Eighteen

 ココに、モバイルの説明をされた。
 小型テレビだと思っていたのは当たらず遠からずと言ったところで、「メインは通話や、メッセージの送信。コミュニケーションツールだね。PHSは知ってる? うん。それに、写真撮影や、スケジュール管理、動画の視聴とかができるようになった感じかな。画面に触って操作する。うん、そうだね。映画の世界が現実に追いついた感じとも言えるね。ちなみに機能は、自分の好みでカスタマイズできるようになっている」ただ説明を受けるそれは予想以上に充実していた。

 こんなの知らない。

 しげしげとディスプレイを眺める。時たま現れるホーム画面にはココと、その奥さんが壁紙に設定されていた。仲睦まじくて、新婚のようだ。夫婦ならよくあることなのだろうか。
 遠慮もなく見せてくれる辺り、彼にとって彼女の存在は当たり前で、第三者へ愛情の所在を伝える行為は当然なのかもしれない。

 不意に、胸が小さく締め付けられた。

 ただ、痛苦しいとは違う。苦しいには違いないけれど、どちらかと言うと、すんとした侘しさと不思議な申し訳なさ。くやしさ。
 変なの。そう、思いつつ画面に触れる。と、偶然にもそれは写真フォルダだったらしい。滑らかに画面が切り替わる。
 たまに風景や動物の写真があるが、ほとんどが、ツーショットや、奥さんだけの写真だった。と言うか大半が彼女のピンショット。

「……」

 無言で見つめる。よく見れば隠し撮りめいたものもある。寝顔が多い。

「……」

 無言で、ココを仰ぐ。

「了承は、取ってるよ」

 ココの笑顔は、ぎこちなかった。
 
 

 リンが来たのは、それから2時間後の午前10時。

「クラルー!」
「リンさ、」

 駆け寄って来たリンに思いっきり抱きしめられて、クラルは彼女の胸に顔を押し助けられた。暫くぎゅうっ抱き込まれる。柔らかくて、苦しい。

「……リンちゃん、そろそろ離してもらわないと……窒息しかけてる」
「あ! そっか! 今小さかったし! ごめんだし!」
「いえ……」

 ココの助け船が出てやっと、空気が吸えた。



 リンは沢山の機材を持って来たドクターと、そして数名のSPを連れていた。伴いはIGOの所長らしきと言った感じなのに、リンの雰囲気はその仰々しさとは無縁だ。

「本当に、もう大丈夫なんだし?」
「はい」

 明け透けで、清々しい。

「痛くない?」
「はい。大丈夫、です」
「もー! ウチ、ココからクラルが倒れたって訊いてちょう心配したしー!」

 またむぎゅうと、抱き締められた。
 少し前に会ったばかりなのに、歓迎がすごい。リンの、柔らかくて温かい腕の中でされるがままになりながらクラルは思う。
 暖炉の中で火が燃えている。仄かな熱が心地良い、リビングルームの一室。リンと座るソファ。

「てか採血、怖くなかったし?」
「そうですね。べつだん……」

 気づいたら、彼女の膝の上にクラルは乗せられていた。甘く涼しい匂いが鼻腔へと漂う。そっかー。と、相槌を打つリンに、髪の毛を弄られ始める。柔らかくてサラサラで気持ちいいし。と、編み込まれ始める。
 クラルはされるがままでいた。
 ココは、少し前にドクターと一緒に席を外していた。ドクターには問診の後、真空管3本分の血液を抜かれた。
 検査機材を持ち込んでいるから、この家で可能な限りは結果を出せると言う。しかも頭痛での失神と言うこともあり、脳の状況も確認したいからと、よく分からない帽子を被らされた。数分の後にはずされたけれど、何だが不思議な気分だった。モニターを見て、問題ないですね。と言いつつカルテに書込むその姿を眺めつつ思う。ルームメイトと見た映画では、もっと仰々しい機械を使っていた気がするのに、なんだろうこれ。
 色々とポータブルになっている。ココが見せてくれたモバイルツールと言い、検査機材と言い、技術発展が目覚ましい。孤児院にいたから、寄宿舎だったから、情報が取りづらかったにしても極端すぎてクラルの目は朝から白黒としっぱなしだ。
 それよりも。検査をさせられたのはクラルなのに、ドクターと連れ立ったのはココだけだった。リンちゃんと良い子で待っててね。と、言われたものの、別室で話されると、不安が胸を過ぎる。私、大丈夫かな。変な病気だったらどうしよう。
 リンさん、良い方だけどココさん早く戻ってきてくれないかな……。

