コールの音
考えてみたら、何だかそっちの方が恐ろしい気がした。
下手したら私だけじゃなくて、サニーにも被害が及ぶわよね。
とっても魅力的な提案だし、凄くベストかもしれないけれど「…それは、遠慮しておくわ。」「そう?」「うん。最悪のケース迄取っておく」クラルは私がそう言うならって笑った。私はその笑顔で胸が痛んだから(だって少なくとも、クラルが正直になるチャンスを奪っちゃったんだもの)ごめんなさい。でも、ありがとう。って返した。(てか自分で言っといてなんだけど。最悪のケースって何かしら?)
けどね、御陰で腹が据わったわ。
「…電話、するわ。」
「え?」
「電話する」
「…今から?」
「うん。」
急激な私の変化にクラルはぽかんとした。なによ。あんたはもうなれっこでしょ。私はモバイルを取り出して時間を確認する。8時過ぎ。昼夜が逆転しただけのあの日の時間に、私は少し驚いた。でも、諦めたりしない。
「じゃあ、私は席を、」
クラルが腰を浮かせて一時退室しようとする。
「ううん。居て。」
私は、それを止めた。「そこに居て。」私一人だと上手く喋れない気がしたの。
「手、握ってて頂戴。」テーブルの開いているスペースに逆手を出して、クラルに差し出す。
立ち上がりかけてたクラルは「、分かりました。」居住まいを正して、両手でその手を包み込んでくれた。
頑張って。も、何も。この子は言わない。言わないのに、その行動がその目が、言葉よりもしっかりと伝えてくれる。『言葉でなく、行いで人を見ています。全身で人を受け入れて、全身で人に答えます。そのように、ありたいのです。』遠い昔にクラルが言った言葉。あんたは、相変わらずその通りに生きているのよね。
だから私も、ありがとうって言う代わりに手を握り返して、言葉でなく行いで証明してみせるわ。
リダイヤルを開く。私の過去が詰まったそこに、当然の様に名前がある。そうよね。だって、私達、最高の友達だった。
ボタンをひとつ押す。番号が表示される。世界に、数える程の人しか知らない、サニーに直接繋がる番号。だって私達、サイコーの友達だった。
何度も何度も掛けては、合う約束したり。愚痴に付き合わせたり。ファッションの相談したり、言い合いしたりした番号が、今は凄く怖い。
「マリア」
クラルがそっと、手を握ってくれた。
顔を上げたら、凄く不安そうな顔が見えた。
「なんて顔してるの。大丈夫よ…私は、マリア・ハートフルなんだから。」
「……しってるわ。みんなの、マリア様。」
そうよ。懐かしいわね。
私はその言葉に押されて、もう一度、ボタンを押した。
耳に押し当てた通話口から、電子音が響く迄、私は自分の心臓の音を初めて五月蝿いと思ったわ。
1コール。
2コール。
そして、3コール。
ひとつひとつの音が心臓に悪い。
4コール。
出て欲しい、でも、出て欲しく無い。
5コール。
いつも、このくらいに彼は電話を取ってくれた。めんどくさそうな声だったり、弾んだ声だったり。感情によって変わる声だったけど、私はいつも同じ事ばっかり言ってた。『あ、サニー?今暇でしょう?』
6コール。
此処に来て、ああ。そうね。彼が出ない可能性もあるんだわ。って、今更になって実感した。いつもなら彼が出ない時はここで私は切っていたのよね。ってぼんやり考える。あの時は、傷付いたりしなかったのにね。
7、コール。
「出ないかもしれないわ。」私は力無く、クラルに笑った。クラルは手を握ってくれている。何気なくそこを見たら、私の手が震えを耐える様にその子の手を掴んでた。
少しかけた、ジェルの指先。
あの日のまま、時間が止まった指。
「次も出なかったら、切ろうかしら」
電子音が繋がるひとつ前の隙間で呟いた。「マリア、」クラルの声が私を呼ぶ。だから、その顔止めて。鏡みたいじゃない。
