*夢から醒めても*
君は何処へ-3
「戻って、来たのか…?」
即座にスズランの安否を確かめる。瞼はまだ伏せられたままだが小さな呼吸と体温を肌に感じ、緊迫していた心が一瞬にして解けていく。
「よかった…っ」
「っ…君、何を、、今の一瞬で…、どうやって鈴蘭を…」
ハリの声が医務室に響く。僅かに震えた声は掠れていて感情が読めない。こちらを見透す様に目を見開くハリ。ラインアーサの本能が警鐘を鳴らす。
「一瞬…?」
ラインアーサはスズランを寝台に寝かせると素早く守りの煌像術をかけた。そのまま自身を盾にし、警戒しながらハリへと向き合う。だがハリは何かに怯えているかの様に後退った。何か違和感を感じる。
「一体鈴蘭に何をした…! どんな魔像術、、いや煌像術を使った!? それに、その頭はどうした…っ!」
「? 俺の頭がどうか…!? わ、髪が…? 何だこれ!?」
「自分でやった癖に分からないのか?」
違和感の正体は腰程まで伸びきった髪だ。元々癖のある髪質の所為か所々波がうねる様に跳ねている。
そして何故こうなったのか心当たりがあるとすればその理由は一つしかない。左腕の刺青に封印していた力≠ェ、エテジアーナから受け継いだ能力が解き放たれたからだろう。
だがそんな事よりも懸念していた事があった。
「いや、髪なんて後で切ればいいだろ。それよりもハリ。一つだけ聞きたい事がある」
ラインアーサはハリの目前まで詰め寄り、ハリの瞳を覗き込んだ。
「な、何。鈴蘭の事? それなら僕は謝らないよ」
「違う」
「じゃあ何?」
「今の、今話しているハリが本当のハリなのか…?」
ハリと視線を合わせたまま返答を待つ。
「───は? 今更何を言ってるの? 僕は…」
「だったら俺と十一年間過ごしたハリは一体何処へ行ったんだ?」
「!!」
幼い頃の事をあまり覚えていないと言っていたスズラン。だが潜在意識の奥には記憶の欠片が在り、見る限り正確に残っている様に思えた。
と言うことはハリの中にも記憶は在る筈だ。それが今のハリだと言うのなら、共にこの国で過ごしてきたハリとは別人の様に見える。
「……ハリ」
「…ッ来るな! その目で見るな!!」
「俺は、何があってもハリの事を家族だと思ってる。ハリが困ってるなら…」
「嫌だ! 僕は君の何でも見透かす様なその瞳が苦手なんだ…! 僕の事何も、何も知らない癖に!」
「何言って…」
「大体僕と君とでは違い過ぎるんだ。同じ様な立場に生まれついたのに、国が違えばこうも違うのか? いや、国というよりも環境か……これだから恵まれてる奴は。あはは…っ」
ハリが自虐的にぎこち無い笑い声をあげる。
「ハリ…?」
何故自身とラインアーサを比べているか分からないが、とても苦しんでいるのは確かだ。
家族を捜し出す以前にハリが目の前で苦しんでいるのなら、やはり見過ごす訳にはいかない。
「あはは、はあ…。何だか色々考えて疲れちゃった、、暫く何も考えたくない」
「だったら少し休んだ方がいい」
ハリは普段から異常なまでに仕事をこなしていた。公務も手伝い、特に目立つ贅沢もせず様々な補佐も完璧にこなす程だった。
「やっぱり僕≠ネんて居ない方が君も嬉しいでしょ? 物静かで物分りが良くて、余計な事はしない普段の僕が恋しい?」
「……」
「何? だってそうでしょ。僕は君とは違う、誰にも必要とされてない。僕を、僕自身を認めてくれるのは万理だけなんだ…ッ…!? っいひゃい…なにするんらよ…」
自虐的に笑うハリについカッとなり思わずその両頬を思い切り抓っていた。
「おい、いい加減にしろよ。さっきから聞いてれば! ハリは、お前自身は一体どうしたいんだよ」
「どうしたいって言われても…」