「ココ居なくてさみしーし?」
「へ?」

 思わず、リンを見上げた。
 目があうと、にしし。と、ブルーの明るい瞳に笑いかけられる。編み込みが作られた頭を、ホントにかわいいし! と、優しく撫でられる。
 柔らかい腕やふっくらとした胸元、良い匂い。

「どう言う、いみですか?」
「んー? だってクラル、置いてかれた動物みたいになってるし」

 朗らかな声は、心なしか楽しそうにしている。
 クラルはどう答えたら良いか分からない。リンが作ってくれた編み込みを撫でる。ヘアゴムがないから、いまにも解けてしまいそうだ。ココさんが戻ってくれるまでもってくれるかな。また、可愛い。って、言ってくれるかな。

 暖炉で薪が爆ぜている。

「ココさん、良い方ですね」

 ぱちぱち、心地よい。

「あ、分かるし? ココって元々すっごくモテててー結婚したら落ち着くかなって言ってたんだけど、結局変わんないんだし。今もアプローチされててすっごいし。でも、」
「なんとなく、わかります」

 優しいオレンジの瞬きを眺めて、スカートを小さく握る。リンの言葉を遮ってしまったことに気付かないまま、

「やさしくて、すてきな人だと、思いますから」

 微かな熱がじりじりと頬に温もりを射す。ほんのりと、暖かくなる。

「……クラル、さ」

 やにわ、リンが、

「初恋ってもうしたし?」
「ーーはつ、こい?」

 クラルはぱっと、リンを見上げた。リンの顔は優しく、そして無邪気だ。

「そ。誰かを思い出すだけで、胸がきゅーんって幸せになったり、特別だって感じたり、好きって思う初めての人! ウチはトリコだったし。あ、トリコはウチの旦那様なんだけど、昔からカッコ良いんだし!」
「……はつこい」

 リンの言葉を繰り返す。初恋、初恋。脳裏に、ふとした姿が映る。それは逞しくて大きくて、優しい。

「そうそう。同じ孤児院の子とか、学校……は、女の子ばっかか。無いし?」
「……きおくには、ありません」
「そか。じゃあさ、今はどうだし?」
「え?」
「ココ」

 ぱちん。

「……おくさまがいます」

 小さな実が爆ぜるような音が暖炉で立つ。薪が弾ける。ぱち、ぱち。

「じゃあそこは一旦置いて、」
「そう言うわけにはいきません」

 この人は何を言い出すのだろう。言葉を遮れば、あれま、と言う顔をされた。その裏に、不思議な慈愛が見える。心臓がどきどきとしている。

「でも、ほんとうに……」

 きゅっと、スカートを更に握り込んだ。ベロア素材の、深い緑色。

「すてきなかた。だと……思い、ます」

 唇を静かに結んだ。見てしまったたくさんの写真が脳裏を横切る。
 どの写真のココも、幸せそうでそれは、クラルの前では決してしないだろう表情を見せて居た。
 暖炉の火を移す瞳は温かいのに、すんとした侘しさが言葉を紡いだ喉の奥に落ちる。

「クラルほーんと、真面目だし」

 上機嫌になったリンに後ろから抱きしめられた。


 恋心なんて、よく分からなかった。孤児院にいた男の子はみんな何処か屈折していて図書室通いのクラルは良く揶揄われたし、かと言って大人の男性はみんな神職で色恋とは無縁だったし、分け隔てない優しさで子供達には決して触れようとしなかった。
 同年代の惚れた腫れたより、本を読む時間の方が好きだった。
 くだらないちょっかいに本気を出すより、問題集を解いて院長に褒められる方が何倍も有意義だと思っていた。
 私は一人で生きていかなくちゃいけないから。
 早く大人になって、自分で働いて、自立しなきゃいけないから。私は、可哀想じゃないから。みんなにすごいねって、言ってもらうの。ママやパパがいなくても、道を踏み外さない。一人でも正しく、清らかに生きていけるんだって、しょうめいしなきゃ。
 結婚の事は、その後でいい。
 誰かと恋をするなら、その人にふさわしい女性になってから。
 なのに、今のクラルはおかしい。