8コール目が小さな機械の奥で響く。もう半分諦めたわ。彼は出ないのよ。今日は、忙しくて、私になんて構ってる暇は無いの。
モバイルを耳に当てたまま、小さく笑った。ああ。きっと最悪な笑い声よね。「…せめて、タイミングくらいあんたのダーリンに聞いとけば、」良かったわ。は、でも声にならなかった。コールが断線された音に、私は息を飲む。
「マリア?」
『……んだよ。』
クラルの声が遠くに聞こえた。
その代わり、五日ぶりに聞いたあいつの声は凄く耳に響いた。
私はびっくりして、クラルを見る。クラルは一瞬だけ訝しんで、でも直ぐに「サニー、さん?」って。小声で聞いて来た。私はただ、あかべこみたいにこくんって首を縦に動かす。ここが個室で良かったわ。
『…んだよ。黙りなら切るぞ。…まだ仕事中だし』
「え、あ。ちょ、ちょっと待って!」
ああ。声が上擦った。さいあく。
「えっと…、その。サニー、よね?」
『オレ以外この電話でねーし。いに頭ん中まで染まったか?』
「この髪は天然よ!」
あ。やっちゃった。これじゃあ普段通りじゃない。
そうじゃない。
そうじゃないのよ。
もっと、こう、シリアスなはずでしょう。
『で、んの用だよ。』
「えっと、その……」
でも、改めて向き合うとやっぱり言葉が上手く出ない。話す事、決めてたはずなのに。頭の中真っ白で上手く整理が出来ないのよ。どうしよう。どうしよう。何か話さなきゃ。
『用がねーなら切るぞ』
「待って!会いたい!」
あ。
色々順番、すっ飛ばしちゃった。
『………は?』
たっぷり時間を掛けて、電話の向こうのサニーがすっとこきょんな声を上げた。
目の前のクラルも、何言ってるのこの子…。って言わんばかりの顔で放心してた。
分かる。分かるわ。
私も自分が何言ったか、理解に苦しむもの。
出来る事なら時間を巻き戻したい。でも、言った言葉は戻らない。
『まえ、に?きなり…』
「あー。その、言葉の通りよ」
『とばって…。やっぱ頭ン中まで染めたろ?』
「だーかーら。これは天然よ!じゃなくて、」
私はぎゅっと、クラルの手を握って。
「この間の事よ」
向こうでサニーが息を呑む。
私は続けた。
「…きちんと、話がしたいのよ。だから、時間作って。」
言い切った。流石にもう、会いたい。なんて、彼氏にしか言った事無い台詞は使わなかったわ。すんごい恥ずかしいんだから。
サニーは黙っていた。私も、これ以上言う事は思いつかなかったから、黙って言葉を待つ。時間が凄く長く感じた。
さっきより、心臓の音が五月蝿い。
なんで私、サニーごときにこんなに振り回されて、って。そうだわ。身から出た錆だったわ。
サニーは、ほんとにだんまりだった。もうこれ以上は耐え切れなくて、こっちから話を切り出す。
「ちょっと、なんとか…いってよ」
『……おお。』
おおって、なによ。おお。って。
「ヤーかノーで答えて。」
『……おう。』
だから、おう。ってなによ。
私達はまた沈黙した。でも、それはさっきよりも短くて、先に声を出したのはサニーだった。
『マリア、』
一瞬、どきりとした。
「なによ」
『……わり。無理。』
サニーは、謝らなかった。ただ、会う事は出来ないって言った。
覚悟はしていたのに、想像したよりショックで、頭は真っ白。
「なんでよ……」
絞りだす様に出た声は震えていた。
前は、必ず時間作ってくれたじゃない。
馬鹿みたいに騒ぎ合って、遊んだじゃない。
「そんなに忙しいの?」
サニーはそれに答えない。ただ、わりぃ。って、言った。
今は会えね。って。
「今はって、何よ」
『にかく、無理』
「なによ、それ。サニーともあろう男が、つくしく無いわよ。」
『うるせー…』
「うるさくもなるわ!だって、だって、私未だきちんとあんたに謝ってないもの!ちゃんと話してよ!話しましょうよ!じゃないと私、私、」
