*収穫祭*
ふたりの想い-3
───宿の外は白藤色の朝もやで視界が悪く、まだ空気もひんやりと冷たい。
ラインアーサはしっかりとスズランの手を握った。
「スズラン……絶対に俺の手を離すなよ。旧市街を抜けても、酒場に着くまでは絶対にだ……何があっても俺が必ずスズランを守るから…!」
「っ…うん。離さない」
頬を赤く染めながらも向けられる凜とした眼差しに強い意思が感じ取れる。美しく淡い虹色の瞳に自身が映し出されると途端に気恥ずかしくなった。
「ん、いい子だ」
誤魔化す様に頭を軽く撫でると子供扱いされたと思ったのか、少し頬を膨らまるスズラン。それがどうにも愛らしく口元が緩みそうになる。
「むぅう…!」
「膨れるなよ。未成年者の誘拐事件はまだ解決してないんだ。スズランはその未成年者に該当するんだから危ないだろ?」
「そう、だけど!」
「本来なら外出自体禁止なんだからな? 酒場に着くまでは大人しく目立たないようにしててくれ」
「っ…はい…」
するとしょんぼりとしょげてしまった。その顔に耐えきれず小さく笑みを零すと更に頬を染めながら睨みつけてくる。
「どうして笑うの? 失礼だわ!」
「くくっ! だってお前見てるところころ顔変わっておもしろいから」
「もうー! ライアの馬鹿ぁ!!」
地団駄を踏みそうな勢いのスズランに笑いを堪えながらも謝る。
「悪かったよ、でも可愛いなって」
「っ…! ラ、ライアの馬鹿…」
「なんだよ。 二回も馬鹿って言ったな? いやこれで三回目だ」
「だって…!」
そんな他愛無い会話をしながら歩いていると、突如後ろから声をかけられた。
「───早朝から痴話喧嘩かしら? ずいぶんと仲が宜しいことね?」
振り向くとすぐ後ろにヴァレンシアが立って居た。
「ヴァレンシア!? いつから居たんだ?」
「ん、いい子だ……の辺りからよ?」
「っ…居たならもっと早く声をかけてくれよ!」
「だって貴方見てるとおもしろいんですもの」
鼻で笑われすっかりとヴァレンシアの調子に乗せられてしまう。
「まったく、ヴァレンシアには敵わないって」
そんな会話をしているとスズランが不安そうな視線をよこす。
「あら! ……貴女。そんなに不安そうな顔しなくていいのよ? ライアはね、貴女の事で頭がいっぱいなんですから! ね? ライア」
「えっ! そうなの?!」
「うっ…勘弁してくれ…」
スズランは赤い頬を隠す様に俯く。
「うふふ。可愛い! そう、はじめましてよね? 私の名前はヴァレンシアよ。ここ旧市街の寂れた酒場で店主をしながら占星術をしてるの。よろしくね」
ヴァレンシアがにこりと微笑むとスズランも慌てて自己紹介をした。
「あ! わたしスズランって言います。城下の街の酒場で働いてます! こちらこそよろしくお願いします!」
「まあまあ! なんて純粋な子! 本当ライアには勿体無いかもしれないわね…」
「ったく、何しに来たんだよ! 何かを伝える為に来たんじゃあないのか?」
するとヴァレンシアの調子が一変し真面目な顔へと変わった。
「そうなの。依頼された内容についてよ」
「もう何か解ったのか!?」
「ええ…。手短に話すわね。この事件の黒幕はとんでもない人物かも知れないわ!」
「!? ……どう言う事だよ。とんでもない人物って」
「信じ難いし、まだ断定は出来ないけど…。それでも……マルティーン帝国が関わってる可能性が高いのよ」
「マルティーン帝国!? 何故あの国が…」
───マルティーン帝国。
豊かな水を蓄えた水と氷の都。
十一年前の内乱以降はルゥアンダ帝国を除き全ての国や都市と協定を結んだ筈だ。このシュサイラスア大国とも例外なく同盟国となっている。
「あくまでも可能性が高いってだけでまだ分からないけれども……」
「……マルティーン人が主犯の黒幕なのか?」
「ごめなさいね、そこまではわからなかったわ……でも。隠れ屋として拠点にしてるおおよその場所は掴めたの! おそらくその場所に今までに攫われた子たちも囚われてる筈よ…!」
「本当か? 何処なんだ!?」
つい気がはやってしまう。
一刻も早く囚われている民を解放したい。
「ちょっと…、まって頂戴。その前に貴方にはやる事があるでしょう? ……ほら、スズランちゃんにこんな心配そうな顔させたらダメじゃあないのよ」
「…っ…! ……でも」
