A man meets a Lady | ナノ



「小松くん」

 フロアマネージャが室内から空けてくれた扉を会釈と共に潜りきる前に、生き生きとしたココの声に名前を呼ばれた小松は弾かれた様に顔を上げた。

「ココさん!お久しぶりです!」
「…相変わらずだね」

 天井の高い部屋に響き渡るその声のお陰で麗人の失笑を買ってしまったが小松は特に気にしない。誰の目にも明らかな程の輝きを持ち、主人に手を差し出された子犬の様にココに近付く。

「本当に来て頂けるなんて…!感激です!」

 くどい様だが何たって相手は、この食の時代を担う、四天王の一人なのだ。殿上人と言っても差し支えない彼と交流を持てたと言う事だけでも信じられないのに、こうして自分の料理を食べに来てくれている。テンションが上がらない訳が無い。寧ろ最高潮とも言える小松を前にしたココが短く忍び笑っただけで、バックルームの彼等ではないが心中で歓喜だってしてしまう。
 駆け寄って来る小松を前に、ココは怜悧な眼差しを柔らかく細めた。
 凛とした切れ長の形の綺麗な目に、長い睫毛の影が産まれる。色を帯びた艶めきに、小松の心臓が僅かに跳ねた。

「騒がしい君でも仕事の時は年相応に落ち着いているのかと思っていたが、そうでも無いんだね」
「…ココさんも…相変わらずで…」

 お陰で心に放たれたポイズンライフルを、もろに浴びた。
 それでも社交辞令だと思っていた言葉を実行に移してくれたと言う事はきっと自分を快く思ってくれているのだ。小松はいつもの様に前向きに考える。これも、彼が自分に心を開いてくれている証なのだ。
 だっていくら毒舌を披露されてもそこには胸の奥に引っかかる、魚の小骨の様な、口元を引き攣らせる様な後腐れの感情は沸き上がらない。それも全て、彼のそれは嫌味で言っている物でもただこちらの反応を楽しんでいると言った作為的な物でも無く、ある種の少年じみた好意が滲んでいるからだろう。
 だから素直に嬉しくて、自然とテンションだって上がる。

「それにしても、四天王であるココさんに来て頂けて光栄です!」

 小松の揚々とした声にココは方眉を上げ、小芝居じみて笑う。

「本当かい?迷惑じゃなかったかな、」
「まさか有り得ませんって!もう、夢の様ですよ!」

 言葉を締めた途端に返ってきた即答が何とも小松らしかった。一瞬苦笑した後、

「有り難う。そう言ってくれて嬉しいよ」

 少し高い様で低く落ち着いた、ドラマティコ・テノールの男声とハイブランドモデルで無い事が不思議な程の微笑みを、彼は小松に向けて返した。
 小松は一瞬で頬に朱を走らせ思った。やっぱり…美形は得だなあ。相手が美形と言うよりココだからだとも思うが、こんな風に少しの優しさや微笑みを見せられるだけで例え毒舌だったり皮肉だったりを言われても、ああきっとエスプリってこう言う事なんだろうな。と、嫌な思いをするどころか感心して、素敵だと思わせる力が有る。
 現に今小松は同性で有るにも関わらず、彼から発せられた色香に少しときめいた。

 それにしたってこの時のココは少々質が悪いとも思う。だって本人はこれの全てを全くの無自覚で行うのだ。
 彼には、自分の容姿が他を抜きん出ていると言ったどころか並々成らない物だと言う自覚は低いより、無い。これで占い師と言う最も女性受けの良い職種で生計を立てているなんて…優しさを勘違いした客がストーカー化したり、変な鉄則が有るファンクラブが出来ていたりするんだろうな。小松は改めてココの整った容姿を眺め、失礼だとは知っていながらも同情する。
 すっきりと高く、筋の通った鼻筋。眉頭から凛々しく整った太く男性的な眉。彫りの深い目元の奥には大きな切れ長の輪郭が美しいパールとオブディシアンとのコントラストを、長い睫毛で縁取り対面した者を惹き付ける。本当に、美丈夫、二枚目、ハンサム、伊達男。そんな言葉で飾る事さえも萎縮してしまう好青年。だけれどもそんな彼に憧れはしても、それを羨ましいと思った事が無いのは余りに現実離れしていると言う感想より、その外見が齎した大変さを僅かでも目の当たりにしたからかもしれない。
 多くの女性にあっという間に囲まれて本気で困惑していた、あの姿。
 一緒に居たトリコが、あーいうのは頑としてと散らしちまえよ。後々面倒になるだろ。と、呆れ返った言葉に、女性だと思うとどうも強く出れないんだ。と、苦笑したココ。ついつい、思った。ココさんと付き合う女性って、色々大変そうだなあ。

