What did you


グット・ラック。肩で息をして、エレベーターホールでのジェスチャーの意味を理解したのはセントラルホールを通り過ぎて教えて頂いたイーストエリアに近づいた時だった。
社交フロアは女性寮と男性寮に挟まれた丁度真ん中に作られているから、その面積は宏大でそれぞれ5つのエリアに分かれている。

普段はカフェやラウンジになっているけど、主にパーティやイベント事に使われるセントラルエリア。
ジムやクライミングと言ったスポーツ施設が整ったサウスエリア。
ダーツやビリヤード、チェスと言ったゲームが集中しているノースエリア。
定期的に料理や語学と言ったカルチャースクールが催されるウエストエリア。
そして、インターネットやナショナル・ライブラリーさながらに書籍が充実したイーストエリア。

私は、そんな知識の宝庫であるイーストエリアで深い溜息を吐いた。壁に目を向けるとライブラリーに相応しい『QUIET ZONE』の看板。お静かに。でも、視線の奥にあるパーソナルルームの一室、その前には中を興味津々で覗いている人集りが。ちょっと、私も!とか、うわ!マジ本物だ!とか。司書の方に怒られ兼ねない騒ぎ。
私は少し気後れしたけれど、「すみません。通してください」とその中に進んだ。え?とか、この子誰?知り合い?とか感想を受けながら人混みを縫い分けて扉に辿り着く。壁に面して作られている幾つもある部屋の一室。その中が伺える様になっている扉横のアクリルウォールは、人の入室を示す様にこちらだけ上から3分の2程が磨りガラス状に曇っていた。でも全てを覆っている訳じゃないから下半分から向こう側が見えている。ああ、周りの方はここから覗いてらしたのね。どうせなら、全部目隠しにしてしまえば宜しいのに。好奇の目を受けたまま呼吸を整えてノックを2回「クラルで、」あ、でもこの施設は防音性がどうこうとか聞いた事があったわ。ノックとか届くのかしら、なんて考えついた内にドアが開いた。
途端に上がる歓声。


「入って」
「え、あの、」


その声が止まない内に手を引かれて、コンピュータと小さなソファーが置かれている部屋に引きずり込まれた。背後の扉が閉まって、歓声が止む。いいえ、聞こえなくなっただけ。
だってきっと今、


「やっと会えた」
「ココ、さん」


私達を見ている人達が、きっと、声を上げている。アクリルウォールは背後にあるから私からは何も見えない。そもそも中に引きずり込まれるなりきつく抱き締められた私には、彼の姿しか目に入らない。
厚い胸板。肩を包み込む大きな掌。今でも包まれる度に胸を締め付けられる体温。例えようも無い彼独特の甘いアロマ。「クラル」少し、低い声。どうして!とか、連絡くらい入れて下されば。とか、お聞きしたい事が沢山あったのに全部、全部絆されて、私だってお会いしたかったと、言葉の代わりに広い背中に手を添える。けど、


「、待ってください」
「ん?」
「…外、が」


流石に顔を寄せられた時は、幾ら視界に入らないと言っても背後が気になった。
彼は私の言葉でちらりと覗かれているだろう場所に目を遣ったけれど、直ぐにくすりと笑うと、


「見せつければいいよ。見ている方が悪い」
「ココさ、」


そのまま、会えなかった時間を埋める様に言葉を紡ぎかけた唇を彼のそれで塞がれた。…どうしましょう。よく分からないけど、怒って、らっしゃ、


「こ、ココさん!」
「んー?」
「んー?じゃありません!いけません!人が、いえ、ここは駄目です!」
「触るだけ。いれないから」
「い!、いけません!」
「クラル…」
「そんな顔しても駄目なものは駄目です!」
「クラルに触りたい」
「一体どうなさったんですか!」


パーカーに忍び込もうとした手を力の限り制して、これ以上は不味いと、必死に腕からすり抜けた。
背後を伺うと案の定下から目を白黒させてたり、指の隙間からこちらを見ているギャラリーが。私は恥ずかしくってたまらなくって、これ以上は閉幕!と、空調パネル横のボタンを押して、アクリルウォールの設定を中途半端な磨りガラスから、完全な目隠しに変えた。一瞬にして一面真っ白な壁に代わる。


「クラル…」
「、お話しましょう!ね!そう致しましょう!そう聞いています!」


背後から抱きすくめて来た彼に、声を上げてお願いを叫んだ。ギャラリーの目線が無くなっても、パーソナル・ブースには声だって拾う最新のセキュリティ・カメラが付いていますから。警備室で見られていない保証は無いもの。









「クラルの部屋に行ければな」
「女性寮は男子禁制ですから。我慢して下さい」


あれからまた少し押し問答をして、今やっと、私がソファーに座る彼の膝の上に乗る形で落ち着いた。
これだって、誰かに見られているかもしれない可能性を考えると恥ずかしくて溜らないけれど、でも、暴走されるよりはましだわ。
それにしても寮が男子禁制で良かった。そうじゃなければ今頃、ううん。止めましょう。止しましょう。


「クラル」


こてん。と、私の名前を呼んで彼の頭が肩に乗る。目の前にはターバンを外した彼の、少し堅い真っ黒な髪。ふわりと薫る石鹸の香り。「はい」頬をそこに寄せて問い返した。腰に回された腕が、微かに力を込める。


「君は、僕だけのものだ」
「、はい?」


唐突に下された宣言に、私は目を瞬かせた。「ココさん?」顔を覗き込もうにも肩口に押し付けられてはそれも適わず。私は、訳が分からなくてただ、「どうしたんです?いきなり」聞き返すしか無い。

彼は黙ってしまった。私はそっと、その髪に触れて考える。「ココさん」そうして、考えながら彼を呼ぶ。「ココさん」私、何か言ってしまったかしら。もしかして、マリアが言った通り、あの日のキャンセルを気にしてらっしゃるのかしら。でも、あれはきちんと説明したし。それに、色々と溜め込んでしまうけど、納得された事はそんなに後に引かない方だし。「ココさん」訳が分からなくて、ただ悪戯に彼の頭を撫でて彼の名前を呼んだ。

彼は少しして、口を開いた。


「クラル」


何も知らない私は、その声に何も考えず答える。「何です?」

彼は、言いにくそうに、でもはっきりと、こう言った。



「頼む。ここを、研究所を、…辞めてくれ」



私は一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。





prev next



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -