01

 ヘリが、ヘリポートへたどり着く。耳に当てるよう言われたヘッドフォンから聞こえたアナウンスが、機内に居る私たちに到着の合図、そして、ベルトを外すよう仰った。
 不意に、横に座っていた方に腕をつつかれた。なにかしらと思って腕の方向へ視線をやると、目の前に出されたモバイルフォンに、緊張するね。と、書かれていた。私も同じように、モバイルに書き込んで画面を見せる『はい。とても』彼女と笑った。
 ガコン。大きな音と一緒に、室内に光が入る。眩しさに自然、目が細まる。


「入り口近くの方から出て下さい。出た方から、所長の前へ」


 あら、ヨハネスさん。見知った方の顔(彼は、私の親友の叔父のお一人)が現れて、私は少し会釈する。会釈の代わりにサングラスで挨拶を返されて、言われるまま、外に出た。
 始めに感じたのは、驚くほど強い風。振り返れば安全の為にヘリのファンはもう止まっていたから、これはきっと海風かしら。(いつかに見た、ドラマを思い出してちょっと、身ぶるい)強い巻き上がりに髪や衣服の裾が横に引っ張られる。まとめてこれば良かったわ。もう手遅れだから代わりに、自分の手でサイドに纏めた。
 そして次に感じとったのは開けた視界。前方を海に、後方を山岳にと挟まれた雄大な景観。やがて、地響くように聞こえた、笑い声。


「いやーっ!新入社員諸君!よく来た!ようこそ第一ビオトープへ!」


 声に誘われて目をやれば、驚くほど大きくて、筋骨隆々な男性が後ろに数名の職員を控えさせてがははと笑っていた。

 その、横には私と年の近そうな黒髪の女の子が、呆れた顔でその方を見上げていた。背後に居る職員達はスーツに白衣を召して、ID証を下げているのに彼女だけは鮮やかな赤い服を、腰に緑のベルトを巻いて立っている。彼のご息女かしら。短い黒髪に大きな青い瞳が素敵な子。そう思った。

 それから少し後。それほど多くない新規配属職員達――つまり、私たち――が全員彼らの目の前に揃った頃。彼は私たちを見渡して声を上げた。


「ワシは所長のマンサム!横に居るのはリンだ!」
「よろしくだしー」


 私たちの緊張とは対局に、のんびりと伸びる明るい声量。やっぱり所長の、お子さんなのかしら。部下の方と思うには彼女はあまりにも開け透けていて緊張を感じさせなかった。そして恐らく、誰もがそう思っていた事を見透かした様に、彼は続けた。


「この子は年こそ若いがIGO育ちの猛獣使いだ。諸君ら中にも関わる奴がいるだろう。まあ、詳しい話はそれぞれの上司から聞いてくれ!」


 少し驚いて彼女を見た。IGO施設で教育されるのは本当に一握りの、優秀な子供だけ。(それも最近は、提携の孤児院に預けられるだけで施設内で養育されるのは、四天王以降居ないと、人づてに聞いた事があったわ)真っ黒で短い髪の女の子。年はもしかしたら私と同じくらいかしら……あらでも、あまりご覧するのは失礼だわ。そっと目線を外す。
 所長が私たちに向かって簡単な挨拶、今後の研修、そして寮室への案内や規定についてざっくばらんにお話し下さった。きちんと耳を傾けていたけれど何だか、彼女が気になってしまってもう一度目線を遣った。あら。
 彼女も、私を見ていた。一瞬怪訝そうな様子を見せていらしたと思って居たのに彼女は、視線が合うととても驚いた顔をした。


 それから所長の一声で、私たちはそれぞれ事前に予告されていた研究室の室長という方の前へ歩み寄った。私は、遺伝子工学研究所。この為に書き上げていた論文の評価は頂けたとしても私には、きちんとした称号はない。ただ2年の専門プログラムと独自研究で培った知識だけでは彼らの足元にも及ばないのは分かっているからきっと、私が行う業務は、研究補助員だと何となく理解していた。だって、私は、奨学制度の制約で、IGOへの就労義務を架せられた一人だったから。もっと末端の部門だと思っていただけ、初めはとても驚いた。専修のプロフェッサーも、この告知を私へ伝えて下さる時とても、如何とも言い難いお顔だったから彼にとっても予想外だったのかもしれない。或いは、私の境遇を考慮された物と気付いたのか、どちらか。


 だから、室長について館内を案内され、最後に伝えられた事はある程度の想定内だった。


「コロシアム、ですか……?」


 私の鸚鵡返しに、中年くらいの室長は、そうそう。と、カジュアルに答えた。デスクに腰掛けキャビネットから何かを探し出そうとしている。

 必要最低限の整頓しかしていないようで、学会の出席連絡と書かれた一枚がひらりと床に落ちる。屈んで拾い上げた。彼は簡素な礼の後、そこ置いといて。と言ってすぐ、あったあった。と、白いテープで製本されただけの書類を、これ。と、私に差し出す。私はそこに書かれていた文字を読み上げた。


「就労、契約書…?あの、こちらでしたら既にサインをして提出をしたはずですが」


 訝しんでいると、それとまた違うんだよねー。と、室長が足を組む。それなら、こちらは…中、見ても良いのかしら?戸惑いつつ彼を見たら、それクラル君のだから。と、促された。
 製本された表紙には既にIGOの押し印が、中の記名欄にも責任者のサインが走っていた。少し戻ってざっと目を通す。


