嵐の前兆は


結局、窓口に駆けつけたのは締め切りギリギリだった。

受付に座っている恰幅の良い女性にじろりと「次からはもう少し早く来てね」睨み付けられて、チェックされたバインダーを再び受け取る。


「場所は分かるわね?あと10分で鍵かけるわよ」
「大丈夫です。ありがとう御座います」


足早にラックを探し出して補充分をロック付きのケースに詰めて研究棟へ戻った。

メールは、その道すがらに送った。マリアには今日の夜に電話が入る事。ココさんには、サニーさんと交わした会話。ふたりとも忙しいのか、直ぐにメールが返って来る事はなかった。

それよりも先に「クラルー!」「リンちゃん」保管庫のロックを外している時、友達が私を呼んだから私はそちらに意識を移す。


「遅くなってごめんなさい。直ぐ仕舞いますから。待ってて」


エアプッシュの音を立ててキーを認証した自動扉が開いた。同時に自動点灯される室内。
私は、中になみなみと溜った液体分重い瓶を指定の場所に納める為に、強化ガラスで覆われたフレグランス・ラックの前に歩み寄って生体認証のセキュリティを外しにかかる。
リンちゃんは、「うちも手伝うし」と。私と同じ様にID証を認証させて保管庫に入って来てくれた。ケースから別のラックに仕舞う分をピックアップする。私は礼を述べて作業に戻った。
ラックは私達とその上の人にしか開けられない。彼女も指紋と網膜照合のパネルをオープンさせた。


「所でクラル、お兄ちゃんに会った?」
「ええ。会いましたよ」


瞳をパネルに近付けて答える。青い光にスキャンされて、直ぐ、パネルがグリーンの文字を映す。これが一度でも赤になると48時間、このラックは封鎖される。
いつもながらここのセキュリティシステムは厳重。
作業の痕跡が全てメインコンピューターに追跡されているのは何だがむず痒いけれど。国際機関の中でも機密率が高い所だから、当然かしら。


「…そっかー。」


少し間を置いて、リンちゃんは相槌を打う。


「どうして?」


私は使用量の多いバトルフレグランスから前に出して尋ねた。珍しい。名前の通り、鈴みたいに元気にお喋りする子なのに。
リンちゃんは「んーん。お兄ちゃんが探していたから」と、サンダーペパーミントをカゴから取り出した。


「なんか、大事な話?」


ふと、真面目な声で聞かれた問いに肩が跳ね上がった。「え?」「…お兄ちゃん、ちょっといつもと違っていたから。それに、」彼女は少し言い淀んで、「それに、最近クラルも、マリアも…よそよそしーし」悲しい笑顔を見せて言う。


「リンちゃん、」
「うちの、気のせいだといーし」


補充を済ませたラックを閉じる。バーを上に上げると、厳重なロックが仰々しい音を響かせて掛かった。私は、何を言うべきか一瞬迷って、「気のせいですよ」と笑う。彼女に倣って、ラックを閉じる。


「中々、お休みが合わなかっただけでしょう?」


弁解を零す唇とは裏腹に、私は心の中で謝り続けた。ごめんなさい。


「リンちゃんにもメール来たでしょう?マリアから」ごめんなさい。


貴方だけは、巻き込みたく無いの。知らない方がきっと、幸福だから。


「あ!来たし!マリア、ここの入島パスの期限切れてたって。更新申請にちょっと時間掛かるから、もう少し待って頂戴って!」
「小父様がいらっしゃれば、申請も1日で済むんですけどね」
「マリアのお父さん?近くに居ないし?」
「ええ。お仕事の関係で。あちらこちらにいらっしゃるから。代わりに、ヨハネスさんに直接お願いするそうです」
「ヨハネス?」
「IGO開発局の方です。マリアの、母方の叔父でもあるから。頼み易いんですって」
「ふーん。にしてもマリア、ついてないしー」


私は、ケースを拾い上げた手に力を込めた。'ついてない'その言葉に、すこし悲しくなる。不運続きってきっと、今のマリアの事を言うのかしら。だって確かに、幸運とは言い難い。


「…リンちゃんの言う通りね。最近のマリアは、ついてないわ」


溜息混じりに笑って、所定の場所にケースを返して、バインダーをしまった。そして「さて。一息ついたし、そろそろ休憩取りましょう。お腹空きました」リンちゃんの手を取って、保管庫からカフェテリアへ向かいましょうと誘う。