「ほら、クラル。彼だよ」

 そしてそんな同情の対象が、今小松の目の前にいる。
 小松はさっき迄少々控えめに捉えていたその、先程から小松とココの遣り取りを見て土鈴の様に大人しいくすくす笑いを溢していた、年若い女性(正直、こう例える事に小松は少し違和感を感じたが、少女と言うのも違うしワインを嗜む年頃なのだと思うとやはり女性なんだろうと。ただ、年は自分より幾つかは下だと思った)を、改めて視界に納めた。
 先ず眼に焼き付いたのは、その姿勢の良さ。アップにしたヘアスタイルから伸びる首筋から繋がる背中のラインが、柔らかそうなシフォンブラウスのエレガンスさを引き立てる程にすっきりと伸びている。光沢の有るブラックのハイウエストフレアスカートから伸びる足もその膝の上に置かれた手も、行儀良く揃っている。
 けれど小松はその時、視界に映った女性よりも彼女に向けられたココの声に気を取られた。
 愛しそうにその名前を呼んだ彼の音色は、自分が知っている彼の音より幾分も甘く話し方もいつも以上に柔らかい。…なんだかこれだけで、どれだけココが相手に惚れ込んでいるのか分かってしまう…そんな砂糖菓子の声。
 しかもココは言葉と共に席を立ち、今や女性の背後でその体躯に見合った大きな両手でそれぞれ、彼女の肩を包み頭上から、微笑んで

「彼がこの間話した、小松くんだよ」
「あら」

 プライベートルームの真ん中に誂えられているテーブルのその一席。眼下に宝石を散りばめた様な夜景を壁一面に描き出す硝子を背にココは先ず女性に、小松を紹介した。

「あの、切っ掛けの方?」
「ああ。あの、彼だ」

 切っ掛けって何の話だろ…。ふたりの間でのみ繋がっている短い会話に関心を寄せながらも小松は少し、背を正す。
 ココに促されてクラルが小松に目を遣った。お互いの視線がぶつかった一瞬、クラル。と彼に親し気に呼ばれた女性の瞳が、まさか目が合うとは思っていなかったらしく一度だけ瞬く。

「小松君。紹介するよ。彼女は…クラル」

 はにかむ様なココの言葉の真下で、深い、シルクロードの夜を彷彿とさせる澄んだ濃い色の瞳がこちらが萎縮してしまう程真っ直ぐに小松を捉えた。
 後頭部で器用に纏められている、きっと長いのだろう深いブルーネットの髪が天上から注ぐシャンデリアの明かりを受けて艶やかな輪郭を光らせている。

「僕の、恋人だ」

 それでも言葉を受けるとクラルはココを仰いで、ふふっと、照れ笑った。すっきりとした姿勢で恋人と、まるで何か会話をしているように、ほんの少し視線を絡ませ合う。
 不意に、小松は思った。あ。もしかしたらこの方、僕と同じ人種かも。髪の色も雰囲気もどことなく自分と近しい者を感じ、アルコールではんなりと解けている頬の色も肌理具合も、コーカサスと言うよりアジアンだ。

 ふと、前を向きなおしたクラルが小松に向かい、柔らかく笑んだ。落ち着いた色合いのリップが乗った唇とビューラーとマスカラで丁寧にカールされたブラックの睫毛が揺れたその時、少し緊張していた小松の肩から、すっと力が抜る。
 今自分に向けられた表情は例えるならば花が薫り立つ時の様な、たおやかで優しい姿なんだろうに…それにはときめくと言った高揚感よりも、不思議な安心感を誘引させる。言い換えれば固く結われた組紐が指の先で、ほろ、と解けて行く時の様な安堵感とも言えた。あ、と小松はチーフの言葉を思い出す。温泉、みたいな子。

