バプテスマ


サニーが後ろで私を小さく呼んで諌めた。何よ!って振り返ったら、サニーの向こうに数人の人影があった。音を聞きつけた職員だって気付いて、私はバツが悪くなる。でもね。揃っている相手が相手だけあってかしら。彼等は一定の距離を保っていた。

良い大人が。雁首揃えて、全く臆病者なんて。「カッコ悪い」私は吐き捨てる様に呟いた。後ろでサニーが「、んでもねーし。戻れ」ってあいつらに声を掛けてた。まるで俺がどうにかするって言いた気な声だったわ。
白衣を着たドクターだか研究員だか分かんない奴らが口々に、でも。だの、しかし。だの何か言い合っていたけど、「戻れ」サニーの声でしぶしぶ疎らに靴音を鳴らした。全く。見せ物じゃないのよ。

そう、見せ物じゃ無いの。今私達が居るのはスポットライトに照らせれたステージじゃ無ければ強化アクリルに囲まれたコロシアムじゃない。オーディエンスはお呼びじゃないのよ。そもそも、関係もないわ。


「黙ってないで何とか言いなさいよ。人でなし」


状況はもっとシリアス。
けどね。彼等のおかげで私は血液の沸騰を少しだけ押さえる事が出来たわ。極めて冷静に、けれど声は低く吐き出したの。
私はヒールで目一杯背伸びした背を正して、ココを見据えた。ココの視線は後ろを捕えている。何処見てんのよ。開幕中に観客を見る演劇なんて、ナンセンスよ。「今更人目を気にするタマなの?違うでしょ」それにね。あんたはそれが許される程のクラスじゃないのよ。どんなに探しても、そこにあんたのファンはいないの。

ココは視線を私に戻した。私は少し体を強張らせる。
だってあいつの瞳は、相変わらずだったから。彫りの深い目元に影を落として、長い睫毛に縁取られた切れ長の目を細めて、深い黒水晶は歪だった。何より口元だけが微かに弧を描いているのは、その整った容姿も相まってとても、不気味だったわ。

靴音が遠くなって消えた。私に注がれる嘲笑は一瞬だけ眼を見開いて「何よ」でも直ぐに元に戻った。形の良い唇が開く。


「お前達が、羨ましいよ。」


私は、またそれ?って思って、そのまま言葉にしようとしたわ。でも、ココの言葉の方が先だった。


「素直に、感情を吐き出せるお前達が、羨ましい。羨ましくて、妬ましい位だ」
「……ココ?」


静かな声で、感情の伴わない笑みで、ココはとつとつと語る。


「だから彼女は君達の事も大切にするんだろうな。マリアちゃんを、サニーを、彼女の世界を、彼女は大切にする。愚直なまでに、人を愛する。」


そんなの当たり前じゃない。この男、何を言い出すのよ。クラルが他人を大切にするのは昔からよ。隣人を愛するのは、信仰から発芽したのよ。ココだって、知っていた事じゃないの?今更


「僕には、彼女だけなのに。彼女はそうじゃない」


何を言い出すのよ。


「彼女にはリンちゃんがいる、サニーが、仕事が、そして何より、君が、マリア・ハートフルが居る。彼女は、君を大切にしている。僕よりも」
「ココ…あんた、」
「僕は、彼女を、クラル・ノースドリッジを愛している。深く、愛している。でも、彼女の愛は僕だけのものじゃない。」


私はココから目を離せなかった。歪な顔で、ココは語る。嫉妬深いのは知っていたわ。レセプション、クリスマス・パーティー、夏のバーベキュー、私が酔っちゃってクラルにハグしたりする度に冷たい声で私の酔いを冷ました男だもの。
酔った私に余り近づかない様に。だなんて、クラルに言い聞かせてるの見た事あるわ。私に迄抱く位だから、一応同じ研究所にいるサニーはもっと凄かったみたい。勿論その度に呆れたわ。これだから恋愛慣れしてない男って嫌になっちゃうって。


