砂上の信頼


突き出していた指を引き戻す。人差し指を中心に溜っていた劇薬はまるでマジックの様に姿を顰めて、陶器みたいな肌を露にした。そのまま両手を腰に当てて、斜め上からゆっくりを視線だけで辺りを見回したかと思ったら、視線をサニーに投げる。


「そんなに大切か?」


何を見ていたのかは分からないわ。大凡の予想は付くけど、それ以前にココの言葉に面食らった。ちょっと、こいつ、なにを言い出すのよ。誰が、誰に、執心して、。


「すり替えんな」
「摺り替えてなんか居ないさ。見たままを言った迄だ」


見たままって、何よ。
ココは鬱陶しそうに手で空を払う。何があるの。何が見えてるの。その特別なオブディシアンに一体何が映ってるのよ。ちらりと伺える視界の端の、あのカラフルなロングヘアは、風もないのに揺れていた。頭上でサニーが嫌そうに舌打ちをする。


「危険なモンから、女守るのは当然だろ」


私を庇う手と言葉がリンクした。「…くにマリアは、一般人だしな」ココじゃない、それは私に言い聞かせるみたいな声。
私は、不謹慎にも心が踊ってしまったわ。だって、サニーが、守るべきだと決めた中に私が居る。
ごめんなさい。ごめんなさいクラル。そしてマリア、あなたいけない子よ。こんな状況で、顔に熱を籠らせてしまう。サニーの言葉に私の心が浮わつく。
その行動に歓喜が沸き上がる。

一般人?ええ、そんなの当たり前よ。暴力と知識が絶対で、必要な彼等から見れば私は一般人だわ。世間的地位なんて関係ないし、そもそもそんなのは私の力じゃないもの。

それよりも大事な事。私は、彼に、異性として見られているなんてこと。ごめんなさい。ごめんねクラル。私、喜びを抑え切れない。フラットなタイルと、見慣れた足しか見れない。

だから気付かなかった。
ココがどんな顔で、どんな思いで私達を見ていたのかなんて。



「そう、だな」


それは突然だった。今迄好戦的だった相手の声とは思えない位よ。その声は、殆ど吐息の様に吐き出されたの。


「その通りだ。当然だ」
「まえ、」


サニーの声に促されて私も顔を上げた。そして見てしまったの。浮ついた心は罪悪感を感じて石に変わったわ。それだけ私が見たあの男の顔は、すごく、とても、悲しかった。

毒を吐き続けた唇はひとつに結ばれて、怜悧に私達を突き刺した視線は歪に、微笑んでいた。それはまるでいつかに見たフラスコ画の罪人の顔みたいだった。
地に伏して、天を仰ぐ。罪人であるが故にそこに刺す光に手を伸ばす事は出来なくて、ただ焦がれているあの顔。差し出すべき両手は痛む胸を押さえる為に己だけを包み込む。私は声を無くす。
サニーも同じ事を汲み取ったのかしら。視界の端で揺れていた髪がゆっくりと重力に従ってやがて、静かになった。
天井に組み込まれたファンの音しか感じられないくらいの静寂だった。


「…危険な、もの。恐ろしい存在から守るのは、当然だ」


ココが声を出しても、その静寂は崩れなかった。それどころか一層、静けさに五感が研ぎ澄まされたの。その声は、確かに耳に届くのに、余りも静かだった。


「……傍で守れるお前が羨ましいよ。サニー。…僕にはもう、その資格が無い」


だからその言葉は恐ろしく私の中に入って来たわ。意味を汲み取るの事を、戸惑う程に。
本当は直ぐに思い至ったのよ。でも、打ち消したかったの。有り得ないって。ああけれど、この言葉を考えるのは何回目?いい加減直感に素直になって。だって私は最近、有り得ない事しか、理解したく無い事しか体験していないじゃない。


「どういう意味?」
「マリア、」
「資格が無いって、ココ。あんた」


あいつの顔を仰ぐ。罪人の顔、罪深い、男の表情。悲しく笑う。戦慄が背中を上る。


「クラルに、なにかしたの?」


サニーは引き止めなかった。だから私は感情のままの言葉でココに詰め寄った。


考えたくも無い事を考えて、唇が震える。


「あの子に、何をしたの?」


ずっと引っかかっていたの。不可解な事だったから。
一週間前迄、ココとクラルは呆れるくらいの関係だったのよ。カラフルなシュガーコーティングのケーキも、たっぷりのお砂糖やシナモンで煮詰めたアップルパイの甘さだって物足りなくなるくらいの関係だったのよ。それに、サニーが電話でココの言葉の洗礼を受けたのは一週間前。でも、クラルが泣いたのも一週間前。


