親友の恋人
「マリア、」
体を揺さぶられる感覚で、意識が浮上した。
「クラル…?」
目を開くと、直ぐ傍にクラルが。私は少し体を起こす。
「私、寝てたの?」
「そうみたいね」
クラルは笑って、お待たせしてごめんなさい。って言った。私は、ううん。って返して目を擦る。あくびをひとつ。
「……どの位寝てたのかしら?」
「さぁ…」
「…どの位、電話してた?」
「え?その……30分、ほど…」
クラルは少し言いにくそうに答えた。まぁ、昼間にしちゃ随分な長さよね。
てか、向こう長話するタイプに見えないのに。この2人って……どんな話するのかしら。
「そ、じゃ、私もその位ね」
好奇心を抑えて、ぐっと、天井に腕を伸ばしたまま背筋を伸ばす。
「お顔、洗って来たら?」
ベッドの端に立っていたクラルが腰を降ろして言う。ぎっと、マットレスが少し沈んだ。
「そうするわ」
私は入れ違いに立ち上がって、「あ、そうそう。そこに出てる服。あんたのだから。私が戻って来る迄に着てね」欠伸をかみ殺しながら、枕と重なっている服を指差した。きょとんとしているクラルが、それを取って、広げて、案の定「短く、ありません?」って眉を顰められたけれど。「いいじゃない。第一あんたが着てた服、シャワー浴びてる間にクリーニングに出しちゃったんだから。ま、今着せてるJUICY COUTUREのベアトップワンピのまま外に行けるって言うなら、話は別だけど。」ひらひらと手を振って、あ。と最後に一言。
「その場合は記念に写真撮らせて。あんたのダーリンに送るから」
「着替えます」
ほぼ即答だった。
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「ところで、マリア、」
「んー?なに?」
鏡に向かってアイライナーを引いていたら、後ろから控えめに呼ばれた。
あの後顔を洗って、戻って来たらクラルはもう着替えを済ませた所だったから私も手早く準備を始めた。
クローゼットからクラルと同じブランドのコンビネゾンとカットソーを出して着替えて、これも同じブランドの化粧品を顔に付ける。
クラルは胸のざっくり開いたレースニットに心なしか落ち着かない様で、時折気にしては「……チューブトップとか、お借りできませんか?」って聞いて来たけど、「そんなコーディネートは許さない」って一蹴しながらアイシャドウを目蓋に置いた。
だから、今もそのとこだと思ったの。
胸元が開き過ぎてる。とか、パンツの裾が短過ぎて似合わないんじゃないかしらとか。とにかく次言って来たら問答無用で写真撮って、マジで今のあんたの姿ココに送ってやろうかしらって目論んでいたのに。
「……あの、事なのだけど、」
全然、違った。
「…あの事?」
私は訳が分からない。「あの事って、どのこと?」ううん。本当はひとつだけ、思い当たってた。でも、違うって確信出来るから。だって、今のクラルは昨日の今日でそんな話をし出す子じゃないから。…昔なら有り得るけど。でも今は、そんなデリカシーの無い事、絶対しない。
鏡越しにクラルを見た。彼女の顔は、少し戸惑っていた。私と目が合うと、少し反らして、またこちらを見る。「なに?」私はアイライナーを置いて、ビューラーをポーチから引っ張り出した。「もう、はっきりしなさいよ」睫毛を挟んでカールさせる。
でも、気丈な言葉とは裏腹に手は小さく震えた。
クラルの、何かを考え倦ねている沈黙が怖かった。余り回転の良く無い私の頭が、くるくる動く。昨日の事、マンションに帰ってからのガールズトーク、起き抜けの会話、ぐるぐるぐる。マスカラを取って、睫毛に乗せる。ぐるぐるぐる。私がクラルにした会話。クラルが私にした会話。そして、そこから考える、クラルにそんな顔をさせてる事柄。
ううん。でも、そんなスタンダードな事じゃないわ。もっと、こう、私の良く知っているクラルを、変えちゃうだけの事。何があったかしら?私以外に、何が、
「……でん、わ」
私はマスカラのキャップを嵌めて、呟いた。
そうよ、電話よ。やたら長かった、ふたりの電話。
鏡の中のクラルは、的を突かれた様に息を飲んだ。「マリア、」小さく、私の名前を呼ぶ。あのね、と呟く。
「ココに、話した…?」
私は、マスカラをポーチに押し込んで聞いた。
「それはしてないわ。」
クラルは直ぐに否定した。でも、それは、って。なによ。それはって。
「けれど、」クラルが、「なんて、言ったらいいのかしら」珍しく混乱を露にしていた。
私は前髪を留めていたヘアクリップを外す。「だから、なによ、」ヘアスタイルを整えながら、喉が渇いていくのを感じた。
だって、あの子は、肝心な所を否定していない。一番否定して欲しかった、私の言葉を、否定しなかった。
「あんたと、ココとの間で、私の、何を…話してたの?」
グロスを乗せ忘れた唇が、小刻みに震えた。