「僕だけのクラルじゃない」


でも、ここ迄だったの?有り得ないわよ。吐き捨てる様に、あいつは笑った。「不公平だろ?」「不公平って、あんた、」そんなロジックで、そんな馬鹿げた考えで、「そんなんで、クラルを振ったわけ!?クラルの意志は、」「勿論それだけじゃないさ」言葉を遮って、ココは続けた。静かなのに、でもしっかりと意志を持った声で。


「僕が彼女に飲ませたのは、テトロドトキシンだ」


淡々と、はっきりと。君なら、それがどう言うものか分かるだろう。って言った。
テトロ、ドト、。私は頭を働かせる。カレッジのクラスを思い出して、講義を思い出して。唇を噛み締めた。クラルは、そんな事、一言も言わなかったわ。きっと私に遠慮して。いいえ、私も、理解出来るって、分かっていたから、言えなかったんだわ。


「アルカロイド系の神経毒、よね。LD50は、経口0.01mg。皮下0.008.5mg。」
「流石だ。」
「伊達に現役じゃないのよ。だから、でたらめなあんたが嫌いなの。本来なら人間が持っていられる様な成分じゃないもの。猛毒よ」


そんなもの迄作り出せちゃうなんて。つくづつこいつのイオンチャンネルの形がどうなってるのか分からないわ。知りたくも無いけどね。こんな男の、ロジカルなんて。


「でも、僕はそれを持っていた。そして、あの日、彼女に…。マリアちゃんの言う通りかも知れないな。あれが、彼女を今に至らしめた原因かもしれない。だって僕には何も、僕の、毒が、」


ココは、言葉を噤んだ。私も、聞きたく無かったから聞かなかったし、サニーも黙って聞いていた。

わざとじゃなかった。そう言ったココ。でも、わざとじゃないで、済ませれる様なものじゃないわ。神経毒は、体を麻痺させる劇薬は、。ノートに書き込んだ、レポートに落とした文字が浮かび上がる。テトロドトキシンは、意識を消失させて、呼吸を停止させるのよ。あいつが知らないわけが無い。最低。最低だわ。


「最低」


風を掻き回して、唸るファンと、限りなく無菌に近付けるイオンクラスターの機械音が響く。けれど重い静寂は静寂のまま。関与してくれない。

ずっと続くと思っていた静けさ。でも、破ったのはサニーだった。
体に溜った、陰鬱なものを吐き出すみたいにたっぷりと溜息を吐いて、サニーは言ったの。


「小難しーこと言ってんじゃねーし。わけわかんねー」


私達の意識を浚ったの。


「テトロ、だの、LDだの。前らしかわかんねー言葉で話すんじゃねーし。ま、神経毒がこえーの位分かるけどよ。で、結局それでクラルがマジで死にかけたのか?」
「な、」


ちょっと、こいつ何言い出すの。猛毒だって言ったでしょ。


「症状は、第一段階だった。四肢の麻痺。直ぐ処置をしたが、」
「で、れは一週間も体に残るものなのか?」
「それは、」


ココは、目を見開いて口を噤んだ。私もばつが悪くて額に手を当てる。あーもう!そうよ。あいつの肩なんて持ちたく無いけれど、あんたの言う通りよサニー。「神経伝達を、ブロックするのよ」「マリアちゃん、」「処置が早ければ、」ああ、ああ、もう!「早ければ後遺症は無いの。それどころか、あれは、医薬品としても使われているわ」どうして私がこんな事言わなきゃいけないのよ!


「だとよ」


くだらないわ。私は一体どうしたいのよ!もう!


「結果論だ。処置が早かった、それだけだ。」
「も、それも知識がないと出来ねーだろ。適切な知恵と、知識がねーと。検査の結果は俺が聞いたけどよ、んな事はひとっことも言われなかったし」


ココは言い淀む「……結果論だ」唇を噛み締めて「僕が、ころしかけた。傷付けた事に、変わりは無い。」吐き出した。自分の何かと、葛藤しているみたいだった。


「クラルが、まえを責めたのか?そう言って、追い込んだりしたのかよ」
「彼女はそんな事しない!」


それを、サニーが崩している。ぐちゃぐちゃに掻き混ぜている。
私はそんなふたりを眺めて考えていたの。


「僕の、僕自身の問題だ。」


本当はね。こいつをもう二度と、クラルには近付けさせたく無いわ。だって当然でしょ?親友を殺すかもしれない様な奴を、殺しかけた男を、認めれる訳ないもの。結果論だなんてあいつの言葉、よく分かるわ。一歩間違えたら死んでいたかもしれないなんてね。考えただけでもまたクラッチを拾い上げてぶん殴ってやりたいわよ。
だって。どんなに、想い合っていても。好きで居ても。