「なに、したの?」


クラルは何も言わなかった。でも、リンがこう言ったわ。ココから電話があったって。ココがクラルに会いに来たって。別れ話されたって聞いた後だからてっきりそうだと思い込んでいたわ。でも、そうじゃなかったら?マリア、思い出して。思い出すの。リンの言葉。ココから電話があった。クラルを迎えに来て欲しい。どうして?駆けつけたリン。座り込むクラルが居た。泣いていたって言ってなかった?座り込んでって。、有り得ない。クラルは、悲しみで足が竦む様な子じゃないわ。意外に頑固で、意外に負けず嫌いで、馬鹿みたいにお人好しのクラルは。クラルは、


「、クラル。泣いていたわ」


そして、クラルはなんて言ったかしら。少し前の、病室で、あの子は私に。


「ココ、あんたを、拒まなきゃ、て」


おかしかった。気付いていた。そう言って泣いていたあの子。自分を責め続けるクラル。


「あんた、まさか、」


ココは、私から顔を背けた。まさか、。嘘でしょ。「あの子に、毒を、盛った…?」「わざとじゃなかった」サニーが後ろで、嘘だろって呟いた。私も、うそでしょうって思った。思った、けど、それより先に目の前の男が怒りを思い出させて、血が上る。

気付いたら、サニーの横をすり抜けていた。クラッチが私の手を離れていた。思い切り投げたって気付いた時には、レオーニのエンブレムがココの頬を擦って背後のスライドドアにぶつかっていた。ぶつかった衝撃で口が開いて、中身がばらばらに零れた。モバイル、カードケース、リップにポーチ。音を立てて、跳ねて、転がる。


「あんた、ほんとうに、最低」


バスタードなんて生温かった。こいつは、マザー・ファッカーだわ。信じらんない!


「わざとじゃない!?あんた、自分が何なのか忘れたの!わざとじゃないなんて、わざと、」


信じられない。信じられない。信じたく無い。


「どうして、そんな事、」


ココは何も言わない。言い訳も、弁解も。サニーも、黙ったまま。私は止まらない。


「あんたは、クラルの事、大切にしてくれて居るって、あんたが、あの子をプリマにしてくれるって、なのに、」


少女だった頃、当たり前を特別にしてくれる大人が居なかったクラル・ノースドリッジ。ココはそんなクラルに、リコリス飴を与えられなかった子供に、チェリーパイやハニープディングを与えてくれる存在だって。「信じられない」強靭な腕に溢れた愛の、温かさやくすぐったさを教えてくれるって。そしていつか、あの子に、あの子がずっとステンドグラスの影から眺めて、焦がれていた、愛の形を育んで行く相手だって思っていたのに。認め初めていたのに。


「なんでよ」


だって私にとってはいけ好かない男でも、それはクラルには当て嵌まらない事だもの。気障で、呆れるくらいの心配性で、嫉妬深くて、最悪なギフトを与えられちゃった男でも。それは私の目線だもの。怖いなんて思っちゃうのも、近づきたく無いなんて警戒して必要最低限のコンタクトしか取らないのも全部、私の問題だわ。
同じものを見たのにクラルは、そんな事は些末な問題でしょう。って笑ったの。ナイフやガンと一緒だって。それをどう扱うかはその人次第。彼は、優しい人だって。(−−私に必要なのは彼を、正しく理解して、信じる事よ)そう、照れくさそうに笑った、クラル。


「−−クラルが。あの子が怪我したのも…あんたの、あんたのギフトの、後遺症があって、…もしかして、それで、」


ココを信じていたクラル。愛に生きていたふたり。そんなふたりが私は少し羨ましかったわ。

けどね、ココは答えない。
俯いて、私の言葉を受け入れているのかさえ分からない。憶測のままの言葉を、明確にしない。'わざとじゃない'その毒物が何なのかさえ教えてくれない。マイナスばかり考えて、だから私は止まらないの。



「ねぇ…何とか……何か言いなさいよ!」


冷たい蛍光灯とタイルの間で、私はここが何処だかも忘れて大声をあげた。





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