堪らずに振り返った先で、クラルはベッドに腰掛けたまま黙っている。「クラル、」クラルは視線を泳がせて、「クラルってば」ようやく観念した様に口を開いた。濃い色をしたふたつの目が、私を見る。
「これだけは、信じて。私は、話してません。」
「うん」
真っ直ぐ、私を見る。大切な話をする時の、クラル。
私は頷いた。
「でも、ココさんは。」
「うん」
「ココさんは、恐らく、」
言い淀むクラル。一拍の呼吸。
「…ご存知の、ようです。」
「…なんでよ」
そんな事言いながら、内心は、やっぱり。って思った。でも、分かんない。いつ、'視られた'のよ。
「…はっきりとは仰いませんでしたけど。受難の相がどうとかで…」
「だから、なんで!?私最近はココに会ってない…」
「会ってますよ。」
クラルは「会ってる」言葉を繰り返して、困った様に笑った。「あの日、マリアはココさんに会っています」やっぱり覚えていないのね。って。困り顔で笑う。私は、「うそ、」って呟くしか無かった。
ココは、私達の部屋までクラルを迎えに来てくれたみたい。みたいっていうのは、つまりその、私は覚えていないのよ。
でも、会った事が問題なんじゃない。忘れてる事が重要なんじゃない。気がかりは、だって、その時は未だ、
「なにも、なかったじゃない」
そうよ。クラルの言葉が本当なら何もなかったのよ。あの時は未だ。サニーは迎えに来てないし、迎えに来ていないから、何も起こっていない。
でも、クラルは私のその疑問に当然の様に答えをくれた。「忘れたの?」マリア、って。そっと、諭す様に言う。
「ココさんが視るのはいつも、先の事でしょう」
私は、はっきりと思い出す。
「あの方は、的中率97パーセントの、占い師でもあるんですよ。」
「……そう、だったわね」
そうだったわ。クラルのダーリンとか美食屋四天王って肩書きで忘れかけてたけど、そうだったわ。ココは、そっちの方でも有名だったわ。昨日ちらりと思い出したばかりじゃない。
でも、待って。だったら、先に忠告してくれれば良いんじゃない!?視た時に教えてくれれば!こんな風に悩まずに済んだんじゃない!クラルの事だと直ぐ動くのに!ちょっとでも危険な相が見えると問答無用でクラルの仕事、そー言う時だけ四天王権力使って休ませるか在宅ワークにさせるくせに!!その親友はどうでも良いって事!?
「命に、関わる事じゃないからと。流してしまったみたいです」
「流さないでよ!」
「私もさっき知ったばかりなので…。ごめんなさい」
「クラルが謝る事じゃないわよ」
私は息を吐く。まぁ、話を聞くかぎりじゃ完璧に知ってるって訳じゃなさそうね。そこはスタンダードな占い師と一緒で、過程までは視れないって前に聞いたし。「それで?」「え?」立ち上がって、クラルの隣に腰掛けて、「…それだけじゃ、ないんでしょう?」足を組んで、腹を据えた。
「あんたが、わざわざ話題に上げたくらいなんだから…未だ続きがあるんでしょう?」
「マリア」
「言って頂戴。もう、怖い物なんて無いんだから」
半分本当で、半分嘘。本当はちょっぴり怖い。でも、私は、腹を括るわ。
その横で、クラルは少し考えて、言った。
「…もし、」
ココの口調を、真似て続ける。
「ふたりの手に余る様なら、僕も協力するから。」
「……それだけ?」
「黙ったままにしてたお詫びだよ。だ、そうですよ。」
「そ。」
なによ。相変わらず気障な奴。でも、ちょっとカッコいいじゃない。
「私。改めて、あんたが羨ましくなったわ」
「……え?マリア…えっと、その、」
「ちょっと!なんて顔すんのよ!取らないわよ!!てか人の物に興味ないわよ!」
それ以前に、あの男、あんたにベタ惚れなんだから!もう、もうちょっと自覚持ちなさいよ。あーあ。「サニーにもそのくらいの気遣いっていうか、甲斐性があればいいのに」毛先を弄りながら呟いた言葉に、横のクラルは少し目を瞬かせて、「そう、ですね」って。
なによ。なんでそんなに驚いてるのよ。
…私、なんかおかしな事言ったかしら?
「なに?」
「え?」
「まだ、なんかあるの?」
クラルは、何でもないわって言ったけど何でもないって顔してないわ。良いじゃない。もうこの際言っちゃいなさいよ。私がそう押すと、クラルはさっきよりも言いにくそうに、でも、って言って。それから。また黙って。
「黙ったままにされる方が居心地悪いわ。正直に言ってよ」
堪らずに私がそう促すと、小さく息を吐いて「、それじゃあ、マリアも、…正直に答えて」さっきよりも真剣な目で、言った。
「マリアは、サニーさんの事本当は、」
でも、私は後悔した。あ、聞かなきゃ良かったって。凄く凄く、後悔した。クラルの言葉が、目を逸す事の出来ない轍を私の心に落とす。
「…好きなのでは、ないですか?」
かみさまの、ばか。
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