「本当はずっと、こうするべきだった。どんなにコントロール値を上げたからと言って、完全に無かった頃には戻れない。分かっていた。自分が何で出来ているのか分かっていたんだ。それなのに。現実に成る迄、先延ばしにして、彼女を、泣かせるなんて……赦される事じゃない」


そう言う事よ。ハイリスクすぎるの。幾らあの子自身も免疫系が強くたってそれはスタンダードより少し上くらいだもの。幾ら私達が進化に富んだ種でも、その中でも特別を与えられたこいつらには適わない。
でもその時にクラルを助けたのもこいつなのよね。こいつの、知識ときっとその、最悪なギフトの力も関係しているのかもしれないのよ。本当にいけ好かないわ。いけ好かないけれど。


「んだそれ。結局まえの独り相撲じゃねーか」
「サニー」
「赦すも赦さねーも、んなの前が決める事じゃねーだろ」
「彼女を守る為だ。お前も言っただろ、危険な者から、守るのは当然だと」
「言ったな。でもんなつくしねー意味じゃねーし。守るって決めたんなら、途中で離すとかすんな。女泣かして、守るも守らねーもねーよ」
「サニー、」


馬鹿な男の目くらい、冷ましてやってもいいのかしらね。


「クラル、言ってたわ。」


それこそ赦される位、良いじゃないかしら。今回くらい、結果論に救われても。


「ついさっきよ。あんたと、同じ事」


古いベッド。泣きじゃくるあの子。途切れ途切れの声は、こう言ったんでしょ?


「……彼には私、私にも…彼だけなのに。って。お似合いじゃない」


ココが息を飲んだ。「だとよ」サニーが笑ってでもココは「嘘だ」認めない。「僕は、彼女に、彼女にあんな事をしたのに。なのに、」意地っ張り。私が此処迄譲歩してやったのよ。もっと素直になりなさいよ。


「そんなの、あんたがひとりで決める事じゃないでしょ。ギークな恋愛してるわけじゃないんだから」
「そ。いつ本人に聞けよ」


言うなり、サニーは私を引き寄せて「まえらふたりまで、俺らみたいに擦れ違ってんじゃねーよ」って。

て、。こいつ何言い出すのよ!擦れ違いって、ちょっと!「さ、サニー!?」いきなり何よ!って言おうとしたけれど、それより「ほらよ」って、まるでその言葉がトリガーみたいに、ココの背後にあるドアが勢い良くスライドした。私の視線の先だから当然私はそこを見ちゃって、釘付けになった。

ココも気付いて振り返る。振り返ってきっと、私みたいに目を白黒させている。ただサニーだけが、「世話かけさすんじゃねーし」って飄々として、「…すみません」ドアが開くなり、小さく声を上げてた姿が、苦笑していてって、。ちょっと、待ちなさいよ。



「クラル」


でも私じゃない。ゆっくりと名前を呼んだのはココだったわ。
それはまるでずっと探していたお気に入りのドールとか、綺麗な宝物を見つけた子供みたいに。愛おしそうに。でも、直ぐに口を手で塞いでしまった。
それこそ高潔な人の名前を呼んでしまった、本当の罪人の様にね。
でも呼ばれたクラルは真っ直ぐにそんなココを見上げて、「…はい」近づいて。短い言葉だけれどその一言一言を宝石に変えて差し出すの。臆病な男の手を取って、真っ直ぐに笑ったわ。


「はい。ココさん。」


それは今迄見たあの子の中で、一番幸せそうで、一番綺麗な声と姿だったの。

私はそこで気付いたわ。そう言えば、ココは今日はずっと、あの子の名前を正しく呼んでいなかったって。


不思議ね。
気付いたらその光景が、ふたりの言葉が、なんだかとっても特別なものに思えたのよ。





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