……彼女は、一般人だ」
『、らよ』
「だが、怪我の治りは常人より早い子だからね……意識が戻ったなら、大丈夫だろう」


 言った、ココの体から力が抜けた。そっと息を漏らす。大丈夫。ああそうだ、大丈夫だ。モバイルを当てる耳を変える。長い通話状態せいかはたまたココ自身が正常な状態ではないからか、電池パックは熱を持ち始めていた。片耳がじりじりする。


『じょうぶって……れより、会いにきてやれ、』
「無茶を言うな」
『おい、前』
「信頼を裏切った男の顔なんて、クラルは……見たくないはずだ」


 その言葉は驚く程自然に口から滑り落ちた。一体どれが失言なのか言ったココさえ気付かないくらいに、自然に。ただ、サニーだけが息を飲む。ココは典雅に笑む。クラル。クラル、か……僕は未だ、彼女の男を気取りたがるのか。笑みは卑屈さを深める。
 壁掛け時計の秒針だけが鳴る夜の落ちた部屋の中で。後頭部を背もたれに預けた。モバイルを当てる反対側の瞼に、重い液体が触れる。喉か渇く。


『んの、話だ、』
「そうだな。せめてこれだけ」


 サニーを無視してココは、


「伝えてくれないか。……凶事に気付かなくてすまなかった。早く、良くなってくれ。ってさ」
『……マジで、来ねー気か?』


 サニーの震えをココは一笑する。


「さっき、別れた。と、言っただろ」
『嘘吐くな』
「…………」


 ココは答えない。嘘じゃない。何故かそう肯定するのに尻込みした。


『まえ等、何があった?』
「…………」


 ココは、答えない。答える義理が無いからだ。そう思った。
 黙りかよ。スピーカーの向こうでサニーが吐き捨てる。前、都合が悪くなると、つもそうだな。つくしくねぇ。それは今、お前に言われたくないよ。その感情はしかし声にせず、嘲りの笑いに乗る。


『つーか、マジで良いのか?…いつ、ジミーなくせに狙ってる奴がちょいちょい居るし。んな事言ってっと、獲られんぞ』
「……そうか」


 そうか……。ココはサニーの冷やかしを頭で反芻させた。クラルに気がある職員が居るだろう事をココは薄々勘付いていた。クラルは取り分け人目を惹くような女性ではないが、その行動や口調、会話の端々で無害そうな安心感だとか無知っぽい所がこちらの保護欲を誘う時が有る。――と、ココは思っている。――そして、ああこの子、僕が居ないと駄目だなあと言う類いの感情を誘引させる事がままあった。
 自分一人でもこう思うのなら研究所なんて閉鎖的な空間で、克つきっと自分と類似した理系タイプ男性なら尚の事。予測していた。心当たりも、幾人か居る。思い浮かべるが、でも、どれも駄目だ。自分が言える立場では無いし何より、結局は彼女次第だと気付いていながらも、ココは思った。なんか、嫌だ。つーか人の女を地味とか言うな。いや、もう元カノとか言う物かもしれないが……。


「それは、良かった。僕以外に彼女を幸せにしてくれる奴が居るなら、安心出来る」


 ふっと、ココは笑う。その口元を微かにひきつらせながらも、虚栄の声を出す。


『……本気で言ってんのか』


 サニーは唇を戦慄かせた様な声を出した。いや、本当に戦慄かせているのだろう。


「…………」


 本音は、嫌だ。でも、自分がそれを言う資格が見当たらない。


「…ああ……」


 ココはぼんやりと天井を見つめた。天井は所々梁が剥き出しに成っている。そこからぶら下がっていたライトはクラルの為に誂えた物だったのに今や見る影も無い。もう必要無いんだろ。横から、自分の形をした亡霊が囁く。
 元々ココの家は電気を引いていなかった。立地的に引ける環境じゃなかったので料理はコンロも炊飯もオーブンも全てガスだった。(オーブンはビンテージだったから初めてキッチンに立ったクラルの眼が輝いたのを今でもココはよく覚えている)流石にクラルと付き合い出してからは照明の為に自家発電システムを取り入れてついでに。と、冷蔵庫や洗濯機を揃えたけれど。電子レンジは今も無い。それはお泊まりに来たクラルを時に困惑させたが、やっぱり不便かな?そう言うと『いいえ。工夫の幅が広がって、とても楽しいです』クラルは、捕獲も調理もプロに任せてこそのグルメ時代の若者らしく、それほど料理の腕は達者な子では無かったのに(特に出身校が全寮制だから料理は文明を使った授業くらいでしか経験が無いだろうに)、そう言った。
 ココの為に必死に、温度調節すら気紛れなオーブンと火力調節が甘いコンロの使い方、そして其の癖を覚えようとするクラルの姿が、ココは愛しかった。心配で何度横に立ったか知れない。その度に何度、苦笑されただろう。


『俺にはご高説たれやがったくせに、』
「……状況が、変わったんだ」


 サニーが、はあ?と言った。思いっきり眉を顰めた声はしかし、間違いなくココを批難している。ココは、静かに思う。つーか、お前に心配されたくない。半分はサニーのせいだ。


「もう切るぞ。…話が、脱線してる」


 ココはでも、通話を終わらせる事を選んだ。サニーの糾弾等もう無視をして、恐ろしく静かに、もうこれ以上話す事は無い。と、畳む。


『い、待てよコ、』


 断線の時。心に、波は無かった。
 只穏やかで、クラルの無事が分かった事にココは安堵すらしていた。良かった。意識が戻ったなら大丈夫だ。良かった……。

 ――そうだ。だって僕が居なくなるんだから。万にも億にもクラルに、彼女に何かが起こるなんて有り得ない。

 亡霊はさっきからずっとキッチンに居る。難しい顔をしてコンロ下のオーブン前にしゃがみ込んでいる。手に温度計とタイマーを握っている事も、オーブンの中身が茸とベーコン、玉葱、そしてほうれん草にすりつぶしたジャガイモを使ったキッシュ・ロレーヌである事も、それは表面が僅かに焦げてクラルの肩を落としてしまう事も、スタータースパイスにクミンシードを使ったのを知ってついニヤけてしまった自分自身の事も、ココはよく、覚えていた。

 クミンを使った料理は男の心変わりを防ぐ一種の円満の秘薬と言われていたのは、アカシアが現れる核戦争以前だけに通用するものだったのだろうか。ココはぼんやりと、静かなキッチンを見つめていた。どうあれ今も自分の心に、変わりはないのに。状況だけ、変わっている。

 ――やべ…

 顔を上げるように背を預け、額に張り付いていた髪を後ろに流す。滲んでいた脂汗は引いていた。汗と、毒液に変換させた体液を流しきったせいだろう。喉の渇きは徐々に薄れ始めているが代わりに三半規管が狂い始める。ココは顔をしかめてやっと腰を上げ、テーブルに置いていたスポーツ飲料を一口、口に含む。

 ぼんやりと記憶に宿る、キッシュの不出来に肩を落とす亡霊に、

 ――僕は、丸焦げにした。本当さ。それに比べたら君はセンスが良いから、次は今より美味しそうに焼けるよ。大丈夫。物事には、失敗が付き物だろ。

 いつかの、ココが言った台詞を思い出した。くすりと、笑った。

 ココが起こした失敗には次なんて無い。いい笑い話だ。







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