Negotiation



 耳が痒い。

 呟いた瞬間、横に居たなまえが動いた。手にしていたティーカップを目の前のテーブルに置いて僕が腰を上げるより先に立ち上がる。

「耳かき、お取りしますね」

 ああ、気が利くな。テレビ台の辺りへと向かうなまえの背中を眺めながら、僕は言う。

「有り難う。でもそっちじゃなくて、救急箱の中だよ」

 きっとなまえの部屋に有る耳かきは、テレビ台の近くに仕舞ってあるんだろうな。と、思いながら、さて、自分で取るかと腰を浮かせる。

「救急箱ですね? あら、ココさんはそのままでお待ち下さい。お取りしますから」
「あ、ああ」

 なまえが僕の横を擦り抜けて、ダイニングの食器棚に向う。身体から、心無しか嬉しそうな、浮き足立った電磁波が流れている。棚を開く音と一緒に、「ロケス・ピラトス・ゾートアスー……」無くしものを探すおまじないが微かに聞こえる。まるで歌っているみたいだ。(余談だが、彼女のおまじないレパートリーは多い。どこで覚えて来たのかと言う類いの物迄あるのは、学生時代の環境が大きいだろう)
 それにしても……と、僕は首を傾げる。
 どうして彼女が嬉しそうなのか、良く分からない。それにしても耳が痒い。

「見つからないかい?」

 ソファに座ったまま、声をかける。

「大丈夫です」

 なまえの声だけが返って来る。

「トリタス、クリタサニートス」

 呟きもかえって来る。無くした訳じゃないのにな。そうと気付いて、忍笑いを零す。
 僕はむず痒さから耳に小指を差し込んだ。でも、修行で散々酷使した指は太くて肝心の場所には届かないから諦めて、なまえを待つ。

「あら。皆さん、ありがとうございます」

 ダイニングから聞こえた感謝の言葉は、おまじまいとセットだ。ロケス・ピラトス・ゾトアス・トリタスにクリタサニトス。探し物を一緒に見つけてくれると言う、小人達の名前。唱えてそれが見つかったならきちんとお礼を言わなくてはいけない。さもないと、今度は探し物を隠す立場になってしまうらしい。

「はい、ココさん」

 戻って来たなまえが、僕に優しく微笑んだ。
 僕の隣にもう一度腰を降ろしたなまえは、手に耳かきと、ペンライトを持っている。僕に向って優しく、差し出してくれた。

「どうぞ」
「いや、どうぞって……」

 その、ソファに座って、きちんと揃えた、膝の上を。
 うわー。待て、待って。これってあれかい?もしかしてっつーかもしかしなくても、良く、ドラマのカップルや夫婦がしてる

「耳かき、私得意ですよ」

 ビンゴだ。と、思ったと同時に口が開いた。

「え? 得意って、どう言う事だい?」

 彼女に親兄弟姉妹祖父母は居ない。訊いた事は無いけど、僕が初彼の筈。試す相手なんていなかっただろ。なまえは僕の驚きを目の当たりにして、くすくす笑った。

「学生時代の寮でよく。ほら、ココさんもお会いした事あるでしょう?あの子」
「ああ。あの子か……」

 僕の脳裏に、なまえの親友だと豪語する一人の女性の姿が浮かんだ。ブロンドのセミロングに、猫の目のような派手な瞳を持った、なまえと対極の容姿の女性。

「そう、あの子ったら、自分じゃないできないからして頂戴って言って……だから、私がやる事になっていました」
「大変だね…」

 なまえへ、僕は労いの言葉をかける。確かに、あの子なら頼むだろう。

「さ、ココさん」

 かつてアルバムの中で見た、白いセーラーカラーの制服に両肩からおさげを垂らした少女。今は、すっかり大人になった顔で微笑み、揃えた膝の上を掌で柔く叩いて示す。

「どうぞ、頭をこちらへ」

 触り心地の良いニット素材のトップスに膝を隠す長さのスカートを身に付けて、緩く編んだ豊かなブルネットを右肩から垂らして微笑む。
 にこにこと笑う彼女がその意志を曲げる事は先ず無い。つまり、その先が視るまでもなく見えてしまうから、僕の口元は自然と緩んだ。
 だからってそのまま晒すのはいかにも気恥ずかしい。「そう、だな」照れ隠しに頭を掻く。