気付いたら、声が張り上がった。クラルが小声で「マリア、」って辺りを伺ったけど私は叫び続ける。
『ちつけ、』
「どうやってよ!?だって、私、あんたと、」
『マリア、』
「あんたとは、最高の友達でいたいのに、こんなんじゃ、このまま、じゃ…」
『マリア。くんじゃねーし』
「…泣いてない。」
私は嘘付いた。
「うぬぼれないで」
向こうでサニーが溜息を付く。私は鼻を啜った。
『にも、』
「……なに?」
『…にも無かったって、言っただろ。』
「嘘。」
『…うそじゃねーし』
「うそ。今サニー嘘付いた。」
『おい、』
「何年友達やってると思ってるの?その位、分かるのよ。それに、」
自分の体の痕跡を言いかけて、止めた。
ただ、言いかけた事でサニーが動揺したのが分かったから、『まえ、記憶、』「…無いわ。」それは無いまま。『そっか』「うん」やっぱり、そう言う事なのね。正直者のサニー。
嘘が苦手な、サニー。
でも、だからこそ、そんな彼に、嘘を吐かせてる自分に腹が立つのよ。
なのに、サニーは嘘を吐き続ける。なんにも無かったって、こんな私に、嘘をくれる。
『……もう、まえ。忘れろ。』
「へ?」
『忘れろ』
「なに、言って、」
『オレも、まえの事、…サイコーのダチだと思ってる』
「サ、」
『から、忘れろ』
「そんな、事、」
無理よ。
「出来ない、わよ」
『マリア、』
「無かった事に出来ない。知ってるでしょ?私、そんなに器用じゃないのよ」
『じゃぁどうすんだ』
サニーは溜息を吐いた。
「分かんないわよ」
私は、テーブルを濡らした。
だってそんなの、私にだって分かんない。わかんないけど、嘘に甘えちゃうのは嫌なのよ。
だからあんたも本音で話して。私とあんたの間に、壁なんて作りたく無いの。
全部教えて、私も、素直になるから。(、素直?)
鼻を啜って、俯きっぱなしだった顔を上げた。クラルはずっと、私の手を握ってくれてる。(素直って、どう言う事?)
『マリア』
サニーの声。
ちょっと癖のある、聞き慣れた声。
私は黙って、先を待つ。
『わりぃけど、れ以上は話せねぇから』
「さ、に」
『にも無かったんだよ。から、もう、しまいな。』
「お終いって、そんな!それは嫌よ!」
『ちげーし!そー言う意味じゃねー!この話はしまいって事だ。』
「それも、未だ、解決してないわよ」
『…いけつなんてしねーよ』
聞き取れるか聞き取れないかの声で、サニーは呟いた。無意識に私はモバイルを耳に押し当てて、何?って聞き返す。でも、あいつは、何でも無い。って、また嘘吐いて。
『にかく、仕事の途中だから切んぞ』
「サニー、」
『じゃぁ。、そだ。まえ、今日は飲み過ぎんなよ。』
「今日は素面よ!」
『そ。んじゃ。……またな。』
そして、サニーは通話を切った。
耳の奥に残っていた最後の優しい嘘が無機質な音にかき消されていく。
あ、いま、終わったんだわ。
そう思った瞬間、私は酷い無気力感に襲われた。なによこれ。六日前のオマージュ?
「……マリア?」
「クラル、」
全然、笑えないわ。
「クラル、やっぱり、無理だったわ。話せないみたい、」
笑えない。笑えないわよ。
ヴォリュームを絞った音楽が個室に届く。ああ、このジャズ知ってる。前にサニーと行ったバーでも流れてた。あの頃は、こんな風になるなんて、想像もしなかったわよね。お互いに、ずっと楽しいままだって思ってた。
「マリア…」
「またね、だって。無理って、言った、くせに、」
私は、きつく握っていたクラルの手に縋って、安酒を煽った、あの日以上に泣いた。
とんだお笑い話よね。
彼氏に振られた、一週間も立たない内に、最高に気の合う友達まで失ったなんて。
ううん。……笑い話にも、ならないわ。
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