シミと喧嘩


あの日から5日経ったお昼頃、クラルから連絡があった。

電話で、簡潔に。パンケーキ・カフェの前に翌日の夕方の6時に会う約束をした。
電話口で話した事はそれだけだけど、会う理由は分かってる。

私は軽快になれない足でその場所に向かった。
待ち合わせのパンケーキ・カフェは学生時代によく二人で一緒に行ったお店。掌ぐらいのまあるいパンケーキが5枚も乗っかっているプレートにたっぷりとしたホイップクリームの山。とろりと掛けるソースは甘酸っぱいクランベリー、スイートなパインアップル、少し大人なブルーベリー。甘い甘いココナッツ。
それは、少女だった私達の胸を凄くドキドキさせた。


「マリア、」
「クラル、お疲れさま」


今は、別の意味で、胸がドキドキする。
私は、努めて普段通りに振る舞った。ひらひらと、手を振る。


「お疲れさま。……酷い顔よ」


クラルは、目を細めて言った。
私は途端に居心地が悪くなる。


「…ほっといて頂戴」


居たたまれなくって、顔を反らした。
あの電話で、全部きっと見透かされている。なんて考えて。


「話、ここでも大丈夫かしら?」


クラルは、パンケーキ・カフェを指差した。かつて、食べ切れないと笑いながら二人でひとつのプレートを半分こした場所。
南国のイメージで立てられた可愛いお店。カフェの外装は変わっていない。食欲をそそるパンケーキの香りも昔のまま。違うのは、私達がもう、薔薇色の頬をした少女じゃないって事。

変わらない空間は、思い通りの女になれなかった少女を酷く惨めにするみたい。
扉を潜ると、きっとあの頃の私が居る。

制服に身を包んで、大人に憧れていた私が。


「別の、場所がいいわ」
「そう」


会いたく無い。


「じゃあ、マリアの相応しい場所に連れて行って下さいな」
「は?」


クラルは、あっけらかんと笑った。私はその笑顔で、肩の力が抜けるのを感じた。
流石、四天王ココの女。毒気を抜くのはお得意みたい。







私は少し悩んで、それじゃぁ、と。タクシーを拾った。30分かけて正反対の方向へ向かう。
車内で、少し話をした。私の大学の事、アルバイト先の上司の事。クラルは何時もと変わらない声とテンポで相槌を打ってくれた。そして時折、何時もみたいに仕事の話をする。
その普遍性。この居心地の良さ。目の前に居るのは私の良く知っている親友だと言う事実に胸が熱くなる。
私の不実に、何処迄気付いているのよ。なんて、勘ぐろうとしていた自分が馬鹿みたいで。目的のアクアリウム・ダイニングに着く頃にはもうすっかり、クラルには正直になろうと思った。



「クラル、あのね。その、ね」

それでも。小さな個室の中で私は言い淀む。掘りごたつ式の座敷で、テーブルを挟んだ扉側にクラル。夜景を一望出来る窓硝子側に私は座った。両隣に他の客は居ない。
ヴォリュームを抑えた音楽だけが聞こえる。目の前にはお通しとよく冷えたジャスミンティー。料理のオーダーは先延ばしにした。
邪魔が入る訳ないと知っているのに、分かっているのに、何故だか言葉がまとまんない。


「話してないわ」


クラルが、ウーロン茶を一口飲んで言った。


「誰にも、話してません」
「誰にもっ、て」


私は一瞬困惑する。それから、あの事だって気付いた。誰、にも?勘違いじゃない事を祈って、私は言葉を反芻した。誰にも。と、クラルはグラスを置いて続ける。


「マリアの御陰ですよ。初めてココさんに隠し事をしてしまいました」
「クラル、」
「だから、教えて下さい。…何があったの?」


何がって。そりゃ、そりゃぁ。
私は、その言葉を待っていたのね。真っ直ぐに私を見て、全身で聞くクラル。
テンポのいい声。私は、「あんまり、覚えていないのよ。でもね、」包み隠さず話した。クラルは、最初から最後迄、クラルのままで聞いてくれた。





「……困りましたね」

お話が終わるとクラルはぽつりと呟いた。話終えたら喉が凄く乾いたから、私は雫まみれのグラスに指を絡めてジャスミンティーを飲む。
びしょびしょに濡れた指先を見て、クラルはハンカチを差し出してくれた。「それ、使って。グラスに巻いたら、濡れないから」私は「ありがとう」その通りにした。

でも不思議ね。
あんなに悩んでいた事。親友に相談したら少しは楽になれるかもって淡い思いを抱いていたのに。

そうじゃなかった。

寧ろ、一層現実を突きつけてくれたわ。
事態は、私が思って居たよりずっと深刻なんだって。

クラルは恋人に初めて嘘を吐いた。
何も知らないリンちゃんは少し不思議がっているみたいで、連絡を待っている。(クラル曰く、もしかしたら口には出さないだけで何かあったんじゃって気付いているのかもしれないって)

