*収穫祭*

祭りの夜に-4


「今年はまた盛大だな!」

「…っお祭りってすごい! 街中とっても綺麗な飾り! それに、こんなにたくさん人がいるなんて…っ!!」

「ふふ。手はこうしてしっかり繋いでおけば迷子にならないだろ?」

 華奢で細い指に自身の指を絡ませて手を握り直す。やや強引だが二人で街に繰り出す事になり気分が高揚する。しかしスズランはどこか不安そうな表情だ。

「きっとお店も混んでるよね、大変じゃないかな? わたし戻った方が…」

「心配?」

「心配って言うか、みんな忙しいのにわたしだけこんなに贅沢していいのかな? って…」

「ごめんな。無理言って連れ出して」

「そんな! わたし、こうやってライアと二人で街に来れるなんて夢みたいで、それだけで贅沢って言うか……どうしよう…っ、すごい嬉しくて…」

「そうか…! 俺もこうして二人で居れるのはどうにかなりそうな位嬉しいよ。……あいつにも今度礼を言わないとな」

 先ほどはセィシェルに嫉妬心を燃やしたのに、今は幸せそのものでそれこそほんの少し申し訳ない気分だ。

「ねえライア。雨なのに何で誰も傘をさしてないの?」

「ああ、この雨は年に一度降る祝福の雨だから。皆敢えて浴びてるんだ」

「祝福の雨?」

収穫祭リコルト・フェストでは毎年それに合わせて祝福の雨ベンディシォン・ジュビアが降る。毎年作物の収穫を祝ってマルティーン帝国が賜ってくれているんだ」

「そうなんだ…! とっても素敵!」

 今年も祝福の雨ベンディシォン・ジュビアが降っている。と言う事はマルティーン帝国との関係は崩れていない筈。ふとメルティオールを思い出し、短く息を吐くも気持ちを切替える。

「それと丁度この日没前の夕陽に照らされて輝く祝福の雨を浴びると、一年間健康で居られるって…」

「それって今降ってる雨?」

「そう…。正に今だから幸運だったかな」

 言いながらスズランと空を見上げる。
 聳える山脈。その稜線に沈みゆく太陽。紺色と橙色の雲が織り成す空模様に、一粒一粒輝きながら落ちてくる祝福の雨ベンディシォン・ジュビア。刹那的な美しさに今街に居る人々からも歓声が上がり、そして太陽が完全に山に隠れると同時に雨も上がる。
 この国の民の、スズランの健康を切に祈った。
 スズランは空の色が紺一色に変わっても暫く空を見上げていた。

「すごく綺麗……」

「俺も浴びたのは久しぶりだよ」

「ライアと二人で見れてうれしい!」

 柔らかく笑うスズラン。この笑顔だけは曇らせたくない。固く拳を握り、心を決めたラインアーサ。

「……スズラン、俺…」

「あっ! あれってなんだろう?」

 言いかけた所、急に賑わう屋台の方に興味を持つスズラン。手を繋いだまま駆け出したのでその方向へついて行く。

「ああ、これは果実茶の屋台だよ」

「果実茶って甘いの?」

「飲んだ事無いなら買ってみる?」

「ほんと!?」

「並んでみるか」

 シュサイラスアでは多く獲れる果実で様々な加工品が作られるが果実茶もその一つ。手軽で味も種類が豊富な為、一般的かつ人気がある。目の前の屋台は有名店が出している所為か大層な人出だ。
 きらきらと瞳を輝かせるスズランと賑わう列に並ぶ。

「すごい人気だね! それに果物の甘くていいにおいがする」

「色々あるけどスズランは何にする?」

「選んでいいの?」

「もちろん」

 並びながら果実茶を選ぶ。スズランは小首をかしげ品目一覧を眺めると顔を顰め、真剣そのものに悩んでいた。

「……うーんっと…」

「っ…くく、そんなに怖い顔で悩まなくても果実茶位いつでも飲めるよ」

「だって、全部おいしそうなんだもん。迷っちゃう」

「んー、そうだな。どれも美味いけど木苺と桃のが特に人気みたいだ」

「そうなんだ!」

「じゃあそれにしようか」

 嬉しそうに笑うスズラン。果実茶一つでこんなに笑顔を見せてくれるのなら毎日でも連れて来たくなってしまう。

「うん! ありがとう。ライアは?」

「俺は蜂蜜と檸檬のやつ…」

「わあ…、そっちもおいしいそうだね」

「じゃあ二人で分けよう」

「うん…!」

 注文後、果実茶を受け取る。広場に面した場所に屋台が出ていたのでそのまま広場中央の噴水でひと息つく事にした。二人で噴水の縁に座ると背中に伝わる流水音と冷たい空気が人混みの疲れを癒してくる。

