03

 遠い昔に、誰かが語り残した。その硬い甲羅は甘いチョコレートで体は芳醇なグミの亀、ショコラビートルの存在。灼熱の砂漠の中を縦横無尽に泳ぎ回る、天然の炙り魚、グリルマグロの所在。
 グルメ戦争の終結から幾世紀、グルメ時代と称される現代において誰もが願った。その全てを賞味したい。未知や未開を、開拓したい。
 願う人が居れば、その思いを叶えようとする人たちも居る。願いが独占されない様に、平等に、分配され或は、還元される様に。
 それが国際グルメ機構。IGO。多くの国が加盟する国際企業は、終戦の要人、アカシア様の一番弟子でいらっしゃる一龍様を筆頭に機能する、食の流通から治安、慈善事業を手がけている。
 私は、そちらの末端研究員。所属は遺伝子工学研究室および、コロシアムにて勤務する猛獣調教師見習い。猛獣使いであるリン様の、サポーター。

 初めてお会いした日から、ひと月が経った。
 研究室での動き方にも地下階の匂いにも、少し、慣れて来た。


「はい、いい子ですね」


 今日の最終業務は、乳離れが済んだばかりのジェムクオッカワラビー達の体液採取。目的は健康状態の確認。採取した物は遠心分離機に掛けられて別チームの方達により、検査される。
 バスケットの中で思い思いに過ごす彼等の最後の一匹を抱き上げる。やっぱりその子も大人しくて、私の膝の上で楽しそうにしている。(その表情に、感情的な要素は無いと分かっているけれどニコニコとした顔立ちは、こちらの気持ち迄明るくさせる)ふにふにの腕の中には、名前の由来と鳴った甘い、ジェル状の体液が詰まっている。


「後、少しですからね」


 指した針の真空管が満たされる時に、それを抜いて、代わりにGPSチップをセットする。カッチ、と、体内に侵入させる。ジェムクオッカワラビーの子供は、何をされているか分からないと言わんばかりに、私をにこにこ見上げる。


「おしまいです。よく、頑張りましたね」


 膝から下ろした途端、すくっと小さな股下で立ち上がったその子に、腰のポーチからご褒美の小麦菓子を渡した。ぱあっと明るい顔になった小さな子は直ぐにビスケットを受け取って、口に頬張る。さくさくさく。リズミカルに咀嚼する。
 IGOが開発した軟体体質ほ乳類科専用のチャイルドフードは、この子達にはまたとないおやつみたい。(研修で賞味してみたけれど、人の味覚では何の味もしない簡素なものだった)
 幼体への餌付けは、調教の基本、だったかしら。
 人の命令に従った後は良い事が有ると、教える為の工程と、初日に行われた座学講習で言いつけられた。その時に、調教師の体臭を覚えさせるのも大切、とも。私は、その子の大きな鼻先を指で撫でる。先ずは、比較的安全性の高い子から取得していくのがセオリーとも。


「欠片、ついていらっしゃいますよ」


 小さなビスケット粒が指先に落ちて来る。それもその子は、ふんふんふん、とお鼻を引くつかせて、わっと嬉しそうな顔をして、私の指先を嘗める。これおいしいね!なんて言わんばかりに、目を輝かせる。ぽて、と、音が出るんじゃないかしらと言う動きで、私の膝にくっついて、きらきらの目で見上げて来る。その行動はいかにも、もっとたべる!と、言わんばかり。


