最悪、最悪
「もーそれでさー、」
「それはティナが悪いわよ。立ち入り禁止区域の意味分かってるの?」
3階ホールのカフェブース。
約束通りカフェ・マキアートを貰って、私達は椅子に腰掛けてひたすら喋った。
ティナの愚痴はいつも同じ。
「下手したらあんたが食材よ」
「それは、」
「クルッポと仲良く猛獣の中って、笑えないから」
だからいつもと同じカフェを啜って、息を吐く。
「あんたの言葉借りるなら、1ミリグラムも、美味しく無い」
「でも!それこそてんこ盛りに美味しいニュースだったのよ!お金じゃ変えない価値があるの!だってトリコよ!美食屋トリコの生ハント!!私だって望んでるんだから、視聴者だって望んでいるギガ盛り!絶対諦めないんだから!!」
私のテンションとは正反対に盛り上がるティナにちょっと呆れた。息巻きながら、タンブラーの蓋を開けてコーヒーを飲む姿は、私より幼く見えちゃう。
「……なにそれ。この歌みたいね」
リズムを無視して、フレーズだけ口ずさむ。
「なによその歌。…誰の?」
考えもせず、ティナは聞いて来た。
「知らないなんて嘘でしょ!?彼を追い掛けすぎて、周りに目が向いてなさすぎよ。……流石"パパラッチ"」
「どう言う意味よー!」
「褒めてるのよー。レポーターの鏡ねって」
それにしてもティナはある意味、この時代の人間よね。パパみたいに珍しい食材にしか興味が無い。その代わり、そこにかける情熱は凄まじいの。
「ホントに褒めてる?」
疑り深い目が私をじーっと見る。どうやら、かなり絞られたみたいね。
私は小さく笑って、
「褒めてる褒めてる。カッコいいじゃない。仕事が大好きなんでしょ?まるで、」
恋してるみたいだわ。
そう言って、自分の言葉に後悔した。
やっと頭の片隅に追いやり始めていた事が、たったひとつの言葉を切っ掛けに脳裏にフラッシュするなんて。馬鹿みたい。ううん。馬鹿よ、マリア。
私は喉を晒してタンブラーの中身を煽る。
「恋、ねぇ……」
幸いな事に、ティナにこの変化は気付かれなかった。でも、なんでその言葉を拾うのよ。気付かれなかったのは嬉しいけど、歓迎出来る事じゃないわ。
「例えよ。深く考えないで」
ていうか、この話題に飛びたく無いのよ。だって未だ処理しきれてない事が浮かぶから。でも、「マリア!」ティナは無神経。「どーしたら私、彼氏できるかなぁ!?」知らないわよ。「さぁ、」今その話題止して。「私に聞かれても困るわよ」でも、流石"パパラッチ"容赦ない。
「でも!マリア経験豊富じゃない!」
「ちょっと!人をパーティガールみたいに言わないでくれる!?」
「そう言う意味じゃないわ。だってマリア彼氏居るでしょ!ジャガーに乗ってる年上の彼氏!」
あ、そうだった。
「あー。ティナ」未だ彼女には言ってなかったわ。「、そいつとは別れたから」
「うそ!もったいな!」
「ホントよ。ほら」
私はこれががその証拠だと、ネイルを見せつけた。
「あ。ホント。デコってる。あれ?アイラッシュもしてるじゃない!彼氏、そう言う事に良い顔しないんじゃなかったっけ?」
「うっさい。だから、別れたのよ。もういいでしょ?」
そのまま手をひらひらさせる。
でも大失敗。
ティナの好奇心が私の恋愛に移っちゃたのよ。別れた時期、理由、きっかけ。あと、付き合ってた期間。兎に角根堀り葉堀り無遠慮に聞いてきた。
ちょっとは落ち着いてほしいわ。ああ。もう、煩わしい。バックレちゃおうかしら。仕事残ってるし、キャスターのご機嫌は戻った事だし。
なんて思い始めた時に「でも、全然見え無っかった。」ティナがからから笑いながら言った。
「だって、自分のスタイルを相手に合わせちゃう程の恋愛だったじゃない?なのにマリアったらぜんっぜん、何時も通りだから」
「失礼、ね……」
なんて返したけど、ティナの言葉に私ははっとした。
そうよ。私、今迄だったら、カッコ悪いけど、まだまだ引きずっていたわ。クラルを付き合わせて夜通し騒いでも、次の日に現実に引き戻されたら暫くは痕跡を探してた。(見つけたら自分が傷付くだけなのに)
一緒に聞いたCD、夜の風に隠された匂い、私の独り言に答える彼の言葉を無意識に考えては、止まってしまった私の時間と日常の早さに愕然として。
何でも無いのよあんな男。終わったロマンスには新しいロマンスだもの。って親友には言いながら、私自身が肝心のロマンスに地団駄を踏んでいたわ。(だって、本当に進んだら、完全に思い出になっちゃう。その人がくれたモノとか残ったモノ全部が、過去になっていっちゃって、笑い合った優しさ迄忘れるのが怖いのよ)
でも、今は?私、ずっと何を考えてた?誰を思い浮かべてた?
別の意味で愕然とした。
だって、私の意識しない所で、私が成長している。先に進んでる。かつて愛した人を、過去にしてる。
「……これでも傷心なのよ」
底に残ったほろ苦いカフェ・マキアートを流し込んで、私は私の心に声を出して抵抗した。だって早いわ。まだ早い。それに、あり得ないのよ。
「なーんだ。てっきりもう次の人見つけたのかと思ったわ」
私の横でコーヒーを啜るティナ。頬杖を付いたその顔は、もうすっかり完全に私を誘った怒りを無くしてる。
「何よそれ。変な勘ぐりはよしてよ」
私は反対に足を組み替えて、感情を持て余してる。精一杯演技してる。
「だって、そのネイル」
なのに彼女は、おかまい無しに現実を教えてくれた。
「先が、少し剥げてるわよー?」
気付かなかったの?って。意味深な表情でタンブラーに絡めた私の指先を指摘する。私は、「は?」って、間抜けな声を出して爪先を見た。思わず、嘘!って声が喉元迄出かかった。
だってあり得ない!トップコートなんてレトロじゃない。これジェルネイルよ!
相当なモノを引っ掻かない限りこんな風にならないわよ!って、待って。もしかして、それは、イコール、
「マリア?え?え?ちょっとー、マリア?」
ティナがきょとんとして声をかけていた。
でも、思考が飛んじゃった私に、その声が届くはずが無い。
何だって、よりにもよって、こんな時に限って、いつかにした馬鹿みたいな会話を思い出しちゃうのよ。
『髪が自在に操れるなら、そんなに鍛える必要あるの?』
『は?馬鹿言うなし。体こそ資本だし。』
『ふーん。でも、だからって鍛え過ぎじゃないかしら。キモイ』
『んだと!まえの美意識おかしいんじゃね!?』
『どこがよ!このナルシー!って、かたっ!!なにこの体!』
『まえがひ弱過ぎんだし。そんなチョップいたくね、』
『あーもう、爪欠けてるー。最悪だわ。この筋肉毛玉』
『んだとコラ!!』
その膨らみが剥がれた指先は、朝の感覚よりずっとずっとリアルに、私に、現実を突きつけた。
私だけの問題じゃない。って。
きっと、あいつの背中に付いているだろう傷を想像して、私の指先はじわりと感覚を思い出した。
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