「俺はハリの事一度も不要だなんて思った無いけど?」
「ふ、そりゃあね。君にとって都合よく振舞ってきたんだ。僕、優秀だったでしょ?」
これには流石のラインアーサも言い返す。
「何言ってんだ! 確かに優秀だけど秘密主義だし小言はうるさいし、葡萄酒マニアで酒豪でついていけないし…、何より心配性で姉上捜しにまで付いてきた癖に!」
「……そろそろ離してくれない? けっこう痛いんだけど」
「…っわ、悪い。でもどっちもハリなんだろ? 俺は今のハリも良いと思う。むしろ色々話せて嬉しいよ。スズランにした事は絶対ゆるさないけど…」
「へぇ、ゆるさないんだ」
抓られた頬を擦りながらハリがニヤリと口角をあげた。先程の自虐的な笑みとは違い何処か満足そうだ。
「一生ゆるさない。だから覚悟しろよハリ」
「クッ…あっははは!! 全く。ラインアーサ、君って本当面白いね」
「何だよそれ」
突然笑い出すハリに困惑する。
「ま、いいや。今回はこれで納得してあげる。じゃあ僕はまた少し眠るから後は宜しく……」
「よろしくって何を…、わっ!?」
聞き返そうにもハリがふらりと倒れ込んで来る。床に倒れる前に何とか抑え込む事が出来たが、ハリは意識を失ったままぐったりとしていて目を覚ましそうに無い。仕方なく支えたまま床に座り込む。
「おいハリ!? ハリ! ……駄目だ完全に意識がない」
だったらと、先程スズランに施した時と同様ハリの額に掌を翳す。しかし何も起こらなかった。同時に軽い目眩がラインアーサを襲う。
「っ…ん…。何だこの目眩…っ…───」
───遠くで誰かの声がする。ラインアーサを呼ぶ声が……。
「……サ…! アーサ!! おいアーサ!!」
ぼやける視界の焦点を何とか合わせると目前で中腰のジュリアンがこちらの様子を伺っていた。
「……あ、ジュリ…?」
「あ、ジュリ…、じゃあないだろ! 一体この部屋で何があった? それにお前何でこんなに髪伸びてんだ!? この状況説明できそうか? おーいアーサ、しっかりしろ!」
「ん…。ハリが、スズランを……それで…っ……いや、二人共気を失ってるから…、早く手当を…」
「は? 全く分からん。手当って二人共確かに気を失ってるみたいだけど、お前が一番酷い怪我してるぜ? ほら、立てるか?」
ジュリアンはハリを軽々と抱き起こし、空いている寝台へ運ぶとラインアーサにも手を伸ばす。
「ん、俺なら大丈夫だ。怪我はほとんど治ってるから…」
差し伸べられたジュリアンの手を取り、多少ふらつきながらも立ち上がる。ジュリアンの顔を見て安心したのか再度気が抜けそうになってしまう。
「大丈夫って…。アーサ、まさか力が暴走したとかじゃあないよな?」
「……違うよ。今回は本当に大丈夫なんだ…。いつも迷惑掛けて悪いな」
「何言ってんだ、もっと頼れって…! 何の為に俺がいるんだよ。今じい様と先生も戻ってくるから着替えて待ってろ!」
「ジュリ……ありがとう」
「あー、礼なんていらないって。いつもの事だろ?」
それでも感謝していると小さく声に出した。
何やら照れたジュリアンの背中を、朧げな意識の中見ていた。そのうちにバタバタと足音が聞こえてくる。壊れた扉、正確にはラインアーサが壊してしまった扉から顔を出したのはエルベルトだ。
「おーい! 先生早く早く、怪我人続出みたいだぜ!」
「お、おお。これは…!? 我々が席を外した間に一体何があったのです? ア、アーサ様!? 御髪が…、それにお怪我も!」
「いや、俺の怪我は大丈夫だ。それよりも先生…。早くスズランとハリを診てくれ」
「よく分からないけど俺が来た時にはもうこんな状態だったんだ…。とにかく俺も手伝うんで先生は診察の用意をお願いします」