「あら……」


 少し硬い毛の心地。奥から感じるふにふにの感触。可愛すぎて、もう一枚差し上げたくなる。……駄目、かしら。


「ご褒美は、一枚迄だしー」


 心情を見透かしたとしか思えない声に、私は後ろを振り返った。


「リン様……」


 名前を呼ぶと、白衣を羽織ったその方は盛大に眉を潜める。


「やっぱ、ここでも様、止めない?」
「そう仰られても……他の方の手前、職場で、カジュアルにとはいきませんよ」
「クラル、まじで真面目過ぎだしー」
 

 腰に手を充てて溜め息を吐いて見せたリンさんに、思わず苦笑が漏れる。



 あの日、つまり初めて言葉を交わし合った日。私と彼女は退勤後直ぐに連絡先を交換した。買ったばかりのモバイルの操作に少し戸惑う私を揶揄って、更にこちらの緊張を緩めて下さった彼女はその日、更衣室迄ご一緒して、その後お夕飯も伴った。
 場所はIGO内に有る職員専用のカフェテリア。大きな窓ガラスが夜を移すその場所で、お互いの話を少しした。その過程で、彼女から、呼び方についての指導が入った。


「同い年でしょー。様付けとかかたっくるしーし」


 これが、彼女の主張。


「そう、仰られましても……。リン様は、私の上長に、当たる訳ですし」


 そして、私の主張。


「それに、IGO秘蔵の方を一介の職員が気安く御呼びするなんて無礼、私にはとても、」
「そういうの、いーから」


 フォークを握った拳をだんっと、テーブルに置いて、彼女は私を睨み据えた。
 リンさんは、彼女曰く男所帯でお育ちになったせいか、私が今迄見知っている女性の方に比べて確かに男勝りで……いえ、そうでもないかしら。ひとり、スクールバックを同級生へ投げて反省文を沢山書かされた子が居たわ。私の、ルームメイトだった子。もしかして、私、そう言った素直な方と縁深いのかしら、


「クラル、きーてるし?」
「あら、」
「あら、じゃねーし」
「申し訳ございません……少し、考え事をしてしまいまして」


 嫌だ、ぼんやりしていたわ。取り繕って、スリーブに収まったカップを持ち上げ、ふふっと笑った。中には少し前にリンさんとご一緒にテイクアウトしたティーラテが入っている。一口、含む。
 リンさんは、少し肩を落として、もう、と仰って続けた。


「そう言う、畏まったものいらないし」


 ――来た。私は、僅かに身構えた。


「どのような、意味でしょうか……?」


 想像は、勿論、付いていた。けれどそう聞かざる得なくて、そっとカップを卓上に戻す。リンさんは、意外な事聞かれたとばかりに口を開ける。


「敬語、タメって言ったし。だからタメ口で良いし……」


 そして、言い淀んだ。私をご覧に成ったまま、その青色の綺麗な瞳をほんの少し、瞬かせた。眉間に僅か、皺を寄せていらっしゃったから、私、きっと、その顔を引き出してしまう表情を見せてしまった事には少し、寂寞としてでも、ああ、やっぱり。と、心の中で呟いた。
 言葉では、こう申し上げた。


「申し訳ございませんが、こちらは……もう、癖のようなものでして」
「癖って、」
「はい」
「友達、にも?」
「……はい」


 それには僅かに逡巡をしてしまったけれど、私はそっと、彼女へ伝えた。


「ご不快を抱かせたのなら、申し訳ございません。けれど、こちらの口調が、私にとって最も扱いやすい物ですから」


 なるべく、警戒心を感じさせないよう、注意を配りながら、


「どうか、お許しを頂けませんか?」


 彼女は、少し、私を見詰めていた。それから、握っていたフォークをお皿において、気持ち下を向きつつ頭を掻いた。私も、そっと、俯いた。
 まただわ。と、思った。皆さん同じ事を仰る。もっと砕けて良い、とか、堅苦しいのはなしにしよう。とか、私、そんなつもりでお話ししていませんのに、或る人に関しては心理学を引き合いに出されて、起因を勝手に私の過去を結びつけて、私、本当にそんなつもり、ありませんのに。女性でも、男性でも、ほんの少しお話が弾んで来ると皆さん、全員。そして私の主張を頑過ぎると仰って、やがて――ああ、でも、あの子は違ったわ。それでも良いわ。と初めから、言って下さった。あの子だけ……いえ、もうひとり、いらした。
 ほんの少しの関わりでしたけれど、あの様な方、初めてだったわ。とても紳士的で、今迄お会いした人と違ってこの口調をお咎めになる事も、かといって距離を置くこともまして、関係を急きたがる強引な方でもなかった。とても、居心地の良い、方だった。