「でもじゃあないわよ! ねぇ、スズランちゃん」
「……あ、あの。わたしよくわからないけれど危ない事はしないで……ライア…」
繋いでいた手を強く握るスズラン。
「スズラン…!」
「場所は教えるわ、でもその前に貴方はスズランちゃんをきちんと送ってあげないとね?」
「分かってるよ……」
「そうかしらね? 場所を教えたら直ぐにでも飛んで行きそうよ」
「そんな事ないよ。スズランは俺が責任を持って酒場まで送る!」
ラインアーサもスズランと繋いでる手を強く握り返した。
「そう。……なら大丈夫ね。お願いだからくれぐれも一人でそこに乗り込まないで頂戴ね? ちゃんと事前に計画して…」
「大丈夫だって…! ヴァレンシアも本当に心配性だよな」
「だって貴方はいつでも、、っ…いいわ、もう……」
ヴァレンシアはそうため息をつきながら隠れ屋の場所を書き示した小さな用紙をくれた。ラインアーサはそれを受け取り場所を確認し、折りたたむと懐へとしまった。
「……あの今にも崩れそうな廃屋か…! ありがとう! ヴァレンシア!! 恩にきるよ」
「いいのよ。早く事件を解決させて貴方のその笑顔をまた見せに来て頂戴よ…?」
「…ああ」
「その時はスズランちゃんと二人でいらっしゃい?」
「わ、わたしもいいんですか!?」
スズランが驚いた様に声をあげた。
「もちろんよ! あなたなら特別に占いを見てあげるわ。うふふ…」
ヴァレンシアは意味ありげに微笑むと、くるりと背を見せ白藤色の霧の中へと消えていった。
「素敵な人……」
「……ヴァレンシアには昔から世話になってるんだ」
そう言いながら歩き出す。
ラインアーサはスズランの指と指の間に自身の指を通し、強く握り直した。
互いの体温で先ほど想いを確かめ合った口づけを思い出し、顔に熱が集中してしまう。スズランも同じなのか恥ずかしそうに俯いていた。
「あのっ、ライア!」
「ん? ……どうした?」
「前に、街で助けてくれた時あるでしょ? あの時にライアはこの国の国王様の為にいろいろ情報を集めるのがお仕事って言ってたけど、、その。それは危険なお仕事なの…?」
「何? それって俺の事、心配してくれてるとか?」
「……心配、しちゃダメ? わたしだってライアの事心配だもん……」
「…っ…!」
「ライア? ……どうしたの?」
「っ…ありがとう……めちゃくちゃ嬉しい」
不思議そうに顔を覗き込んでくるスズランだが今は目を合わせる事が出来なかった。顔どころか耳や首筋までもが熱い。
「ライア?」
「そんなに危険な仕事じゃあないよ。それにちゃんと仲間もいるから大丈夫だ…」
「そうなの? ……あ、仲間ってジュリアンさん?」
「そう。ってスズラン、ジュリとは随分気が合うみたいだな…!」
「そんなこと! だけど、この間うちの店に来てくれたから少しお話とかも…」
「……ふーん」
(まさかジュリの奴、頻繁にスズランの酒場に通ってるのか…!? また色々と余計なこと吹き込んでないだろうな…)
そんな事を考えながら歩いているうちに旧市街を抜け、城下の街へと差し掛かる。霧は次第に晴れてはきたが、今にも雨粒が落ちてきそうな雲行きだ。
スズランに目を向けると息が上がり華奢な肩が上下していた。
「……は、ぁっ」
「疲れた? ずっと登り坂だったもんな。それにまた雨が降ってきそうだ……」
「へい、きっ…。でもちょこっとだけ休憩してもいい?」
「そうだな。そこの大きい段差に座って少し休もう」
旧市街から城下の街へ行くには列車を利用するか坂の街・ペンディ地区を通るしかない。
列車を利用するよりもペンディ地区を歩いて抜ける方が酒場へは近道だが、何分急な坂や石段が多く足場が悪い。
「ありがとう、ライア。も、平気だから……急がなくちゃ…」
「そんなに急ぐなよ。ちゃんと送るから」
「でもっ…! あ、雨!」
二人の時間を削る様に大粒の雨が一つ、また一つと石畳に模様をつけてゆく。
「やっぱりまた降ってきたか……ほら傘に入ろう、もともとスズランのだけどな。全く…。のんびりはしていられないって事か」
「ライア……」
「よし。急ごう!」
まだ朝早く、雨が降る人気の少ない城下の街を二人を隠した赤い傘が通り抜ける。少しでも長くスズランと二人で居たかったのだが、あっと言う間に酒場へと到着してしまった。