「疲れてないか?」

「全然平気!」

「良かった」

 蓋の付いたグラスを細い硝子の管でかき回すと、お茶が氷と果実を揺らし耳に心地の良い音色を奏でる。

「キラキラしてるね…」

「ん?」

「果実茶が今日のお祭りの街みたいにキラキラしてて本当に綺麗…。飲むのがもったいないくらい」

収穫祭リコルト・フェストは年に一度だけど、果実茶はいつでも飲めるよ」

「……また一緒に来たいな」

「いつだって連れて来てやるよ! ほら、冷たくて美味いから飲んでみるといい」

「うん、ありがとうライア! いただきます」

 また二人で街に来る口実が出来たと内心浮かれてしまう。しかし突然ガシャンと硝子の割れる音に次いで子供の泣き声が浮かれた気分を見事に掻き消した。

「う、うぇえええん! ままぁ!!」

 小さな子供が人混みでつまづいたのか、転んで果実茶のグラスを落としてしまったらしい。
 見る間にスズランが目の前で泣いているその女の子に駆け寄っていた。

「だいじょうぶ? あっ! 待って、割れたのに触ったら危ないよ」

「だってぇ……せっかくママにかってもらったのに……ふえぇ…っ」

「えっと、ママはどこ? えっ、ああっまって…、泣かないで……あ! ちょうどおんなじのあるの、ほら!」

「……いい。だってそれじゃあおねえちゃんのがなくなっちゃうもんっ…」

 見た所傍に親が居ない。はぐれて迷子になったのか。スズランが必死にあやすものの女の子は今にも泣き出しそうだ。

「ここにもう一つあるから大丈夫だよ」

「……ライア!」

「…!? …っ…!」

 二人の横に屈み、持っていたもう一つの果実茶を見せると女の子はラインアーサとスズランの顔を交互に見やる。驚き、見開かれた瞳。どうやら涙は引っ込んだ様だ。

「俺たちは半分こするから心配ないよ。な? スズラン」

「……で、でも」

「うん。わたしは平気だよ! それよりも転んだ所、ケガはない?」

 大丈夫と頷く女の子を噴水の縁に座らせた。女の子の名はリタ。母親を見失い迷子になってしまったのと、先日五歳になったばかりなのだと教えてくれた。リタの前に屈み込み、木苺と桃の果実茶を手渡すスズラン。

「ありがとうおねえちゃん…!! これ、ほんとに飲んでもいいの?」

「どうぞ!」

 スズランが笑顔で返すと待ちきれず果実茶に口をつけるリタ。

「っ…わあ! つめたくておいしい~」

 リタの顔が瞬時にほころぶ。どうやら人気店の評判は伊達ではないらしい。

「良かったぁ」

「俺やっぱりスズランの分もう一つ買って来るよ」

「ううん。わたしはまたライアと来れるもん」

「そうか? ……じゃあまた必ずな」

「うん! 約束ね…!」

 愛らしい顔を見せるスズランに微笑み返すとつられたのかリタもにこりと微笑んだ。並んで座るスズランとリタの前に立ち、周りを見渡すと先ほどよりも人出が増して来ている。

「よし、飲み終わったらすぐ母親を探そう。物凄く込み合ってきたから少し急がないとな」

「リタちゃんのママ、早く見つかるといいね」

「うん…」

 安心したのかリタはスズランに懐き、甘える様に体を密着させた。

「どうしたの?」

「おねぇちゃんいいにおいするね」

「ふふ、そう?」

 二人を見やり、もしスズランが母親になったらこんな感じなのだろうかと一人で勝手な妄想をしてしまう。ごまかす様に慌てて果実茶を飲むと甘く爽快な香りが口の中に広がっってゆく。

