始まりの人



あーもう!相変わらずなんて体してんのよ!めちゃくちゃ鼻痛いじゃない!って、こんな事してる場合じゃないわ。


「サニー、退いて頂戴」
「は?…やだし」
「はぁ!?」
「お、リン。そういや所長が呼んでたぞ」
「え?でも、クラル…」
「私は、もう大丈夫ですから」
「そーそ。俺等もいるしよ。ほら、行ってこい」


言うなり、サニーの奴は私の肩を掴んで反転させた。リンはそれなら。ってクラルと私に、また終わったら来るし。って言って足早に横を擦り抜けて行く。って、


「ちょっとサニー。離して」
「やだ」
「何処のティーンよ!離して頂戴!私急いでる、」
「ちつけ。…あの野郎には、もう連絡したし」
「は?」


奥のベッドの上で、クラルが息を飲んだのが分かった。私は目を瞬いてサニーを見上げる。「から、まえは余計な事すんな。つーか、怪我人にんな顔させてんじゃねーし」サニーは溜息を吐いて、クラルを見た。


「りあえず、先に医者の話な。CT異常なし。けど、胸部の内傷が激しいから暫く療養が必要だと。でもま、折れた骨ギリ心臓刺して無かったのは救いだってよ。ま、まえ元々免疫力?つーか治癒力?フツーよかはつえー方みてーだし。そのまま点滴打つか安静にしてりゃ良いってよ。でも、明日また脳波だけ見るって言ってたぜ。いちお脳震盪起こしたからな」
「、分かりました。ありがとう御座います」
「お。また後で医者顔出す言ってたし。詳しい事はそん時話してくれっだろ」


クラルは、顔だけをこちらに向けて頷いた。混乱しているみたいでその顔はグラマー・スクール時代並みの無表情。でも、それでもその表情にはどこか影があって。見てるのが辛い。
てゆーか、改めて聞くとなにそれ。やっぱ大事じゃないの。


「あの、サニーさん」


でも、クラルの関心はそこじゃないのよね。
サニーの言葉を飲み込んだクラルは「ココ、さんは。その、」言いにくそうにその名前を口にする。やっぱり、そうよね。


「何と、仰ってましたか?」


でも、そんな顔のあんた見たく無いわ。悲しい顔。全然、あんたらしく無いもの。
サニーが後ろで短く息を零して、答える。


「…早く、良くなってくれってよ。あと、気付かなくてごめんってよ」
「え?それだけ?」
「んでまえが反応すんだし…」
「だって、ちょっと、」


肝心な言葉が無いじゃない。それ以前にその言葉は、直接言うべきじゃないの?何?あの男、本気なの?


「いいのよ。マリア」


それでも、クラルは笑った。唇だけの小さな笑みだったけれど。凄く悲しい瞳だったけど、笑って、いいのよ。って言った。


「クラル…」


私は増々居たたまれなくなる。でもクラルは顔をこちらに向けて続ける。


「ありがとう御座います。サニーさん」
「ん」
「いいのよ。って、でもクラル、」
「くぞ」
「は?行くぞって、ちょっと!」
「まえな。いつは怪我人だぞ。いつ迄居る気だし。いい加減寝かせてやれ」


サニーは私の肩を掴んだまま、溜息混じりに言った。
そうは言っても、でも、クラル。私は後ろを振り返る。ベッドの上で、きっと辛いだろうにこちらを見て小さく笑うクラル。悲しい色をした瞳。唇がそっと告げた。ありがとう。

私は、その時気付いたの。
この子が、私の為にしてくれた事の僅かでさえ、私はこの子に返せないんだって。この子がくれた優しさも強さの少しも、恩返しが出来ないんだって。

足を踏み出せない私にサニーが退室を促す。私は、沢山、沢山言いたいことがあったのに何にも言えなくて。ただ、「また、来るわ!」って。サニーの溜息とクラルの失笑を買う台詞しか言えなかった。


静かに閉じるドアが、私達からクラルを隠す。
ねえクラル。今、あんたは何を考えているの?どんな顔で泣いているの?手を握ってあげたいのに、私にはそれが出来ないなんて。
どうして肝心な所でいつもあの子をひとりにするのよ。
あんまりよ、神様。









真っ白なタイルの廊下。空調やイオンバスターの御陰でレトロな香りの無い空間をサニーに押されたまま歩く。って。


「…いつ迄人の肩ホールドしてるのよ」
「つーかまえが泣く意味がわかんね」
「泣いてないわ」
「ちょー鼻声」
「黙りなさい」


私だって分けわかんないのよ。てゆーか、そう言う所は突っ込まないで欲しいわ。ホント!デリカシーにかけるやつ!ああ、もう!