「分かったし」


 彼の、名前が私の脳裏を掠めた頃、リンさんが声を上げた。私は、首を自然と傾げたと思う。


「リン様?」


 お名前を呼べば、彼女は私を見て、少し照れくさそうに胸を張った。


「うちも、この口調よく咎められるけど、直すとか出来ないし。クラルもそう言う事なんでしょ? じゃあ、別に良いし。畏まって無理してないなら、気にしないし」


 自然と、息を吸い込んだ。胸の当りが少し、暖かくなった気がして、指の先迄意識が染み渡った。私は、感動を覚えていたの、くっきりと。呼吸をすると、背中が熱かった。
 彼女が、人懐っこい笑顔で笑う。


「でも、様付けは……誰にでもしてる訳じゃないなら止めて欲しーかなー」


 私は、それに思わず、吹き出して笑ってしまった。ふふっと、喉を震わせた。だって、そう言うのって、ずるい。


「確かに、それだけは癖ではありませんね」
「でしょー、だからさー、止めよーし、様付け、マジくすぐったいんだよねえ」
「そうですね……」


 少し身を乗り出して来た彼女に、私は少し考えたそぶりを見せてこう、御呼びした。


「リンさん」


 彼女が、ん?と言う顔をなさった。それさえも今の私には何だかおかしくて、忍び笑いを止められない。


「職場では、難しいでしょうがこうして、一歩離れたときはそう、お呼びしても宜しいでしょうか」
「や、宜しいでしょうか……って、それ、変わったし?」
「はい。大いなる一歩を踏み出させて頂きました」

 眉間に皺を寄せる彼女へ、私は少し、おどけて見せる。

「こちら、会長のお耳に入って、不敬罪を言い渡されたらと思うと、私、気が気ではありません」
「不敬罪って、今時……つーか久々に聞いたし」


 何それ。っと仰ったリンさん。まあ、しょーがねーし。と、納得して下さった彼女に、私は心からの礼を述べた。嬉しくて、自然笑い合う声も滑らかになった。

 だからかしら、私はその日、自室で懐かしい方を思い出していた。冷蔵庫から、昨日買ったザクロのスパークリングドリンクをコップに注いで、本棚から一冊、大きな美術書を引き抜く。手にずっしりと重いハードカバーだから直ぐに、膝の上に置いた。かつて花の都と歌われた帝国の絵画が印刷されている、文芸復興時代の書籍。それは、いつかのわ別れ際にその方が私に、選別だよ。と、手渡して下さったもの。
 そっと、表紙を撫でて呟く。


「今年のクリスマスカードは、何をお送りしようかしら」


 図案を考えて、ザクロの酸味を飲み込んだあの時間を思い出す。

 心を、今に戻して、まだ足にしがみついていると言うよりも、そのまま落ち着いてしまった子をそっと抱き上げた。ふわふわで、ふにふにな、マシュマロみたいな体に、獣らしい硬い毛質。嬉しそうなお顔が私を見上げて手を伸ばす。思わず、ふふっと笑う。リンさんが、肩を落としつつ、めっちゃ懐かれてるし。と、笑う。


「ま、早くゲージ戻して夕飯食べ行こー。お腹すいたし」
「はい。かしこまりましたリン様、ご一緒いたします」
「うわー。やっぱくすぐったいしー!」


 私も、笑う。
 それにしてもリンさんは少しあの方と――ココさんと、似ていらっしゃる気がするわ。会話の選びや雰囲気さえも、違うのに。なぜ、かしら。


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