A man meets a Lady | ナノ



 でもだからと言って直ぐに、じゃあ行って来るね。とはいかないのが料理長と言う立場だ。スーシェフとの会話の合間も手先は忙しなく動き続け、周囲は在り来たりでも"戦場"との喩えが相応しい程だった。
 見習いは皿洗いに集中し、スープ担当にソース担当は頃合いを見て小松に味の確認を頼む。各テーブルの進行状況をフロアから聞いて時間を見計らい最後の調整を施した料理をフロア担当の手に委ねる。入れ違いに別のテーブルの皿が下げられて来ると次はその卓の料理を提供する。
 コース料理を中心とするレストラン特有の、頭を使う動きだった。
 アラカルトならまだしも、コースとなればその時間軸全てのテーブルに提供するランクとスピードを把握しなければならない。当然良くテレビドラマ等で見かける、シェフがホールに顔を出すシュチュエーションなんてディナーの時間が終わりを告げる本当にギリギリの空き時間くらい。忙しい時にシェフは持ち場を離れられない為に呼ばれても挨拶に疑えないという事や行っても数分数言のやり取りで引き返す事もあった。
食客の立場に立って料理を提供して行きたい小松としてはちょっとやりきれないが…でもそこに構い過ぎて料理の質を落としたく無い気持ちの方が大きい。

 結局小松がココ達の前に姿を現せたのは彼等のテーブルチェックを受け持ったフロアマネージャーからの呼び声とスーシェフの気遣いにより後押しされた、彼等の帰り際ギリギリだった。

「ほらシェフ!あ。このお礼はあの方のサインでお願いします!家内がファンなので」
「え?」

 スーシェフに至っては良い笑顔のギブアンドテイク付きだったが。
 取り敢えず、小松は厨房から抜け出し、ココが予約した個室へと足を向けた。

 開放的なホールから最短距離で彼の居る個室へと襟元を整えつつ向かう。
 天井のシャンデリアから落ちる照明が柔らかく大理石の床を反射させる空間を小松は少し早足で歩いた。調理油がしみ込んだスニーカーの音を成る可く立てない様に扉へ近付けば近付く程、忙しさで蔑ろにされていた好奇心が沸き上がっていく。つまり、かの著名人の彼女に対して。
 本来、食客の噂話は幾らスタッフルーム内と言えども営業中であればそれこそ壁に耳有りだと厳しく禁止が言い渡されるのだが、今日だけは人物が人物だけ有ってそのルールを守る人の方が少なかった。お陰で、ホールから戻ってきたスタッフ達は著名なココかその連れ人である無名の女性の話題を飛び交わらせた。
 ココに至っては皆似たり寄ったりな感想だった。ヤバい。すごいイケメン見た。背が無茶苦茶高いのにバランスが良いって、反則。やだ私"ありがとう"って言われた!すっごいかっこ良かったー。えー!いいなあ!あ!バケット私が持って行きます!エトセトラエトセトラ…。普段は研修で鍛えられた作法を忘れない社員達がマネージャーの眉間に皺を寄せる程に素の自分に戻って彼の全てを賞賛した。
となると当然、そんな男性が連れている女性の話題にも入る。けれどその感想はココと違い、皆てんでバラバラだった。
 ある人は容姿を褒めるがある人はそこ迄かなあと首を傾げた。立ち振る舞いから育ちが良さそうな子だと誰かが言えば、ただ緊張しているだけでしょ。と言う子もいた。猫被ってるんじゃないのお上品ぶって。と、影で笑い合うスタッフも居た。一瞬見ただけだろうに…とそれに関しては女の人って怖い。なんて小松は思ったがそれと同時に、想像のし難さより好奇心が刺激された。
 一体どんな人なんだろう…ココさんのハートを射止めた女性って…。小松は記憶の中の目鼻立ちがハッキリとした青年を思い返しつつなんと無しに呟いた。戻って来たチーフはその話題に少し唸った後、…そうですね、雰囲気が独特と言うか…あ。温泉みたいな子でしたよ。と。余計に想像を困難にする言葉で締めくくった。それは例えとしてどうなのか。

 だから扉の前に着いた時、小松は緊張した。
 ノックをして開けたその先に話題の人物が居る。そう思うだけで薄い胸板の奥で響く心悸が自棄に五月蝿く、ついついコックコートの汚れを確認してしまう。
 トリコに良く言われる食材の匂いが酷くないだろうか。なんて思って鼻先に腕も寄せ匂いを確認してみる。すんすんすんと鼻を鳴らした自分のまるで初デート前の中学生じみた行動に、ちょっと僕…相手は知人カップルじゃん。しかも片方は知らない人だよ。それと気付いた時思わず苦い笑いが漏れた。
 こんな緊張は料理からホテルランクを決める、G7の人の前に呼び出された時ぶりだなあ。小松は落ち着かない心を深呼吸で紛らわせようと努めた。意味合いは違うだろうがどちらもドアノックをせんと掲げた拳は僅かに汗を握っている。心臓がばくばく五月蝿くって、体はそわそわとしている。
 でもこんな所でまごついている暇はない。自分の到着は先にホルダーに控えメモを(ココは今日部屋を取って居るらしく支払いはチェックアウトの時に纏めるようで、伝票にはルームナンバーが控えられた。これまたフロア担当のスタッフが、上手くいけば明日も会えるかな?とか、てかお泊まりって事は…。とバックルームの隅で固まって色めいたり青ざめたりしていた。)渡しに行ったマネージャーが伝えている筈だから彼等の足を止めている為にもさっさとノックした方が良いのだ。よし。

 小松は深呼吸をしてから二回、扉を叩いた。






mae tugi



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