「着いたな」
「うん…。もうここで大丈夫だよ。マスターとセィシェルにはちゃんと自分で謝るから…」
「いや、俺も一緒に行くよ。マスターに話があるんだ」
二人は手をつないだまま酒場の裏手側へと回り込む。
「話って…? この間も…」
「なあ、スズラン…。もし、嫌じゃあなかったらなんだけど、しばらくの間。王宮に来ないか?」
王宮でスズランを保護すれば今回の様な心配もしないで済む。それにはまず自身の本名を名乗り身を明かさなくてはいけない。
「え、王宮…?! どうして?」
「勿論無理にとは言わない…。ただ、心配なんだ。王宮で保護してもらえば安全だから」
この間そうしなかった事を既に後悔していた。
「そんな! 大袈裟だよ。わたしならへいき…」
「駄目なんだ…! もし、スズランが…っ攫われるかと思うと俺は…っ」
スズランの瞳を覗き込むと再び自身が映し出された。赤い傘の下、ゆっくりと二人の影が重なる。スズランが雨に濡れない様に気を使いながらその甘い唇を堪能した。
スズランの甘い香りにくらくらと酔いしれる。
「……ん、、ライア…っ…」
「ッ…」
吐息の合間に名前を呼ばれるとますます愛しくなり、口づけを深くする。もうこれ以上、黙っている事自体が心苦しい。ラインアーサは意を決して自身の真名と身分を明かす事にした。
唇を離し身体を抱きよせたまま小さく呟く。声が擦れてうまく言葉が出てこない。
「……俺…。スズランに話さなくちゃあいけない事があるんだ」
「話さなくちゃ、いけない事…?」
「……その、何から話せば良いかな…。俺、本当は……」
「……?」
「っ……」
今まで黙っていた事の罪悪感に押し潰されそうだった。それに加え嫌われてしまいそうで迷いが出る。
「……ライア…?」
少し身体を離すとスズランが不思議そうな眼差しを向けてくる。嫌われても仕方がない。それでもこのまま嘘を吐き続けるよりはずっといい筈だ。
「……スズラン。俺は…」
決心したその時、勢い良く酒場の裏口が開き慌てた様子のセィシェルとユージーンが現れた。
「スズッ!? そこに居るのはスズか?」
「マスター! ……セィシェル…! ごめんなさい! わたし、一人で勝手に居なくなったりして…」
表情を強張らせたセィシェルが駆け寄ってくる。そして勢いよくラインアーサの胸ぐらを掴んだ。
「おいっ!! なんであんたが一緒にいる!? あんたやっぱり人攫いなんじゃあないだろうな!!」
「やめなさい! セィシェル…!! そのお方は…」
「やめて! ちがうの…!! わたしが勝手にライアの所に行ったの…! ライアはわたしをここまで送ってくれただけで全然悪くないの!!」
「っ…スズ、その服はどうしたんだよ!」
「こ、これは雨で濡れたからライアに着替えを頂いて…」
スズランがそう説明すると漸く腕は引いたが物凄い形相でセィシェルに睨みつけられた。
「くそっ! スズは俺のだ…! あんたには絶っ対渡さない!! っ…戻るぞ、スズ!」
「やっ、やだ、わたしまだライアとお話し…」
「こんな奴と話なんてさせねぇ!!」
セィシェルはラインアーサとスズランの間に割って入ると腕を掴み無理に引く。その反動で傘が吹き飛び二人は冷たい雨に晒された。
「嫌! 離してよ、セィシェル!」
「離すもんか! 俺と親父が昨日からどれだけ心配したと思ってるんだ!! 雨の中一晩中スズの事探して回ったんだぞ? 今だって朝一で警備隊に捜索の届け出をしようとして…」
「ごめんなさい…! でもわたし…」
「でもじゃあねぇだろ!! 心配で心配で、おかしくなりそうだったんだからな!」
「っ…! セィシェル。本当に、ごめんなさい」
「……ならもう行くぞ!」
「…っ」
スズランがこちらに苦しげな表情を見せながらもセィシェルに手を引かれてゆく。しかしラインアーサも今回は引かない。
「……待てよ。セィシェル、先にお前に話しがある」
「何だよ! 俺はあんたと話す事なんかねぇよ!!」
「……そうやって逃げるのならそれでもいい。でもスズランはお前のじゃあない…!」
「あっ…ライア!?」
ラインアーサもスズランの手を引き、強く胸に抱き寄せるとセィシェルに挑戦的な視線を送った。
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