「……コロシアム勤務所員のアソシエイト業務に関する誓約書、ですね」


 甲は、私として文面がすすんでいた。乙は、IGOが定めた規定の職員と曖昧に表現されている。条数は凡そ、20ほど。


「こちらは先ほど、屋上でマンサム所長が仰っていた件とお取りして、よろしいでしょうか?」


 内容は、勤務時間。残業の事、休暇、危険性。それに関して異議を申し立てない事への承諾を促す文面。業務内容。その中の位置項目に、私は目を留めた。その文面のまま、口にする。


「……猛獣、調教師への育成を見据えた…。あの、こちらは…?」
「ああ、そうそう」


 室長が、笑って続ける。
 遺伝子工学研究チームは、主に現存の猛獣の人工交配或は、合成獣の生成を行っている事。目的は、食品獣ならばより味を栄養素を深め、それ以外であれば捕獲レベルはそのままに、より人に懐きやすく命令を聞きやすく。目的に沿ったモンスターの生成。


「後者は君の研究論文の主旨でもあったから、そこの説明は不要だよねー」


 彼は、続けた。


「その他に幾つかチーム分けしててね、遺伝子ノックインダウンを繰り返すだけじゃなくて、絶命種を再生させたりもしてるんだー。時には再生屋と共同研究をしたりね」


 そちらまで話が進んだ所で、「これは、まあおいおい」両手を広げ更に続ける。


 その中でねー、どうしても猛獣をいなす役割が必要になって来る。けれど、研究所は、私もそうだけれどその殆どがデスクワーク選任者。運動能力とは無縁の人種ばっかり。でもそれじゃあ困る。外部委託ばっかりに頼るのもねー…。そこで、クラル君の仕事が生きてくるんだよねー。あ! 安心して、君の他にも後2名、他のチームから配属されるはずだから。就労義務の間みんなと、リン様の傍で色々学んでおいでよ。あ、勿論こっちの研究も兼務してもらうから、他の人より多忙になるかもだけど、ここ、組合が怖いから、コンプライアンスは安心していいよ。それに関する年棒は最後に記載されてるよー。クラル君奨学金は返済金ある? それとも全額免除の子? あ、規定有り免除? そっか……でもそれなら、全額免除には違いないね。だったら凄いよー。ここに缶詰だったら使い道無いけどねー。でも若いうちにお金の使い方を実践できる良い機会だと思って、休日は外に出るのお勧めするよー。うちの会社、パスポートさえあればどの国でも行けるからいいよー。て、また話脱線したなあ、私。

 言われて、一番最後のページに目を通した。私は、一年目にしては桁数がおかしい数字に、動揺しかけた心をなんとか押し止めて、ひと呼吸置いた。
 こちらは、業務命令。ああでも、私はそれでも良かった。猛獣調教師は、子供の頃憧れた職業で、その職に関わりたくて私は、この奨学制度を希望したのだもの。……こんなに早く好機が訪れるなんて、予想外でしたけれど。


「恐れながら、室長。一つ、確認させていただきたいのですが」


 薄い紙の表紙を一度撫でて、彼に向き合う。私は、彼の、どうぞ、の一言を待ってから、


「――コロシアムとは、どのような部署でしょうか?」


 名称で、或る程度の想像がついてはいた。きっと、核戦争以前に存在したと言われている古代の国の闘技場を準えた何かなのでしょう。けれど、想像は出来ても、それが職務である以上独りよがりな結論なんて出せない。
 私の問いに室長が、あーーーそっかーそこからだ。と、続けて、んー。と、唸った後に、ちょっと待ってて。と、椅子から立ち上がって、ウォールキャビネットへ向う。


「どこだったかなあ。確かあったんだよねえ……」


 唸りながら戸棚を開けて、そして偶然傍を通りかかった女性所員を呼び止めた。


「ねえあれどこだっけ?」
「……あれって、なんですか?」
「ほらー、リン様がいる所の、資料があった筈でさー」
「……ああ。それなら」


 少し後、二人掛かりで見つけたパンフレットを手渡された。タイトルは、コロシアムについて。そのまんま。

 室長が、それに書いてあるから目を通して。あ、契約書は今日の17時迄に提出だからよろしくね。場所は第3事務室だよー。と、私へ向ってにこにこと音が聞こえそうな笑顔を見せる。


「……はい。承知、致しました」


 その後は一緒に資料を探して下さった女性所員(彼女は研究員でなく、室長の専属アソシエイトの方だった。デスク、凄い有様でしょう。でもね、彼の中ではあれで整然としてるんですって。怪しいわよね。でも、勝手に触ると怒るの。研究者って訳わかんないわね。と、困った様に見えて嬉しそうな口元で、教えて下さった。)に付いて、様々な設備の見学をした。最新の電子顕微鏡はナノミクロンの先の世界まで見える事、塩基配列の転写や翻訳に必要な機器も何もかも全てが一級品。それだけでなく、コンピュータ演算が行える所謂、イン・シリコの機材まで。
 思わず目を輝かせてしまった私に、貴女も研究者なのねえ。と、彼女は嬉しそうに肩を竦ませた。

 書類は時間迄に、所定の場所に提出を行った。窓口に渡した時女性に少し、憐憫の目を向けられた事にその時の私は、ただ、首を傾げただけだった。


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