「っ…こっちのは檸檬に蜂蜜が効いててうまいな! ……あー、これ後はスズランに全部やるよ」

「え! ライア、一口でいいの?」

「ああ、本当に美味いからスズランも飲んでみて」

 そう言ってグラスを強引に手渡す。

「ありがとう。ん……爽やかで、でも甘酸っぱくてすごくおいしい!」

「だろ? 良かった!」

 自身の好物を気に入って貰え不思議と嬉しくなる。美味しそうに果実茶を飲む姿を満足げに眺めているとスズランがグラスを差し出して来た。

「本当にとってもおいしいから、やっぱり二人で半分こ! ね?」

「はあ…。俺が敵わないの分かってる癖に。じゃあ、もう一口だけいただくよ」

 グラスは受け取らずそのまま硝子管に口を付け一口だけ頂く。何故か先程よりも特別甘く酸っぱい。
 そんな中ぽつりとリタが呟いた。

「 ……ねぇ。おねぇちゃんは、アーサさまのこいびとなの?」

「えっ!?」
「え!!?」

 何やら直球な問に危うく果実茶を吹き出しそうになった。聞き間違いでなければ今、リタの口からアーサ≠ニか恋人≠ニ言う言葉が飛び出した様に聞こえたが。

「ま、待ってリタちゃん?! ち、違うの、この人は…」

「ゲホッ…! そう、俺はライアっていうんだ…」

「うーん、そうなのー?」

 そう言ってラインアーサの瞳を除き込むリタ。やはり聞き間違いではないらしい。もはや子供特有の純粋な眼差しに押し負けそうだ。

「ああ、よく似てるって言われるけど……」

「ライア…。大丈夫?」

「あ、ああ」

「でも、やっぱりお目目の色がおんなじだよー?」

 子供の目は誤魔化せないと言った所だろうか。しかし今、それも街の広場のど真ん中で己の正体を明かす訳にはいかない。シュサイラスアの民は、行事やこういったお祭り騒ぎを好む民族性。舞い上がり確実に揉みくちゃにされてしまう。そうなるとスズランに危害が及ぶ可能性も出てくる。やはり収穫祭リコルト・フェスト当日に街に出るなど浅はかだったと反省せざるを得ない。それでもリタの眼をそらさず否定を試みる。

「リタ。違うんだ。俺たちは…」

「わかったー! ないしょなんだ? スズランおねえちゃんとひみつのでぇとしてるんだね!」

「っ…!!」

「デ、デート……なの?」

 内緒話の様に可愛らしい仕草で話すリタ。しかし内容は的確だ。何も言えずに居るとリタの顔がぱっと明るくなり、そのまま立ち上がると大きく叫んだ。

「ママ…っ!!」

 リタの声に女性が血相を変えて駆け寄ってくる。

「リタッ!! あなた…っ何処に行っちゃったのかと…! 本当に探したのよ!? 駄目じゃあないのこんなに人が多いのにうろちょろしちゃあ」

「だってふんすいのお水がとってもきれいだから、ちかくで見たかったんだもん」

「もう~あなたって子は! 本っ当に見つかって良かった……あ、あの。ありがとうございます、うちのお転婆娘がとんだご迷惑を」

 リタの母親がこちらに気付き、深々と頭を下げる。

「あ、いや俺たちはなにも…」

「ママ! リタね、転んでお茶こぼしちゃったんだけどおねえちゃんたちがあたらしいのくれたんだよ!」

「ええ?! 何やってるのよリタ。あ! 今すぐお茶のお代を…」

 リタの母親が何度も頭を下げ、あまりにも申し訳なさそうにするのでラインアーサは心配させまいと笑顔を浮かべた。

「いえ、大丈夫ですよ。お代も気にしないでください」

「えっ! そんな訳には…って、あら? ……あの、貴方よくアーサ王子に似てるって言われません? 娘が帰国の時の行進ディスフィーレでアーサ様に手を振って頂いて以来大ファンで!! ね、リタ!」

「……も~! ママ。おねえちゃんたち今でぇと中なんだからリタたちおじゃま! そろそろいこ!」

「あ、ああ。そうよね、ごめんなさい。それに本当にありがとうございました。助けて頂いたのにこれ以上二人のお邪魔をしたらいけないわね。でももし貴方が本当にアーサ様だったらサインの一つでも欲しい所だわ! うふふ」

「あはは…」

「ママったら! 早くあっちのお店もいこうよ 」

 リタは何度も頭を下げる母親の手を引っ張ると祭り客で賑わう人混みの中に消えていった。その一瞬前に振り向きラインアーサとスズランに向け笑顔で小さく手を振った。結局リタには見抜かれていたらしい。