「じゃあ、お願いするよ」

 なまえは嬉しそうに、それは本当に嬉しそうに微笑う。

「はい」

 その声に腕を引かれて、僕はゆっくりと彼女に背を向ける形で膝に頭を預けた。鼻先に彼女の香りが、頬に太腿の柔らかい感触があたる。なまえの指先が僕の耳を摘む。僕のカフスやチェーンを慎重に避けている。体温がじんと中に入って来る。

 やべ……これ、超やべえ………

「ココさんは、粉耳さんですね」
「ああ」
「痛かったら仰って下さいね」
「ああ」

 後ろから響く声と、柔らかな息遣い。しばらくして、緩い鼻歌が響いて来る。ふと、気付く。

「なまえ」
「はい。何ですか?」
「足、痺れそうになったら言ってくれよ」
「まあ」

 くすくすと、笑う声。耳の少し奥、痒い所に届くリズム。「はい。ココさん」柔らかい同意。所在無く眺めていたテーブルには、食後のお茶が入ったティーカップ。視界の端に映る膝小僧は、スエード生地に覆われている。僕は置き所がなくて組んでいた腕を解き、タイミングを見計らい、

「あ、ら」
「ん?」
「ココさん」
「くすぐったかったかい?」
「……あまり、動かさないで下さいね」

 笑いを零す。彼女の声が愛しい。掌で包むなまえの膝。君のパーツは頼りないね。そう言えば、僕が逞し過ぎるだけと、なまえは笑う。

「ココさん」
「なに?」
「おとなに為さいませんと、痛いですよ」
「それは困るなあ」

 今度は声を零さずに、笑う。代わりになまえが、ふふふ、と笑った。耳の痒さは段々心地よさに変わって、これ良いなあ。と、僕は思った。と、同時に頭上から声。耳から手が離れる。

「はい、綺麗になりました」
「……早いね」

 瓏々と笑う声が、そっとぼくの頭を撫でると言うより、髪の流れを整える。

「そこまで汚れもありませんでしたから」
「そうか……」
「はい。ですから、次は反対側」
「へ?」
「ソファが窮屈で無ければ…このままこちらを向いて頂けると、嬉しいのですけど」

 彼女を見上げる。僕の真上で、部屋の明かりを受けて影を産んでいるその顔は、僕を見つめて柔らかく笑む。

「それとも場所、移動なさいますか?」

 指先が、僕の前髪を整える。僕は、

「そうだね」
「こちらはやっぱり窮屈ですよね」

 ソファは元々あったもので、僕の寸法誂えだと言っても「脚の置き場が無くて、狭そうに見えます」そう、なまえはくすくす笑う。「そうだね」僕は答えて、柔らかな頬に指を、輪郭をなぞる。ふふ、と。愛らしい声が漏れる。

「ではラグの上に、」
「寝室かな」

 僕の言葉に、なまえの声が止まる。目が少し見開いて、直ぐ困ったように口を開いた。

「……ココさん」
「ベッドの上に行こう。あそこなら広いし、君の膝も辛くならない」
「言い切りますね…」
「お互いにベストだろ?」

 僕はきっと、意地悪そうな顔で笑っているんだろう。なまえの表情が段々と、僕を、仕様がない人と言う時のそれになる。真っ直ぐに僕を見つめる。

「……分かりました。ですが、」

 愛らしい掌や指が、僕の額や生え際を撫でて、

「私の服、捲らないで下さいね」
「えーー…」
「えー。じゃ、ありません」
「そこは交渉次第にしないか?」
「なんの交渉ですか」
「何って……セ、」
「聞いた訳じゃありません」

 お終いに、両手で僕の口を塞いで唇を尖らせる。そうしてその手が頬に移動して暫く、くすくす。と、僕等は笑った。




(2016.12.24/掲載)
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なお、交渉は成功する模様です。



 
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