「あ、ああ。そうだね!」
ジュリアンとエルベルトが手際よく治療の準備を勧めてゆく。その間渡された病衣に着替えた。
「先生…、二人は?」
「大丈夫。二人共気を失っているだけで呼吸も正常のようだよ。直に目を覚ます筈です。念の為に回復を促す煌像術をかけましょう」
「良かった…。ありがとう先生」
「お任せくださいアーサ様」
エルベルトの言葉に漸く安堵できた。
廊下に出るとジュストベルが破れた窓硝子や壊れた医務室の扉に修復の煌像術を施していた。
「……全く。いけませんな。王宮の備品を破壊するなど」
「ジュストベル! その…、廊下と窓は俺じゃあないよ」
「ほう、ではこちらの扉は貴方様が?」
「う、、でも仕方がなかったんだ! 緊急事態だったし…!」
「……」
溜息を吐きながら淡々と備品の修復をこなしてゆくジュストベル。その腕は確かで先程まで廊下に散らばっていた粉々の硝子はくもり一つない一枚の窓硝子へと修復された。
修復系の煌像術は高度な技術な為、手伝いたくてもそう簡単に出来るものではない。それでも何か手伝えないかと考えた。
「ジュストベル、俺も手伝おうか?」
「……ラインアーサ様、貴方様は修復の煌像術が大分お苦手だったかと記憶してますが?」
「ああ、いや…。扉の取っ手をくっつける位なら…」
ジュストベルはまたやれやれと溜息を吐くと一旦手を休め、ラインアーサの前に来て足を止めた。怒られるのかと思いきや心配そうに顔をのぞき込まれてしまう。
「結構。それよりもその御髪…。ついにお力の解放をされてしまったのですね……陛下が知ったら卒倒ものですぞ?」
「……心配掛けてごめん。でも俺どうしても…」
「理由はあらかた想像出来ます」
「ジュストベル…」
「御顔色が冴えないのもお力の解放と、そのお怪我の所為でありましょう。今回復をかけますので暫く安静にしておくのですぞ…」
ジュストベルがラインアーサの頭上に光の陣を描く。強く輝く光が降り注ぎ、ラインアーサの身体異常を癒してゆく。どんなに強がっていても、ジュストベルにはお見通しなのだろう。
「いつもすまない…」
「そうお思いならば、これからはもう少し王子らしく後先を考えてご行動なさいませ」
「はは、お説教はまた今度にしてくれよ」
「全く、今日の所は見逃しましょうぞ。さて、一応エルベルトにも診て貰ってください。わたくしは全ての修繕を終えてから参りますので」
「ああ、ありがとうジュストベル」
再度医務室に戻るとしっかりと体制が整っていた。スズランもハリも心配ない様だ。
「アーサ様! アーサ様も一旦横になられた方が良いかと…!」
「いや、俺は今ジュストベルに回復かけてもらったし、あとハリの事で話が…」
「おいアーサ! 無理するなって。先生の言う事は聞いておいた方がいいぞ? 話なんて後にしろよ。ほら、もうすぐスズランちゃんも目を覚ますってよ」
スズランの顔を確認し、そっと額に触れる。頬には血色が戻り、呼吸も落ち着いている。
「良かった…」
「だろ! お前もとりあえず寝とけ」
ジュリアンに促されて隣の空いていた寝台に身体を預けた。途端に全身の力が抜け、そのまま深く沈み込む様に意識が遠のいてゆく───。
「待って、くれ…まだ話が……」
スズランとハリ、二人の関係性について叙説したい事がある筈なのに思考が鈍って言葉が纏まらなかった。
耳の奥の方でジュリアンやエルベルトの会話が聞こえているが何を話しているのかも聞き取れない。眠りたくないのに、強力な睡魔に抗えずラインアーサの意識は静かに落ちていった。
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