「なんだか逆に助けられたみたいだな…、はは」

「ほんとびっくりしちゃったけど、リタちゃん可愛かった!」

「ああ。あんなに小さいのにしっかりしてるんだな」

「……うん…。でもちゃんとお母さんが迎えにきてくれて良かった。一人ぼっちって本当に心細いもの…」

「……!!」

 寂しそうな横顔にはっとする。
 自分の事を捨て子だと思っていたスズラン。迷子のリタと幼い頃の自分を重ねたのだろうか。

「……あ、何でもないの! ただ本当に良かったなって…」

「スズラン…」

「……大丈夫、前にライアが教えてくれたもん。ちゃんと信じてるよ。わたしは捨て子なんかじゃ…、あれ? ……ごめんなさい。ち、違うの。……見ないでっ…」

 そう言うとスズランは俯いてしまった。ひたむきに涙を隠す姿がいじらしくてそっと胸に抱き寄せる。ラインアーサは優しく頭を撫でる事しか出来なかった。
 暫くそうしている間にすっかり夜の帳がおり、辺りはいっそう煌めきだす。南瓜のランタンが妖美な光を放ち普段とは別世界の夜の街。
 祭り客の喧騒の中でそっと愛しい名前を呼んだ。

「───スズラン」

「……ごめんなさい突然泣いたりして」

「相変わらずの泣き虫。大丈夫だよ、ほら。そろそろ戻ろうか」

「うん」

 漸く泣き止んだスズランをもう一度強く抱きしめ、とても小さな声で囁く。

「……不安にさせてごめん…」

「んん…、ライアっ…今なんて言ったの?」

「さあ、本格的に冷える前に行こう」

「……あ、まって」

「ん。ほら」

 再びスズランの手をしっかりと握り、人混みの中を縫って歩く。
 多種多様な屋台、大道芸や音楽隊の奏でる陽気で情熱的な音楽、音楽に合わせて華麗に舞う踊り子たち。祭りは最終日の後夜祭に向けて徐々に盛り上がってゆく。先程から少し元気の無いスズランとは対照的だ。

「……今日は街に連れ出してくれてありがとう」

「どういたしまして。少しでも祭りの気分を味わえた?」

「うん」

「なら良かった…」

 どうにも途切れがちな会話だがなんとか酒場バルまで戻ってきた。そのまま裏庭へと回り込む。
 そのまま王宮の横庭に繋がる森の小道に向へかった。ここまで来ると街の喧騒もだいぶ遠くなる。横目でスズランを盗み見ると俯いたままだ。このぎこちない空気を打ち破るべくラインアーサは切り出した。

「……スズランは俺と初めて会った日の事覚えてる?」

「もちろん…! ライアが帰国した時のお祭りの日にここの森で」

 スズランは弾かれた様に顔をあげ、少し早口でそう答えた。やはりあの日≠フ事は覚えていないか…、と少し淋しさに似た感情を覚える。

「そうか、そうだよな…」

「わたし勝手にライアのこと警備隊の人と勘違いしちゃって、本当にごめんなさい!」

 やっと視線が重なり自然と頬が緩んだ。

「俺の方こそごめん…、でも懐かしいな。まだそんなに経ってないのに」

「っ…わたし、あの時はライアとこんなふうになるなんて思ってなかった…」

「……俺は…。此処でスズランと会った時、運命なのかと思ったよ」

 彼女と再び出逢い、今こうして傍に居てくれる。運命の様な巡り合わせに感謝し、今こそずっと大切にしてきた想いを伝える時だ。

「運命…?」

「果たせなかった約束を、今度こそ守る為の」

 確かめる様にそう口に出すと一気に気持ちが固まった。もう二度とこの手を離したくない。繋いでいた手を握をもう一度強く握り返す。

「約束って? それに、ライアはいつからわたしのことを知っているの?」

「……」

「わたし、ライアの事もっと知りたい…!」

 先ほどまで落ち込んでいたスズランだが今はしっかりとした眼差しでラインアーサ見据える。その瞳は強く輝きを放っていた。

 小川に架かる小さな石橋の上。
 見つめ合う二人の間にふわりと心地の良い風が吹きそよいだ。



  収穫祭 終




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