「あ、ところで。最近トリコさんとはどうなんです?」
「ちょ!クラルまで!聞かないで欲しーし!あーううん!やっぱ聞いてー!」


一体どちら?って思いながらも、真っ直ぐに恋をしているその姿は可愛くて私は自然と笑った。








メールに気付いたのは退勤後。施設内にある女子寮の自室に戻ってから。充電の切れたモバイルをスタンドに差し込んで、電源を立ち上がらせるとすぐ受信表示に切り替わった。おとぎ話のキャラクターが少し動いて、受信件数を教えてくれた。メール受信、2件。全てマリアだった。
ココさんは忙しいのかしら?お返事が無いなんて珍しい。後で電話しようかしら…。受信ボックスを開いて、本文を表示させる。


『了解。分かったわ。あ、こっちもパスの準備整ったから。来週末には行けるわよ。ご丁寧に叔父さん、予約迄してくれたし』


受信時間は18時。送って1時間後。
次に開いたメールは、受信時間20時。丁度30分前。


『電話来たわ。取り敢えず用件だけだったけど…来週末、パパが契約しているルームで話す事になったから。…いろいろありがと。』


「そう、」


私は誰にとでもなく呟いた。返信画面に変えて『了解しました。頑張って下さいね』ちょっと考えて、リンちゃんから貰ったデコ絵文字を付ける。

マリアは、これで決着をつけるのかしら。これで、あの子の心は軽くなるのかしら。ちゃんと「好きって、言える?マリア…」大事な所でいつも虚勢を張っちゃうから。そこが心配よ。でも、マリアはマリアなりに答えを見つけるわよね。きっと。
真っ赤な頭巾を被った少女がカゴにのせた手紙を運ぶのを見送って、私はメール画面を切り替えた。モバイルをスタンドに戻して、シャワーを浴びる準備を始める。今日は10時間勤務で、しかもコロシアムが入っていたから体がベトベトして気持ち悪いし、何より早くメイクを落としてすっきりしたいわ。

でも、トップスを袖から抜いた時部屋に備え付けの電話が鳴った。
決して人前には出れないチューブトップ姿のまま「はい、はい、はい。」受話器を取る。『ミス クラル・ノースドリッジ?』受話器の向こうから聞こえたのは、エントランスで毎日挨拶を交わす管理人さんの声。


「はい」
『よかった。もうお仕事は終わったのね。お疲れさま』
「……お疲れ様です。あの、」


時計に目をやって、彼女の言葉を促す。時間はもうすぐ21時。荷物が届く時間でもない。リンちゃんや、他の女性職員だったら直接部屋のインターフォンを鳴らすはずだから。何かしらって考えていた私は、「直ぐ、伺います!」受話器越しの彼女の言葉に声に殆ど叫びに近い声を上げた。



エレベーターボタンを叩いて、ボックスに乗る。エントランスを越えた地下2階のボタンを押す。パネルに、サロンと書かれた男女共用の社交フロアへ。着く迄の間に背後の鏡で軽く身だしなみを整える。シャワーを浴びるつもりだったから、トップスを脱いだ凄くラフな姿だったから、適当に引っ掴んで羽織ったパーカーのジップを上げた。あ、ボトムス、仕事用のショート丈のままだわ。せめてデニムに着替えれば良かった。しかも急いでいたから剥き出しの素足にサンダルで。ああ、もう!着替えに戻ろうかしら。でも、時間が。でも。考えているうちにもエレベータは目的の階に到着する。もう仕方ないわ。このまま行きましょう!振り返って、扉が開いたすぐ先に同じ研究室の職員が居た。


「あれ?クラル?何そのかっこう、…あ。」
「ちょっと、用事が。すみません。通ります」


何かを感づかれそうになったから取り繕って、入れ違いにフロアへ。
足早に廊下を抜ける。背後から、そっちじゃない。イーストエリア!って、エレベーターが閉まる前に指摘された。振り返ったら親指がグット・ラックって一瞬だけエールをくれて直ぐ引っ込んだ。ああ、もう。私は頭を下げて言われたエリアへ続く廊下を早足で抜ける。恥ずかしくて顔から火が出そう!





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