愛と罪悪感


マリア曰く。私は、愛に生きているらしい。
失恋したと言う彼女は、お得意の強がりでそれほど得意でも無いお酒を煽って、感情を清算しようとしていた。

『クラルは、ずるいわよ』

アルコールで溶けて、すわった瞳。けれど、はっきりとした発音で、彼女はそう言った。なにがどうずるいのか私には分からなかったから、曖昧に言葉を濁し、カクテルを飲み込んだ。

けれど、'愛に生きている。'それはその通りかしらと思ったのは、間違いない。
いいえ。正確には'彼の愛に生かされている'と、揶揄した方がしっくり来る気がする。

だって、これ以上は心配だから迎えに来たよ。とかかって来た電話に胸を熱くして、マリアの「もー!バカップルはもう帰りなさーいっ!」って言う強がりに甘えた私。
幾ら愛する方が来て下さったといっても、友情と言う観念からみたらそれは最悪の選択だったのかもしれない。

しかも、彼がウォーク・インしたと言うエグゼクティブ・ルームの一室で、口に出せない程の夜を過ごした。


だから神様は、そんな私に、罰を与えたの。


「マリア、」


つー。つー。と、通話が途切れたモバイルを耳に当てて、肌触りの良いリネンの上、素肌のままの私は訳も分からず呆然と、その寂しい音を聞いた。

ハヴァ・ナイス・ライフ!最後に聞こえた馴染み深い彼女の挨拶がとっても遠く感じる。ハヴァ・ナイス・ライフ、。意味も無く、口ずさんだ。良い、人生を。

フリーズした思考のまま、モバイルフォンをシーツに滑り落とした。彼が浴びているシャワーの音をBGMにぼすん、と頭からシーツを被って広過ぎるベッドの端で丸まる。(さっき、確かに、確かに、)ぽん、と脳裏に、見慣れた姿が浮かんだ。記憶を辿った、声と姿がリンクする。(サニーさんの、お声でした……)それは、昨日一緒に呑み交わした、上司であり友人であるリンちゃんの、お兄さん。

彼が、昨夜マリア達に会う事は知っていた。
いいえ。正確には教えてもらった。
恐らくキャパシティを越えただろうマリア(そのラインは曖昧で、長い付き合いの私にも記憶を失うポイントが分からない)が気がかりだった私に、ココさんが教えてくれた。

ふたりのお迎えは、彼に頼んだからと。
だから、私は安心した。サニーさんなら安心ですね。と、胸を撫で下ろした。


私が知っている'サニー'と言う男性は、自身に素直なだけあって、絶対に曲げれない信念を持った誠実な人だったから。




清潔なシーツが産み出した薄闇の中で、ぱかりと開いたままのメインディスプレイの明かりが静かに沈黙する。
フラットな暗闇で鏡みたいになったそこで、困惑を隠せないままの私と目が合った。閉じる気も起きなくてただ、顔をマットレスに押し付ける。

マリアと、サニーさんの仲が取り分け良いのは知っていた。

マリアに恋人が出来る前(それは昨日の騒ぎの発端になった方だけれど)、よく彼女の父親が所有しているパスを使ってビオトープへ遊びに来ていたマリア。(それ、いいの?と嗜めた私に彼女は、別に食材持ち帰ったり立ち入り禁止に迄入ってる訳じゃないから構わないでしょ。と持論を翳した)私とリンちゃんのお仕事の間一般人専用のモニタルームでサニーさんと騒いでいた。


『気が合うのよね』


いつだったか、退勤した私にマリアが言った。


『ほら、美容やお洒落の話。下手したら私より詳しいのよ。いやになっちゃう』


そして、次の日に飲む約束をしたのよ。と。クラルやリンも来なさいよ。と。
私が、明日はお互い夜勤ですよ。と返すと、折角ザクロラのビタミン成分をスマートに摂取出来るバーに行くのに。って不服そうに口を尖らせた。

マリアはアルコールが大好きだった。

でも、正体を無くす位飲むのは滅多に無いから。
その時の私は彼女がサニーさんと二人で出かけても心配なんてしなかった。

そもそも、口で豪語する程彼女は恋愛体質じゃないもの。
いつだってマリアは、異性の友人と会う前日に必ずそれを教えてくれたから。そしてそれが日を跨ぐ事は決して無かったから。

それは、ルームメイトだった時からの癖。そして、彼女なりの保険。


『マリアとお兄ちゃん。もう付き合っちゃえばいいしー』


だから休憩ブースでリンちゃんがそう呟いた時、私は『どうでしょうね』苦笑した。
ロマンスを欲しがって、強がって、パートナーの数は人並みに経験していても、マリアの根本は初で、真面目だから。

気が合う。と、恋愛対象。はイコールにならない。

なのに、
(マリア、昨夜、あの後…何があったの?)
さっき通話を交わした相手は、本当に私の親友だったのかしら。私は自分でも驚く程ショックを受けていた。
焦燥を持て余している。

そうよ、だって、正体を無くす迄飲んだマリアを最後迄慰めるのはいつも、私の役目だったのに。



「クラル?」


不意に頭上から名前を呼ばれて、ベッドが少し傾いた。


「シーツに包まって…何してるんだい?」


笑いを含んだ声。いつの間にかシャワールームから出て来た彼が直ぐそこにいた。
シーツ越しにぽんぽんと、丸まった体を優しく叩かれる。


「ココさん……」


ゆっくりとシーツから顔を出した。壁一面をくり抜いた窓から差し込む朝の光。
その光の中で、彼は濡れたブルネットから滴る雫を剥き出しの肩に落として微笑んでいた。
背の高過ぎる彼は当然座高も高いから私は、自然とシーツを棟に手繰って、上半身を起こす。

薄闇に慣れた目が、眩しさでチカチカする。

「髪がぐちゃぐちゃだ」優しいテノール。長くて筋張った指先が、私の顔にかかっていた髪を掻き揚げて、大きくて広い手が後頭部の形を確かめる様に後ろに滑る。「絹糸みたいだね」そして、キスをした。私は目を閉じるタイミングを逃して、ぼんやりと彼の長い睫毛を眺める。重なった唇は柔らかくて、少し湿って温かい。微かにソープの味がした。


「電話は終わったのかな?」


額と額を擦り寄せて、彼が聞く。

まるで体の何処か一部分でもひっついていないと会話が出来ない生き物の様に、それはすごく自然だった。


「はい、」


私は少し考えて、…多分。と付け足した。


「……多分?」
「途中で切れたので。」
「電波が悪かった?」
「そう言う、訳では、」


言って、私は悩んだ。
さっきの事を彼に尋ねても良いのだろうか。マリアの背後から、サニーさんの声がした事。マリアは私の親友で、サニーさんは、彼の親友のひとり。(本人の口から直接そう聞いた訳ではないけれど、彼等の関係はそう呼ぶに相応しい気がする)


同じ部屋にいた確証はあっても、男女の関係があった確信はない。

ただ、昨夜のマリアはまともじゃなかった。
通話口の言葉を思い出す『ねぇ、私達。いつお開きにした?』つまりマリアは、私を帰した事を覚えていない。 
お酒に、呑まれていた。


(この場合、どうしたら良いのかしら)


当ても無くなって、彷徨っていた視線を彼の瞳に合わせた。


「クラル?」


私は卑怯モノ。上手く言葉に出来ないから、彼が気付いてくれるのを待っているなんて。凄く、女々しい。でも、どうしたら良いのか分からない。
女同士の秘密として、しまっていた方が良いのかしら。それとも互いの親友の問題として、共有した方が良いのかしら……。

彼の手が頬に触れて、長い睫毛の奥に煌めく瞳が私の不安を溶かす様に笑む。


「君がそんな顔するなんて。…マリアちゃんに。何か、あったのかい?」




マリア。

彼が発したその名前に私は、私の親友の全てを思い出した。
マリアが私を受け入れてくれた様に、マリアを慰めるのは私の役目だったのに。
それなのに、昨夜の私はリタイアした。
盤上から降りて、甘く優しい最愛の腕に寄り添った。


『最近のクラルは、愛に生きてるわね』


頭の中のマリアが、いつかの言葉を話した。

そうして、気付くの。そうからかう彼女の声を、私はもう、否定出来ない所に居る。




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