そして、サニーはあの日以来、ハントに没頭していて、帰っていない。


正しく廻っていた歯車が軋んでいる。

私のせいだ。私のせい。口に出すと薄っぺらになりそうだから代わりに溜息を吐いた。


「…謝った方がいいわよね」
「どうやって?」


クラルはたまにものすごく容赦無い。


「どうやってって…」
「サニーさん、いまどちらに居るか分からないんですよ?」
「そうだけど、」
「それに、電話出来る?」
「それは、」


想像して、閉口した。
少しの沈黙の後、


「そもそも、マリアは…どうしたいの?」


クラルが言った。


「どうって…」


私は言い淀む。


「マリア、正直に言わせて。私は、謝って済むなんて思えません。今、話を聞いていて凄くショックを受けたわ。電話口でサニーさんの声を聞いたよりずっと。どうしてだか分かる?」


声が、微かに怒気を含んでた。


「……言って頂戴」


私はハンカチを巻いたコップを手に、言葉を待つしか無い。

クラルは体を乗り出した。強い、オリエントの目が私を真っ直ぐ見ていた。


「私の想像はね、もっとずっと幸せだと思って居たの」


へ?どう言うことよ?私はぽかんって瞬きを繰り返した。


「電話でね。声を聞いたときショックだったのは…二人が、付き合い始めたと思ったから」
「はぁ!?」
「マリア。声が大き、」
「大きくもなるわよ!だって、そんな勘違い…何で!どうして!?」
「だって、マリアの後ろから声が聞こえたんだもの」
「だからって」
「ショックだった」
「なんでよ!?」
「分からないわ」


クラルは口を尖らせた。「わからない」クラルは、悲しそうに笑った。


「…なんで、そんな事、」


雰囲気に飲まれて、声が小さくなる。クラルは、なんでかしら。って頬杖を突く。
それから私をじっと見て


「でも、兎に角そう言う事よ」
「意味が、分からないわよ」
「私にも分かりません」
「なによ、それ」
「なにかしら」


ウーロン茶を一口飲む。


「でも、違ったのよね」


静かな声でクラルは言った。
私はバツが悪くって、ジャスミンティーを流し込んだ。止めてクラル。そんな顔しないで。めちゃくちゃ居たたまれないじゃない。


「結果的に。そっちの方が凄くショックでした」
「ごめん。」
「私に謝っても仕方ないでしょう?」
「そう、だけど、」
「取り敢えず、もう飲み過ぎないで」
「うん。懲りてる」
「そうじゃなきゃ、困ります」


分かってる。分かってるわ。取り返しのつかない事をしちゃったって事くらい。
もう、記憶が飛ぶなら飛ぶで、全部飛んでくれた方がどんなに良かったか!
変に痕跡だけ残さないで。素知らぬ顔さえ、出来やしない。


「それで、」


グラスの中身を飲み干しながらクラルは言った。


「本題」
「本題?」


コースターにグラスを置いた。


「マリアには、ふたつの選択があるでしょう?」


人差し指と中指を立てる。見かけはピースだけど、それは本来の意味じゃない。
もっとヘヴィ。


「ふたつ?」
「ひとつは、さっきマリアが言っていたのと似てるわ。きちんと話し合うの。一方通行になるかもしれないし、またはぐらかされるかもしれない」
「うん」
「ふたつめは、このまま。何事も無かったんだって、時間が流れるのを待つの。多少の蟠りが残るかもしれないけれど、表面上は今まで通りになれるわ。けれど、たっぷりとした時間が必要になるでしょうね。今はきっとあちらから連絡が来る事なんて先ず、有り得ませんから」
「言い切るのね」
「でも、事実でしょう」
「そうね…」


サニーの性格を思い出して、納得した。確かに一理所かものすごく説得力があるわ。彼の美学からしたら、この間の私の一言は汚点以外何者でもないわよね。でも、


「それは嫌だわ」


私にだって、譲れないものがあのよ。


「それだけはいけないの。そんな事したら、私、ずっと自分を許せない」


今更何をって思われたって良いわよ。でも、これはけじめなの。誰かを傷付けたのに、その許しに甘えて償いさえしないなんて、ぜったいにいけない事だわ。
一度でもそんな事したら、きっと自分しか愛せない人間になっちゃう。

パパや、ママみたいに。


「それだけは駄目よ!」


後は、殆ど叫んでいた。でも、クラルは何も言わずにただこう言ったの。


「それじゃあ、マリアはきちんと向き合うのね」



それは、凄く優しい声だった。


「マリアならそう言うと思った」
「なにそれ。カマかけたって言うの?」
「そんな事しないわ。現実的な話をしただけです」
「このリアリスト」
「はいはい」


クラルの笑った声に、今日初めて、ううんあの日から初めて、心からほっとした。
でもそうよね。夢や空想に逃げていたって、時間は進んでいく。待ってくれないなら戻って来る事も有り得ないんだから。どうしようも無い事は、きちんと向き合っていかなくちゃいけないんだわ。


「取り敢えず、」
「何?」
「何か食事を頼みません?お腹空きました」
「…あんたって相変わらずよね」
「マリアは?食べないの?」
「食べるわよ」
「それでは。あ。お料理が来たら、サニーさんに電話しましょうか」
「え!?ちょっと!さっきの今で!?」
「シミと喧嘩は後に伸ばしても良い事有りませんよ」


まってまってまって!そうかもしれないけれど!!


「こういう事は電話じゃ駄目よ!何より、喧嘩じゃないのよ!?」


私は必死に説明して、そうしてこの日はとことんこの先を話し合う事に決めた。





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