「大体、あの男一体何考えてるの!?なんで別れ話なのよ!どう言う思考回路してんの!?」
「まえ、声でけーし」
「でかくもなるわよ!ほんとこれだからインテリって嫌いなのよ!やる事為す事分け解んないわ!」
「…ま、いつの考えてる事は、俺等でもよくわかんねーよ」
「きっとどうせ独り善がりな考えでもしたんでしょ!…仮に、クラルの事思っての行動なら、……付き合うこと事態、しないはずよ」


私は、クラッチからまたハンカチを出して目の下を押さえた。そうしていつかのココを思い出す。『僕は、毒人間だから』二年前のレセプション。サニーの紹介で出会った美丈夫はそういって私との握手を拒んだ。
その時はいまいちピンとこなかったわ。でも、過去のコロシアムのフィルムに映っていたココは象牙色の肌を変色させて、ピジョンブラッドの雫を滴らせていた。雫を受けた猛獣は体の自由を奪われてだらし無く地に臥せって。ああ、こういう事だったのね。って。納得した。私の握手を拒んだ訳と、クラルとの進展が遅かった理由も。
それでもふたりはお互いがお互い、仲良くなって。一緒に出掛けたりしてる内にそう言う関係になって。それは本当に見てるこっちが呆れるくらいで。でもきっとそれはそうなるに相応しいだけの事をふたりが乗り越えて、お互いに認め合っていたからだって思っていたの。互いを補い、互いを尊重し合い、互いを愛し合う。まるで、神様が望まれたイシュとイシャの姿。クラルが、ずっと憧れていた恩恵。なのに。


「、おかしいわよ…」


サニーは「そだな」って言って、私の肩から手を離した。


「どうせまた、つくしくねー事でも考えたんだろ」


そして近くにあったソファに座って、モバイルを取り出す。私は眉を顰めてその姿を見てたわ。何やってるの?こいつ。
目の前のサニーは親指をスライドさせながらタッチパネルを操作してる。


「…何してんのよ」
「まえがしようとしてた事だし」
「私が…て、」


サニーは、忙しなく親指を動かしてた。私はその前に立ったまま、彼を見下ろす。ちょっと、まさかと思うけどそれ、あんたがさっき止めた私の事、って。ひとつしか無いわ。…なんであんたがしようとしてるのよ!?


「、さっき私がしようとしたら止めたじゃない!」
「そりゃ、まえが薬缶みたいになってたからだし。んなんで電話してみろ。いつに丸め込まれるか、電話切られるだけだぞ」
「そうなったらヘリ出すわよ!あの男の家に行って、一発ぶん殴ってやるんだから!!」
「んなんだから止めたんだよ。まえはちったー冷静になれ」


サニーはちらりと私を一瞥すると溜息を吐いて「ま、こんなもんだろ」ディスプレイを水平にして私に見せて来た。「なに?」促されるままフラットな画面を覗いて、フリーズ。え?何よこれ?


「メー、ル?」
「そ」
「そって、こんなんであいつ来るの…?て、」


非難しながらその内容を読み進めていった私は思いっきり言葉に詰まった。なんて言うか、目が点になるとか、鳩が豆鉄砲とか、きっと今の私ってそんな表現がぴったりな顔してるわよね。


「電話だと切られる可能性あるしな。これだったら確実に見るだろ」
「そりゃ、見はするでしょうけど、。サニーこれって、…方便よね?」


何ともセンセーショナル過ぎる一文を指差して、私はサニーを見た。
あいつは、悪戯を思いついた子供みたいな顔でニヒルに笑って、


「我ながらナイスアイディアじゃね?」


自信満々に胸を張る。ナイスって言うか、なんて言うか…。


「…これは、あんた的に有りなの?」
「つくしいかつくしくないかならつくしくねーかもしれねーけど。今は、いつらの方がブサイク過ぎるからな」
「だからって。…嘘ってバレたらどうなるのよ」
「んなの気しねーし。ココには借りがあるからよ」


借りって。あんたね。
それってきっと一週間前の電話の話でしょ。どっちかと言うとそっちの方が原動力大きいんじゃないの。まぁ、ある意味名案って言えば名案かもしれないけどね。
…でも、待って。一週間前は、ココはクラルと別れる気無かったって事じゃない?あれ?でも、別れ話一週間前って。それにクラルは、なんて言ってた?ココは、あの子の事、。
本当に、どう言う事よ。ああもう!理系の考えてる事ってホント謎だわ。でも、今、ひとつだけ確信出来た事があるの。


「…あいつなら、きっとそれ見たら来るわよ。」
「たりめーだし。これで来なきゃ、男としてよか、人として最低だろ」
「最低どころか、軽蔑するわ」


サニーは小さく笑うと「送信」って言って、モバイルを軽く掲げた。


「うし。あの毒野郎、釣られやがれ」
「、クラルには何て言うのよ…」
「まは、黙ってろ。期待させんのも酷だろ」
「…それもそうね」


私は溜息を吐いてサニーの横に腰掛ける。


「来るとしたら、今日の夜か明日の朝かしら」
「だろーな」


まぁ、どの道早く動くんじゃないかしら。…うだうだ考えていなきゃだけど。
サニーは私は帰っても良いぞなんて言ったわ。けどね。そんなの冗談じゃないわ。


「あいつには私も言いたい事があるのよ。来る迄、クラルの付き添いとして、ここで粘ってやるわ」


だって私の想像通りだとしたら、こんなにもカッコ良く無い事なんて無いもの。
それとあの子の手が握れないならせめて、私はその手であの子を泣かせた男をぶん殴ってやるんだから。

女との約束を破った罪はね、重いのよ。





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