 やがて目の前の女性はゆっくりとした動作で席を立ち、小松に向けて右手を差し出した。

「ご挨拶が遅くなりまして…クラル・ノースドリッジと、申します。お会い出来て光栄です」

 小松は慌てて、コックコートの裾で2度掌を拭ってからその手を握る。

「いえ、はじめまして小松です。本日はご来店、ありがとうございます」

 夏日だというのに少し冷えている指先が小松の手を柔らかく握り返した。
 自分より背の高い女性なのにさほど変わらないそのパーツは華奢で、柔らかい。何となく良い匂いもしてちょっと、心臓が跳ねる。

「いいえ、こちらこそ」

 握り返した手はタイミングを捉えて離れ「お料理、とても美味しかったです」上機嫌な声がふふ、と笑う。

「本当ですか?」
「はい。特にスープ。えっと、何と言うお料理だったかしら…」ぽう、とした表情で記憶を探る。「枝豆の…」
「ヴィシソワーズ。だね」

 言い淀んだクラルの言葉に、苦笑したココが助け舟を出した。ぼんやりとしていた形が明確になったのだろう。クラルの表情が華やぐ。

「あ。そう。そちらです。枝豆のヴィシソワーズ。滑らかで…でも、とてもさっぱりしていて、とても美味しかった」
「ご満足頂けて、何よりです」

 朗らかな小松の声にクラルはうっすらと目尻を染めた微笑みを見せた。

「他のお料理も、素晴らしく味わい深くてフォークとナイフなんて働きっぱなしだったのですよ。ワインとの相性もとても素晴らしく…お陰で、飲み過ぎだとココさんに嗜められてしまいました。この後に君を紹介したい相手が居るんだから、正気で居てくれって」

 ふふふ、と。上機嫌が笑う。
 その言葉が嘘か本当かなんて、検索は不要だった。クラルの頬ははんなりと赤く会話の合間に表れる身振りと手振りはどこかくたんとしているが、いつの間にか彼女の真横に佇み、腰を抱き寄せたココの苦笑いが確信の後押しをする。

「…あれは、小松君がいなくても止めたよ」

 クラルにだけ聞かせる色めいた声でココは言った。喉元を晒してココを見上げるクラルの睫毛が数回揺れて、

「今日は部屋を取ったから、私の気の済む迄飲んでも良いと仰って下さったのに?」
「充分飲んだだろ。殆どフルボトルだったぞ」
「あら。チーズやデザートと一緒に頂いたアイスワインはハーフ程の大きさでしたよ?しかもココさんがストップを掛けてしまったのであちらだけ最後迄飲めませんでした」
「…クラル。どうやら君は本当に酔っ払ってるみたいだね。その前のメインで、肉料理の時に飲みきってしまったからと追加でもう1本の赤ワインを開けてもらった事を…もう忘れたのかい?」

 悪戯っ子を嗜める様子で顔を覗き込んで来たココに、クラルはあららと笑う。

「ねえココさん。ワインって素晴らしいですよね。空気に触れる時間だけでなく、一緒に頂くお食事でもテイストが変わるのですよ。そしてお料理も、頂くワインで味が変化するのです。タンニンの渋みもナツメグのスパイスも、口当たりが良くなって。とってもいい気分」
「それは良かった。……ご満足して頂けましたか?王女様」

 ココの囁きにクラルは饒舌に動いていた舌を止め、彼を仰いだまま喉を鳴らした。

「はい。記者さん。素敵な一日でしたわ。でもまだ…長椅子には帰りたく無い気分」

 言葉締めには胸元に頭を寄せ、くしくしと額を擦り付けて来るクラルに、ココは口元を引き締めて目と、肩を下げる。

「…参ったな」

 それは、僕が言いたいです。
 ココとクラルの前で小松は思った。
 何これ。何この2人。見ているこっちが恥ずかしくなるダイアローグに思わずたじろぐ。え?ずっとこんなんだったの?口元を引き攣らせたまま、卓付きのボーイに目配せをする。如何ともし難い苦々しい笑みを返された。それだけで、小松には十分だった。






mae tugi



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