「二人ともお待た、せ……」
「あ、ココーおかえりだしー」
「……お帰りなさい」

 ココの声に、耳が反応してしまう。ノートに書き起こしていた数式を一瞬見失う。体の中がふわふわする。

「クラルちゃん……勉強してるのかい?」

 気を取り直し、再び頭を数字で満たす。ココの方は見ない。

「はい」
「もーね、急に。勉強します! ってたちあがって、本持ってきて広げ出したし。髪も戻しちゃうし」
「昨日の、分です。できませんでした、ので」
「やすんじゃえばいいしー。病み上がりだし」
「そういう訳には、いきません」

 ちゃんと、きちんと、しなきゃいけない。

「何を解いてるんだい?」
「ココまで……」
「今日は、二次方程式をがんばります」

 数式は良いな。と、クラルは思う。XとYとルート。解を導く為に、余計なことを考えなくて良い。ココが本をのぞき込んできて、しかもとても近い距離で、リンとはまた違う良い匂いがしたけれど、どきどきを隠せる。

「まあ、僕としても頭を休めて欲しい所だけど……彼女の頑固さは承知済みだからね。うん、この辺りだね。ここまで進めたら一度理解度テストをしてごらん。一度に詰め込むより効率が良いだろう」

 頭を、ほんの少し撫でられた。大きくて温かい掌と長い指。そわりとした感情を抱くより先に、名残の惜しさもなく離れていく。

「ところでリンちゃん、あの件だけど……」

 その場所から顔を上げた。ココの目線は、顔はもうリンに向いていた。

「この後、話できるかい?」

 静かに伺うココの輪郭はすらりとして整っている。男らしい喉元が動いている。がっしりとした身体付きは、クラルでは届かない。

「あ、それなんだけど……えっと、皆んながちょっとココに確認して欲しい事があるから今日にでも来てもらえないかって言ってたし」
「ああ……だろうね」

 声が少し遠くに聞こえる。

「困ったな……」

 不意に、ココの声が渋りを含んでその指先が顎先へと触れた。丁寧に切り揃えられた爪を持つ指先の、その中でも特に長い中指の先が揉み上げの先をざらりと撫でる。ココさん。迷ってる……。ふとして思ったと同時に、だいぶ長い時間彼を眺めていたのに気づいてクラルは急いで顔を机に向き直した。

「何か問題だし?」

 だめ、だめ。こんなの良くない。

「留守番、がね……今の状況では連れていけないから」
「あ、じゃあうち残ろっか?」

 頬が急に熱を持つ。風邪でも引いたかなと思ったけれど頭だけはすっきりとしていて、ただ心臓だけとくとくと動く。

「出来るかい?」
「任せて!」

 即答したリンの背後から壁で控えていたSPのひとりが歩み寄り、耳打ちをした。

「−−……あ、14時にミーティングあったし……」
「所長が不在は、いただけないね。さて、となると……」

 鼓動が、目から入り込む情報と混ざり合って、そこに在るべきXとYの正体を見失っていく。解き方は知っている。だからこそ戸惑う。これがどう言うものなのか、理解出来る。理解している。理解してしまった。

「クラルちゃん」
「−−はいっ」

 急に呼ばれてクラルは反射的に、声を上げてしまった。先生に指摘された時のように、勢いよく顔をあげる。
 驚いた表情のココと目が合った。少し沈黙が降りる。気まずさが、ジワリと体へ浸透してくる頃、「−−ふっ」綺麗な顔が吐息を震わせ笑った。ははっ。と、目を細めるその目尻に、柔らかいしわが寄る。

「集中してたんだね。驚かせてごめん」
「いえ……」
「ちょっと、出かけなくちゃいけなくなったんだ。だけど君を連れていける場所じゃないから、留守番してもらうことになるんだが……」
「はい。分かりました。ひとりでも大丈夫ですから、」
「いや、それは良くない」

 お気になさらないでください。と、言い切る間も無く、強く否定された。

「君、昨日倒れたばかりだからね。また何かあったら困るし、何よりまだ子供だ。一人にはさせられない」
「……」

 平気なのに。と、思ったけれど言える雰囲気でもなくて押し黙る。ココの声が続く。

「リンちゃんのSPに残って貰おうと思っている。君には知らない人だろうが、腕も確かで、人柄も良い。勿論、僕は夜までには帰る。……良いかな?」

 クラルの返答は、決まっていた。




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